おとなとこどもの境界線6
「子供扱いなどしていませんよ」
「え?」
「子供のころのよう、だと言ったのです」
その言葉の違いが分からず首を傾げたわたしの手を、レオンス様が軽く引いた。
気を引くためのようなその仕草に、わたしは驚く。
しかしもっと驚いたのは、その後の提案だ。
「足、痛みますか? 歩けないようでしたら私が抱き上げますが」
「だ……っ!?」
私の顔は真っ赤になった。
抱き上げる、ということはそれはあの、物語によくあるものだろうか。
両腕で持ち上げられ、首に手を回す、あの──
少しやってもらいたい。
いや、嘘だ。とてもやってもらってみたい。
しかし足首はといえば、踵の高い靴でなくなったからか、元々軽かったのか、そうしてもらうほどは痛くない。
「……大丈夫ですわ」
わたしは欲望に蓋をした。
ここで抱き上げてもらうというのも恥ずかしいし、歩けないと言うことで今後の予定が変えられる可能性を危惧したのだ。
しかしレオンス様はそんなわたしの顔を見て目を細めて笑い、次の瞬間、勢い良くわたしを抱き上げた。
「ちょ……っ、大丈夫って言いましたわ!」
「物欲しそうな顔をした姫が悪いです」
「そんな顔していません!」
顔が熱い。
身体の硬さが、レオンス様ももう大人の男性だと思わせる。
歩き出した腕の中は不安定に揺れて、私は両腕をレオンス様の首に回して顔を埋めた。
連れてこられたのは薔薇の庭園迷路の中だ。
リベルタス学院にある庭園迷路は、王宮のものよりも小さい。
子供の頃から庭として遊んでいたわたしには少し物足りなく、あまり入ることはなかった。
学生は『天使の庭』を目当てに挑戦することが多いらしいが、王宮で本物に自由に出入りしているわたしはあまり興味がなかった。
そんな中、レオンス様が足を止めた場所はただの行き止まりだった。
何故かそこには長椅子が置かれている。
椅子に、そっと下ろされた。
「──ここは」
「姫が使うかもしれない、と作った場所です。今日までお気付きにならなかったようですが」
周囲を見渡すと、王宮の庭園迷路の気に入りの場所と同じように、食べられる実がなる木もこっそり植えられている。
「どうしてこんなことを」
「姫が少しでも学園を楽しく過ごせるようにと。私共が在学していたときには、人目を集めるばかりで落ち着く場所もありませんでしたから」
「……どうして」
「はい?」
「どうしてそれを入学のときに教えてくれなかったのですか! とてももったいないことをしましたわ……!」
わたしだって在学中は、視線が気になって落ち着かないこともあった。それでもこの庭園迷路に来なかったのは、王宮に戻れば本物がある自分が使うのはなんとなく申し訳ないと思ったから。
つまり、遠慮していたのだ。
「私も、偶然見つけることがあればくらいの気持ちでしたから。ですが、今日ここに来られて良かったです。……本当は、もっと華やかにと思っていましたが、この方が私達らしいかもしれません」
「え?」
レオンス様が、ゆっくりと私の前で片膝をつく。
まっすぐに見上げてくる黒い瞳の中には、柔らかな暗闇が映されていた。
それがわたしに向けられている今が、とても心地良い。
「──セリーヌ様。私と結婚してください」
ポケットから取り出されたのは、星を集めたような輝く石がついている指輪だ。
「私にとって、姫はずっと憧れでした。変わらない愛らしい表情も、大人の女性になっていく姿も、ずっと私の心を掴んで離しません」
いつも真面目で、わたしのことなんて妹程度にしか思えないのだろうと思っていたレオンス様が、私を見つめている。
その瞳には確かに優しいばかりではない熱が混じっていて、それを見つけたわたしの心臓が煩くなった。
その熱は、確かに恋情だ。
「……もう、よろしいんですの?」
「はい。今夜に間に合うように、すべて片付けました」
片付けたとは何をだろう。
分かっているからこそ聞けないけれど、それで良かった。
レオンス様の顔にはほんの僅かな迷いもなくて、そのことがわたしを安堵させる。
私はレオンス様の前に左手を出した。
「では、つけてくださいませ」
「勿論です」
レオンス様の顔が、ゆっくりと笑顔になっていく。
その変化と指に触れる冷たい金属の感触は、まるで夢のようだ。それでもこの感触は、頬を撫でる夜風は、確かに現実のもの。
指輪が付け根まで嵌められて、わたしはそれを月明かりに翳した。
「サイズ、ぴったりですね」
「調べましたから」
「今夜のお仕事は?」
「それも片付けてきています」
「お兄様は?」
「会場に行っています」
勢いに任せて、私は質問を重ねた。
「わたしのこと好きですか?」
「好きです」
さらりと答えたレオンス様が、咄嗟に手で自分の口を押さえる。
言うつもりはなかったのだろうか。
わたしはしっかりと口角を上げる。こんなに嬉しい言葉、初めてだ。
ずっと、言ってもらいたかった。
「……私も好きです!」
わたしはぴょんと立ち上がって、レオンス様に抱き付いた。
二人きりの場所にいるのだからもっと近付きたかった。
痛かったはずの足首はもうなんともない。本当に大したことはなかったのだろう。
ただ、土の冷たさとレオンス様の温かさしか感じなかった。
「急に抱き付かれたら驚きます!」
「でも、好きなんだもの」
ずっと好きで、何度も諦めかけた。
子供の気を静めるためについた嘘ではないかと、疑った日もあった。
それももう終わりだ。
わたしの気持ちはレオンス様に伝わって、レオンス様は私を好きだと言ってくれている。
ずっと願っていたことだ。
「私だって好きでした」
レオンス様の両腕がわたしの背中に回って、しっかりと抱き締められる。
視線が絡んで、自然と目を閉じた。
口付けをすることは、互いに自然のことだった。
柔らかな感触に酔いしれてすぐ、レオンス様の唇は離れていく。
そして、途端に真面目な顔になった。
「姫、足首の痛みはどうですか?」
「本当になんともないですわ」
「それなら、お手数ですがこれからパーティー会場へ行きましょう。そこで婚約を発表し、関係を見せつける必要があります」
「……どうしてです?」
焦っているようにも見えるレオンス様に、わたしは首を傾げる。
レオンス様はちらりと学園に視線を向けた。
「姫はもう明日から一人前なのです。明日の朝から、縁談が山のようにきますよ。どうか今夜のうちに私との関係を世に知らしめて、無駄なことをする人間を一人でも減らしましょう」
その言葉には、あまりに現実感がなくて。
わたしはこみ上げてくる笑いを抑えられない。
「ふ、ふふふ」
しかしレオンス様は大真面目な顔だ。
「多分それはないと思いますが、不安は潰しておくべきです。それでは、行きましょうか」
「そうですわね」
離れがたいがそれでも気持ちを振り切って立ち上がろうとしたわたしを、レオンス様が離してくれない。
「あ、あの……?」
「申し訳ございません。……もう少し、このままで」
結局レオンス様はそれから半刻ほどわたしを離さなかった。
手を繋いで早足で歩きながら、わたしは思う。
この時間では、今夜はラストダンスしか踊れないかもしれない、と。
これにて番外編完結です。
お読みいただきありがとうございました!!
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