おとなとこどもの境界線4
アニーが箱をテーブル横に積み重ねて置く。
その中身がわたしのドレスだと、分からないほど鈍感ではない。レオンス様は、わたしの卒業パーティーのためにドレスを用意して持ってきてくれたのだ。
わたしのサイズなら、誰に聞かなくても良い。レオンス様は、お仕事の一環として確認できる。
どこまで『仕事』なのだろう。
「わたし、聞いておりませんわ」
レオンス様に誘ってもらいたいと、思ってきた。
レオンス様にエスコートされる自分の姿を想像しては、まだ叶わない年齢差に悔しい思いを何度もしてきた。
卒業して大人になるのを、レオンス様と肩を並べるのを、楽しみにしていた。
それなのに、決定事項として言われてしまうのは、さすがに傷付く。
わたしの家族はわたしに優しいけれど、『お願い』をしたら、誰も断れない。
「だ……誰が、レオンス様にお願いしたのですか? わたしの父や兄でしたら、わたしから無理を言わないように言っておきます」
「どういうことですか?」
「だって、レオンス様は、お願いされてわたしをエスコートしてくれるのですよね?」
私がお兄様のエスコートを断ったから。
まだ相手が決まっていないことをお父様に知られていたから。
レオンス様に、迷惑をかけてしまったのだろうと思った。
「そんなつもりじゃなかったのです。わたしはただ、レオンス様にエスコートしてほしいと思って、誘ってくれなかしら、って勝手に期待していただけで……わたしからお願いして、レオンス様に従ってもらいたくなくて。だから黙ってて、お兄様のお誘いも断って」
何もできなかった。
でも、何もできないなりに、わたしだって一生懸命だった。
結局、何もできなかったけど。
違う。
リュシエンヌお義姉様とオデットお姉様が頑張っていたことを、わたしは知っている。
何もできなかったんじゃない。
わたしは言い訳ばかりで、何もしなかったんだ。
「姫、待って──」
レオンス様の顔が揺れて滲んでいた。
どうしよう。人前で泣いたら、いけないのに。
「わたしがいつまでもこどもだから、レオンス様に見てもらえないままで──!」
このままでは、何を口走ってしまうか分からない。だからもう、おやすみなさいを言ってこの扉を閉めてしまわなければ。
まだ感情が溢れようとする唇に構わず、レオンス様に背中を向けた。
瞬間。強く腕を引かれたわたしは、硬い何かに額をぶつける。
それが何か理解するより早く、わたしはレオンス様の腕の中にいた。
「待てと言っているのです」
呆れたような声音に、涙も引っ込む。
心臓の音が耳元で鳴っている。
速さの違うそれにレオンス様の鼓動も重なっているのだと気が付いて、わたしの顔はそれまで以上に熱くなった。
でも、顔を上げた先にあるレオンス様の顔もわたしと同じくらいに真っ赤だ。
はくはくと動いたのは、どちらの唇だったか。
レオンス様はそれでも、わたしから目を逸らさなかった。
「──私はずっとセリーヌ様のことが好きなのです!!!」
飾り気の無い言葉と、ムードの無い場所。
それでもレオンス様の口から飛び出した言葉は、わたしがずっと望み続けていたものだ。
「学生のときから殿下と不穏分子の排除をして、ようやく陛下に頼んで姫の卒業パーティーでパートナーを務める許可までもらったのに。……陛下が姫に伝えていないとは思いませんでした」
「え……そんな」
それでは、まるでレオンス様がわたしのことをずっと好きだったみたいだ。
いや、聞き間違いでなければ、確かに今、レオンス様はそう言った。
「姫が卒業をし次第、正式に婚約の儀を行うよう話を進めていたのです」
「ええええええ!?」
わたしは悲鳴のような困惑の声を上げた。
だって、この人は何を言っているのだ。
レオンス様の口から、こんな言葉が出てくるなんて思わなかった。
「……本当は、卒業パーティーのエスコートの件は陛下から姫に伝えていただいて、その場で私から求婚をさせていただくつもりだったのですが」
レオンス様がそう言ったことで、わたしはレオンス様の考えをようやく理解した。
つまり、レオンス様の中では、わたしがレオンス様のエスコートで卒業パーティーに参加することは決定事項であり、わたしのドレスをレオンス様が選んでいることも当然であり、卒業してわたしが名実共に大人になったところで求婚してくれようとしていた。
何故か情報を止めていたのはお父様だ。
「──……わたしに言ったこと、忘れてなかったのですね」
「それは、当然。好きな子との約束ですから」
レオンス様の腕がゆっくりと緩められる。
見つめた瞳の中にわたしがいて、私はそれを見ていられなくて目を閉じた。
柔らかな唇が、そっと触れただけでゆっくりと離れていく。
「あ……」
初めての口付けだった。
レオンス様のことは、ずっと大人だと思っていた。
思っていたのに、目を開けた先にいたレオンス様は、大人というよりも、わたしと同じ恋心に振り回される一人の人間の顔をしていた。
「そ、それでは、パーティーの日、お迎えにまいります。おやすみなさいませ」
レオンス様が逃げるように踵を返す。
その背中に向かっておやすみなさいと呟いて、見えなくなったところでわたしは自室の扉を閉めた。
全てを見ていたアニーが、目を細めて笑っていた。




