結婚生活に大切なこと4
室内は白を基調としてすっきりと纏められていた。最低限の装飾こそあるが、それだけだ。引っ越したてのような雰囲気が、私の心を少し寂しくさせる。
でもよく見ると、必要なものは全て揃えられていることも分かった。真新しいドレッサーの前には化粧水らしい飾り瓶が並べられているし、机やソファ、ティーテーブルも、シンプルなものが置かれている。帰宅した私のためにか、テーブルの上には氷が入った水差しが用意されていた。
「室内の調度品や装飾は、これから奥様の好みを聞いて選ばれるとお聞きしています。よろしければ、浴室の支度ができておりますので、こちらへ」
私は言われるがままに移動し、部屋に備え付けの浴室で入浴をした。世話をされるのは断ったが、是非にと言われて従う。
甘い花と石鹸の爽やかな香りが浴室いっぱいに広がっている。なんだか、私自身が花になってしまうような気がした。でも、もしかしたらそれが正しいのかもしれない。
前をいくつものリボンで留めるレースがたくさんついた夜着に着替え、髪に香油を塗り込まれていく。丁寧に梳かされると、自慢の銀髪はさらさらと解れていった。それを緩くほつれやすいように纏められる。
「それでは、おやすみなさいませ」
侍女達が部屋を出ていく。一人残された私は、鏡の中にいる自身を見つめた。
自分で言うのも何だと思うが、本当に愛らしい見た目をしていると思う。この見た目に生んでくれた母には感謝だ。だって、綺麗なセドリック様の隣に並んでも、見劣りしないもの。
「……それで、これからどうしたら良いのかしら」
部屋の奥には扉がある。その先の部屋に何があるのか、私は知っている。
悩んだのは一瞬だった。うじうじ考えるのは性に合わないし、セドリック様のことは好きだ。
「逃げる……わけにもいかないし、こういうときは思い切って進むに限る!」
扉をノックもせずに思い切って開ける。そこは寝室で、中央に置かれた天蓋付きの綺麗な装飾のベッドには清潔な白いシーツが張られていた。
淡い照明に照らされた室内。窓辺に置かれたソファから、きしりと音がした。
「──姫、支度は終わったのか」
音は振り返ったセドリック様によるものだった。ソファの背凭れから、黒髪と整った顔が覗いている。
「は、はい。あ……ありがとうございます。それで、その……」
私はちらりと寝台に目を向けた。初夜といえば、ここから先は夫がどうにかしてくれるものだろう。私はそういう知識はあるけど、流石に誘い方までは分からない。それなのにセドリック様は、じっとソファに座ったままだ。
セドリック様が私の視線の先に気付いたのか、慌てたように首を振った。
「いや、今夜は寝台は使ってくれて良い。姫も疲れただろうから、ゆっくり休んでくれ」
「え……」
「私は姫に自由に過ごして欲しいと言っただろう。このような場面で、私の好きにするつもりはない」
「はあ」
「だから、安心して寝てくれ」
セドリック様はそう言って、また私に背を向けた。私はちらりと一人で寝るには明らかに大き過ぎる寝台を見て、それからセドリック様の背中に問いかける。
「……セドリック様はどうするのですか?」
セドリック様は私がいる場所からでも見えるように分厚い本を掲げた。薄暗くて題名は読み取れないが、何かの専門書だろう。
「私は、今夜はここで本を読んでいるから、気にしないでくれ。流石に、今日の着飾って隣で笑う姫を見て、今から隣で平然と寝るのは……無理がある」
本が下ろされ、セドリック様が俯く。
私はセドリック様がいるソファに歩み寄った。ぺたりぺたりと室内用の靴の踵が音を立てる。
正面に立ってセドリック様を見る。
セドリック様は着心地の良さそうな夜着に身を包んでいた。普段の制服や盛装とは違って、鍛えられた端正な身体つきが分かる。私は咄嗟に目を逸らした。これは、見てはいけないもののような気がする。
それでも勇気を振り絞って、もう一度正面からセドリック様の瞳をじっと見つめる。
「セドリック様」
声をかけると、セドリック様が熱心に読んでいた本から顔を上げた。近くに来ていたことには気付いていたらしいのに、あえて私を見ないようにしていたのだろう。
「な……っ! 姫は、なんという格好をしてるんだ!?」
本当に、真摯な人だ。
いかにも初夜のためですと言わんばかりの私の夜着から、セドリック様は慌てて目を逸らした。
「私は、姫じゃありません」
私がそう言うと、セドリック様ははっと視線を私に戻した。その目が探るように私の瞳を覗き込む。
こういうところが、私がセドリック様に惹かれた所以なのだろう。
「私はもう、姫じゃないんです。そんなものでいなくて良いんです。私は……今日から、オデット・カステルなんです」
「ひ、……オデット……?」
姫、と言いかけたセドリック様は、小さく首を左右に振って、そっと私の名前を呼んだ。
「はい、そうです。……セドリック様?」
「どうした」
私は屈んで、セドリック様と目線の高さを揃える。それから、大切そうに持っていた本を取り上げて、サイドテーブルに伏せて置いた。
「──私、市井育ちでそういうことはその辺の貴族令嬢なんかよりずっとよく知ってるんですけど」
「な、何を!?」
突然の告白に、セドリック様が驚いて目を見張る。それから私の話を遮ろうと、肩に手を伸ばしてきた。私はその手を掴んで、制止を振り切る。
止められる前にと、声を張った。
「聞いてください! ……知ってるんですけど、どうやって誘ったら良いのか、分からないんです。だから──……っ」
次の瞬間、私はセドリック様の腕の中にいた。
抱き締められていると気付いたのは、身体が自分以外の人の体温を受け入れた後だ。
セドリック様の身体は騎士らしくしっかりとしていて、その確かさにふと眩暈がする。
「良いのか?」
セドリック様が、私の耳元で囁く。
「そんなこと、聞かないでください……」
拗ねたように呟くと、セドリック様は小さく笑って、それが当然であるかのように私の唇を奪った。




