結婚生活に大切なこと3
それから一時間ほど経ったところで、私とセドリック様は会場を抜けた。途中で誰にも呼び止められなかったことが予想外で、同時に納得もする。それだけ、披露宴から抜け出すのが当然のこととして受け入れられているのだ。
同じ馬車に乗って、カステル侯爵邸に向かう。セドリック様は私のために細やかな気遣いをしてくれた。馬車に乗るときのエスコートは当然のこと、馬車の座席のクッションは新しいものだったし、軽食も用意されている。挨拶続きで全くといっていいほど何も食べられずにいた私は、美味しそうなサンドイッチを見て思わず瞳を輝かせた。
「これ、食べていいんですか?」
「勿論。貴女のために用意させたんだから、好きに食べて構わない」
「やった! ありがとうございますっ」
籠を受け取って、早速サンドイッチに齧り付いた。しっとりとしたパンに、ローストビーフとレタスが挟まったシンプルなものだったが、マスタードソースが良いアクセントになっている。
「美味しい……」
呟いて、もう一度ぱくりと食べる。中央に近付いたからか、よりソースの味が強くなった。屋台で売っているもののようなカジュアルな美味しさを、最高の食材によって思いっきり高級に作ったような味だった。
あっという間に食べ終えてしまって、二つ目を手に取る。今度はエビフライが入っていた。
「良かった。邸の者が、姫のために用意したものだから」
セドリック様の声に、私ははっと顔を上げた。正直、サンドイッチが美味し過ぎて同乗者がいることを忘れていたのだ。ついでに初夜が不安だと思っていたことまでまるっと忘れていた。我ながら、なんて都合のいい頭をしているんだろう。
「邸の者?」
「料理人達が、街で評判の屋台やレストランを食べ歩いてきたらしい。姫が市井育ちだと話したところ、少しでも過ごしやすいようにと気合いが入ったようだ」
その話に私は目を見張った。侯爵邸の人達は、私を歓迎しようとしてくれている。それがとても嬉しかった。
「そんな……ありがとうございます」
僅かに潤んだ瞳でお礼を言うと、セドリック様が頷く。
窓から見える王城は、いくらか小さくなっていた。結局何の思い入れがなかった王城と、王女の部屋。戻りたくないあの場所の記憶を、心の奥にしまう。
「着くぞ」
セドリック様がそう言って少しして、馬車は邸宅の正門をくぐった。前庭は小さめに作られているようで、すぐに止まる。馬車の扉が開き、セドリック様が先に降りて手を差し伸べてくる。それに右手を預けて降りると、玄関扉が左右に開かれ、その奥には二十人以上の使用人が姿勢正しく並んでいた。
つい気後れしそうになった私を、セドリック様の手が中へと促す。邸の中に入って玄関扉が閉まると、使用人達は一斉に頭を下げた。
「奥様、いらっしゃいませ。旦那様、おかえりなさいませ」
一糸乱れぬ動きは、王城の使用人と比べても見劣りしない。それだけの教育ができる家なのだ、このカステル侯爵家という家は。
そう思うと、私はセドリック様が最初に言った言葉を疑い始めた。こんな明らかに華やかな貴族の邸で、芝生に寝転がったり自由に振る舞ったりできるわけないじゃない。
しかし同時に頭に浮かぶのは、さっきの馬車の中で食べたサンドイッチだ。間違いなく、この邸の人は自分を歓迎してくれていると思える。だって、サンドイッチが美味しかったから。
だから、もし自由がなかったとしても、きっとあの厳しいばかりの王城よりはましなはず。
「オデットと申します。きょっ、……今日からよろしくお願いします!」
噛んだ。
私の隣で、セドリック様が思わずと言ったように笑う。私はセドリック様を睨み付けて口を開いた。
「笑わないでください」
「すまない。つい……」
「もう」
拗ねたような声が出る。
私達が玄関から動かずに話していると、いかにも執事ですという風貌の髭を生やした使用人が一歩前に出てきた。
「旦那様、奥様もお疲れでしょう。お部屋でお召し替えをなさるのがよろしいかと」
「そうだな、アベル。姫を頼む」
「承りました」
私は使用人達の中から歩み寄ってきた女性達を見る。服装は他の使用人と同じなのだが、彼女達の首にはピンク色のブローチをあしらったリボンがついていた。
どうやら使用人頭らしいアベルは、私に向き直って柔和な微笑みを浮かべた。
「彼女達が奥様付きとなる侍女でございます。後ほど自己紹介をさせていただきますので、まずはお部屋でゆっくりなさってください」
「ありがとうございます」
「──どうぞ奥様、こちらでございます」
侍女の一人が私を先導してくれる。カステル侯爵邸は、邸の中も外観に見劣りしない美しさだった。廊下には窓があり、そこから裏庭が見える。前庭が小さい分、こちらが多く取られているらしい。夜の闇の中でははっきりとは見えないけれど、どうやらかなり広いということだけは分かる。
階段を上って少ししたところに、立派な扉があった。
「こちらが奥様のお部屋でございますわ」
侍女が左右から扉を開ける。帰宅に合わせて明かりをつけておいてくれたのだろう、既に明るくなっている部屋の中に入って、私はくるりと一回転した。




