結婚生活に大切なこと2
「本日は我が妹オデットと、セドリック・カステル侯爵の結婚披露宴への列席、心より感謝します。二人とも、結婚おめでとう」
壇上のジョエル殿下は王子様らしく美しい立ち姿で話し始めた。
通常ならば、王族の結婚式で代表挨拶をするのは王様だ。でも今回は私の事情の特殊さと、ジョエル殿下が是非自分がと言ったために、こうして王太子が挨拶をしてくれている。
「さて、私とリュシエンヌも少し前に結婚をしている。だから、この場では先輩として、結婚生活について話したい。私よりも先輩は多くいるだろうが、若者の言うことだと大目に見てくれるとありがたい」
ジョエル殿下は相変わらずの美形ぶりだ。卒業して結婚してからは、より王太子らしくしっかりとしてきたと、評判も上々なようだった。
私から見ても、こんなときでもやはりジョエル殿下はきらきらと眩しく見える。これが本物の王族のオーラというものだろうか。私には絶対に真似できない。
「オデット、セドリック、結婚おめでとう。私は少し前に、結婚したばかりだ。だが、そこに至る道のりは大変なものだった。長く話しても退屈させるだろうから詳しくは割愛するが……今日伝えたいことは一つ!」
ジョエル殿下が、びしぃ、と効果音がつきそうなほどの切れの良さで、右手の平を私達に向けた。
「オデット、結婚生活において大切なものは何だと思う?」
その瞳はとても真剣だ。私は姿勢を正して、真面目に考えた。
結婚というと、長く夫となる人と連れ添うものだろう。ならば、最も大切と言えるものはきっとこれだ。
「──……ええと、愛情ですか?」
ジョエル殿下が、小さく首を傾げて言った私から視線を逸らす。
「それも大切だ。ではセドリック、貴殿はどう思う?」
どうやら期待された答えとは違ったようだ。
ジョエル殿下は、今度はセドリック様に尋ねた。
「思いやる気持ち、でしょうか」
セドリック様は自分も尋ねられるだろうと身構えていたのか、さらりと答える。
ジョエル殿下は何度か頷いて、口を開いた。
「愛情、思いやる気持ち……どちらも大切だ。だが、それ以上に大切なものがある。それは──」
会場中の皆の視線がジョエル殿下に注がれる。次期国王として、王族として、そして最近結婚した若者の言葉として。続く言葉を誰もが待っていた。
そしてそのよく通る声が、熱を持って響く。
「──カクホウレンソウだ!!」
「カク?」
「ホウレンソウ?」
首を傾げる私の隣で、セドリック様が目を瞠っていた。
ジョエル殿下はくうう、と呻くと、右手をぎゅうっと握って、力強く語り始める。
「確認、報告、連絡、相談……どんなに愛があっても、思いやっていても、それを怠ると大変なことになることがある。逆にそれさえしっかりとしていれば、大抵の問題はどうにかなるのだ!」
「……殿下?」
「ああ、俺は大変に苦労した……リュシーが俺を好いていてくれたからこそこうして結婚できたが、もし政略として割り切られていたとしたら……考えるだけでも……」
ぽかんとしている私の前を、今日も美しく着飾っているリュシエンヌ様が横切っていく。すたすたと最低限の足音で移動して、気付くと壇上にいるジョエル殿下の斜め後ろに立っていた。
そして、自分の世界に片足を突っ込んでいるジョエル殿下の背中を、思いきりよく扇でぴしりと叩く。
きっと私とセドリック様がいる席以外からは、扇の挙動は見えていないだろう。ジョエル殿下の話を聞いていたリュシエンヌ様が、寄り添いに行ったようにしか見えなかったに違いない。
「ジョエル様、しっかりなさいませ」
しかし私は確かに、リュシエンヌ様の口がそう動くのを見た。
ジョエル殿下はびくりと身体を震わせたが、すぐに立て直して咳払いをした。
「──こほん、話が逸れた。二人は互いによく会話をし、時間を重ねていってほしい。改めて、結婚おめでとう」
言葉と共に、あちこちでグラスが重ねられる。私もセドリック様とそっとグラスを重ねた。涼やかな音が耳に優しい。
華やかな音楽が流れ始める。舞踏会の始まりだ。王様と王妃様が、ファーストダンスを踊り始めた。
私とセドリック様もそれに続いて、フロアの中心へと踏み出す。
くるくると周り移ろう世界が、まるで夢のようだ。
「楽しそうだな」
セドリック様の唇は弧を描いていて、私も余計に嬉しくなる。
「運動は、昔から得意なの。これでも、木も登れるわよ」
「だろうな。窓から脱出しようとするお姫様なんだから」
引き寄せられた身体が熱を持つ。
多くの人に見られているのに、今この場でも品定めされているのは分かっているのに、そんなことも気にならないくらいに楽しかった。
私達がダンスを終えて端に戻ると、待っていたというように皆が踊り始める。私は果実水を軽く飲むと、なんとなく会場を見渡した。
テラスにはジョエル殿下とリュシエンヌ様がいた。王太子夫妻がこんな端でどうしたのだろうと思って見ていると、セドリック様が気になるならば声をかけに行こうと提案してくれる。
すれ違う人に挨拶をしながらテラスに近付く。呼びかけるために口を開こうとしたそのとき、リュシエンヌ様の声が聞こえてきた。
「ジョエル様、私は、あのような話をされるとは聞いておりませんわよ?」
どうやらジョエル殿下は説教をされていたようだ。
セドリック様が私の前に手を出して、少し待つように促す。私は足を止め、カーテンの影に身を潜めた。
「い、いや……教訓を話すと言っていただろう?」
「それで?」
「だから、俺の教訓を……」
教訓を話すとだけ言ってさっきの話をしたのならば、それは間違いなくカクホウレンソウができていないだろう。
「あ……ああ。そうだ! リュシーの好きな果実酒が今日はあるんだ。用意させるから待ってて」
「あ、ちょっと!?」
ジョエル殿下はそう言うと、テラスから会場内に慌てて戻ってきた。私達の姿を見て驚いた後、照れたように笑って、すぐに給仕に声をかけに行く。
私は思わず吹き出して笑ってしまい、一人テラスに残ったリュシエンヌ様に話しかけた。
「殿下、逃げちゃいましたね」
「逃げたわね……もう。仕方のない人なんだから」
リュシエンヌ様はそう言って、それはそれは上品に深い溜息を吐いた。




