会えない時間が育てるもの5
「産まれたときからお嬢様だった人達は、周りにそういう人がいて見て育ってる。だから、どうやって振る舞うのかを知ってるの。それが当然だから。……だから私みたいな急ごしらえの姫が、同じようになろうとするなんて無理なのよ」
私はそう言って、また芝生に寝ころんだ。
風が吹く。ざああ、と草を揺らして、消えていく。私の髪も浮き上がって、視界の端に銀色がちらついた。昼間に見ると桃色がかっている。この色が王家で遺伝するものでなければ、私は今も自由に生きていたのかもしれない。でも、ラマディエ男爵に引き取られたのは髪色のせいではなかった。あれは、孤児院で私の見た目が目立っていたせい。
じゃあどこまで遡れば、私は自由でいられたの? ママが死んじゃわなければ、私は村で平凡に生きていたのかな。
振り返ってみると、裕福な暮らしは手に入ったけれど、代わりになくしたものが多過ぎる。
「どうして私、王女様なんかやってるんだろう。絶対、向いてないのに」
向いてるとか向いていないではなく、王女とは血筋によってなるものだ。そのくらい私にも分かっているけれど、どうしても言わずにいられなかった。
最初に会ったときに一番情けないところを見られたせいだろう。どうもセドリック様の前では、いつも以上に繕うことができなくなる。
私の弱音を黙って聞いていたセドリック様は、私の方を見ないまま、口を開いた。
「早く嫁に来い」
私は勢い良くセドリック様の方を見た。突然何を言うのだ。
「話聞いてました!?」
「聞いている。私の家に来たら好きに過ごしてくれていいと言っているだろう」
私を見下ろすセドリック様は、穏やかな顔をしていた。
本当に、好きに過ごして良いのだろうか。私が好きに過ごすっていったら、例えば、下町で食べ歩きをしたり、川に釣りに行ったり、こうして芝生の上で転がったり。
「でも……」
どう考えても、侯爵夫人がやっていい行動とは思えない。
しかしセドリック様は、それがどうしたというように鼻を鳴らした。
「最初から、オデット姫にそんなものを望んでいない」
「はあ!?」
「自由に生きて良い。自分を殺して生きる姿は、君には似合わないから」
ぽかんと口を開けたままでいる私に、セドリック様はそれが当然であるように言う。
私はなんだかおかしくなって、思わず声を上げて笑った。もしかしたら私は、二週間後には、最高の旦那様と結婚するのかもしれない。
私の笑顔を見て、セドリック様も笑う。気負わない自然な笑顔は、私の心の柔らかいところに触れて、すうっと馴染むように溶け込んでいった。これはいけないと思いながらも、私の頬は理性など相手にせずにどんどん熱くなっていく。
どうしよう。セドリック様は格好良いと思っていたけれど、急にものすごく恥ずかしくなってきてしまった。今更過ぎて、恥ずかしがっていると気付かれることすら恥ずかしい。
私が両手で顔を覆うと、セドリック様は笑うのを止めて溜息を吐いた。
「……邸に芝生を作っておく。そこで好きなだけ寝ころんで良いから、今は起きてくれ」
指の間を少し開いて覗くと、セドリック様が右手を私に差し出している。この手を取って起き上がれという意味だろう。だが、突然どうしたのだろう。
私が首を傾げていると、セドリック様は勝手に私の手を掴んで引き起こしてしまった。
「どういう──」
咄嗟に言い返した私の背中を支えて、セドリック様は俯いた。
「そんな姿を、他の男に見られたくない。たとえ騎士や聖職者であってもだ」
私は今度こそ、驚き過ぎて言葉が出てこなかった。よく見ると、確かにセドリック様の耳は僅かだが赤くなっているし、私に触れている腕もほんの少しだけ震えている。これはもしかして、照れているのだろうか。
「セ、セドリック様──……ちゃんと、そういう気持ちもあったんですね」
正直、とんでもない朴念仁だと思っていた。
「失礼な。私は興味がない相手に求婚するような男ではないぞ。あのときは……そう、空から降ってきたオデット姫が、自由の象徴のように見えたんだ」
「自由?」
「ああ。だから、籠から出してやりたいと思った。私の手で。──まあ、冷静になってみれば、私に嫁いできても新しい鳥籠に入るだけかもしれないが」
セドリック様が自嘲するように鼻を鳴らす。
私は思わず正面からセドリック様の瞳を覗き込んだ。
「そんなこと、考えてたの?」
「会わずにいる間に気付いたんだ。自由を求めていたのは、オデット姫ではなく私の方だった。手に入らないそれの代わりに、自由の象徴だった君を求めた。──騎士として情けない」
「セドリック様……」
「それでも、君の姿を一番近くで見ていられたなら、きっと楽しいだろう。今日側でオデット姫を見ていて、どうしてもそう思う気持ちは捨てられなかった。……だから私は、求婚を撤回するつもりはない。どうかできるだけ居心地がいい籠にするから、私の側で笑って欲しい」
セドリック様はそう言うと、私の手に口付けを落とした。
私は改めてされた求婚に、熱くなっていた頬が更に温度を上げたのを感じた。同時に、どうしようもない怒りが湧き上がる。その相手はセドリック様ではないのに、私の口は勝手に動いていた。
「今更撤回なんかされたら私が困ります。そんなこと、絶対に言わないでくださいね。それに、自由の象徴とか、手に入らないとか、新しい籠とか……勝手に決めてますけどね。その場所を檻だって決めつけているのは、セドリック様なんじゃないですか? 私もセドリック様も、籠から出られない鳥じゃないんです。だから、だから……そう! そこは籠じゃなくて、家なんです!」
「家?」
「そうです。だからセドリック様。一緒に居心地がいい家にしましょう?」
なんだか良いことを言った気がする。私は満足感から思い切り胸を張った。
セドリック様は予想外のことを言われたという顔でしばらく固まっていたが、少しして突然笑い出した。
「は、ははは。ああ、そうだ。そうだな」
それから、私の背中に両腕を回して──ってこれ、抱き締められてる! セドリック様の胸は想像以上にしっかりしていて、僅かに汗の匂いが混ざったコロンの香りが、私の思考を解かしていく。
「ありがとう……オデット」
低い声が耳のすぐ側で甘く響く。くらくらと眩暈がした。嫌ではない。むしろもっとと強請りたくなってしまう自分に必死で待ったをかける。ここでそれを言ったら、王女としてとか関係なく、色々と駄目だ。
「セ、セ、セドリック様……っ」
混乱して名前を呼ぶが、次の言葉が続かない。どうしたら良いか分からず困っていると、いやにわざとらしい咳払いが近くで聞こえた。
それにどきりとしてばっと勢い良く離れると、私達を囲むように子供達がいた。彼等を黙らせていたのはジョエル殿下とリュシエンヌ様のようだ。
「──あー、面白い見せ物……じゃなくて、二人の時間を邪魔して悪いが、それ以上は子供達によくないかなあ、と」
「そ、そうですわよ。もっと見たいなんて、思ってないんですからね」
止めているんだかいないんだか分からない二人と、その周りで囃し立て始める子供達に、私はそれ以上その場にいられず、立ち上がって逃走した。目的地は、孤児院の建物の中だ。できれば控室で顔を整えたい。
「待ってくれ!」
セドリック様が慌てて追いかけてくる。そういえば護衛の任務だって言っていた気がする。離れてしまうわけにはいかないだろう。
私は立ち止まってセドリック様が追いつくのを待ち、今度は歩いて建物の中に向かった。




