会えない時間が育てるもの4
視察はつつがなく進行し、後は子供達と遊んで、王城に帰るばかりとなった。
私は気付かれないよう小さく溜息を吐く。帰りたくないのだ。王都の教会は流石の荘厳さで気後れしたものの、孤児院の居心地は悪くなかった。子供達は生意気でも可愛らしくもあり、王族が珍しいのか、良く懐いてくれた。
子供と遊んでいるという言い訳の下では、私が多少走ろうが、怒ろうが、誰も何とも思わない。面倒見が良い姫だと好感度が上がりこそすれ、行儀が悪いなんて言う人はいないのだ。
「ああ、幸せ……ここが天国かもー……」
「姫様、何言ってんだー?」
「煩いわね。大人には大人の事情ってのがあるのよ」
独り言に突っ込みを入れてきた男の子に、気軽に言い返す。男の子は笑って叫びながら走っていった。走っていった方向にはジョエル殿下がいるから、きっと剣の稽古をしてもらうんだろう。ちなみにリュシエンヌ様は、建物の中で本を読んであげているらしい。
私は庭の芝生に座って、両足を伸ばした。空が青い。秋の日差しは優しく、穏やかな風が頬を撫でていった。ちなみに私の側にも子供達はいて、それぞれ芝生に寝ころんだり、花冠を作ったりしている。
このままこうしていられたら、どんなに幸せだろう。
目を閉じたら眠ってしまいそうだ。私は思い切って、上半身も芝生に預けた。草が押しつぶされ、少しだけ周囲に舞う。子供の何人かが真似をして同じように寝ころんだ。笑い声が聞こえる。
青い空に、白い雲がゆっくりと浮かんでいる。空を飛んでいる鳥達は、どこに向かっているんだろう。視線で追いかけていくと太陽があって、あまりの眩しさに目を細めた。
瞬間、黒い影が光を遮る。
「──流石に、寝るのはどうかと思うが」
「うわっ!」
驚いた私は、跳ねるように上体を起こした。
がん、と大きな衝撃音が頭に直接響き、一瞬目の前がちかちかする。
「いった……あ」
「う、うう……」
思わず声を上げてぶつかった相手を確認すると、そこには頭を押さえているセドリック様がいた。どうやら私に声をかけたセドリック様の頭と、私の額がぶつかってしまったらしい。
他の騎士達は少し離れたところにいて周囲を警戒しているから、わざわざ私の側で話をしているセドリック様は若干浮いている。
「何してるんですか?」
「な……にって、仕事だ。この庭の警備と姫の護衛が、私の今日の仕事だから」
セドリック様は頭から手を離した。ぶつかった衝撃からして、きっと私の頭の方が固かっただろうと思う。なんとなくセドリック様の方が痛そうだもの。
私はそれでもあえて額に手を当てたまま、苦笑した。
「そうでしたね。私に怪我させてますけどね」
「そうだ、オデット姫。額は大丈夫か!?」
想像通り、セドリック様は焦った様子で私の額を見つめてくる。ちょっと脅かしてやろうとしただけで、本当はもう大して痛くない。それでも、セドリック様の顔が青くなっているのが少し面白かった。
とはいえそんなに慌てさせるつもりもなかったので、私はすぐに手を離す。
「ちょっとぶつけただけです。別に、騒ぐほどのことじゃないし」
「それなら良かった」
セドリック様が安心したというようにほっと息を吐く。セドリック様にとって今日の私は護衛の対象なのだから、当然といえば当然だ。
そのとき、さっき馬車を降りたときの会話をふと思い出した。あのときセドリック様が私にとって大事なことを言っていたような気がする。
「あの……殿下に無理を言って護衛に捩じ込んでもらったって、言ってましたよね。……本当ですか?」
私は上目遣いでおずおずと聞いた。
セドリック様も私に会いたかったのかもしれないと思うと、心が弾む。久しぶりに楽しい気分になってきた。どうして心が浮ついているのかなんて、深いことはあえて考えない。
セドリック様は薄く笑って、私の隣に腰を下ろした。座って良いのかと聞くと、今は休憩中だと答えが返ってくる。そうかと軽く頷くと、セドリック様はじっと私の瞳を覗き込んだ。綺麗な空色に私の顔が映り込む。その表情はまるで恋する乙女のようで、私の鼓動がどんどん速くなっていった。
「ああ。このままでは、結婚式当日まで会えないのではないかと思って」
「う」
その言葉は、私の期待を大きく裏切って、斜め上から降ってきた。
セドリック様は呆れたように笑っている。確かセドリック様は、私の教育が終わるか、結婚式を挙げるまで、接触を禁止されたと言っていた。つまり、この言葉の意味は。
「まさかこんなにも、姫の教育に時間がかかると思っていなかった。相変わらず脱走してるのか?」
やはり、私をからかうものだった。
「してません! だけど、無理だって分かったの。……私が真面目にやっても、最初からあんな風になれるわけがなかったのよ」
「あんな風?」
セドリック様が首を傾げる。
私は、丁度庭に出てきたリュシエンヌ様に目を向けた。相変わらず、子供達と両手を繋いでお喋りしながら歩いていても、美しさが崩れない人だ。
気付けば私は、ずっと思っていても誰にも話していなかった弱音を溢していた。




