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悪役令嬢は最愛の婚約者との婚約破棄を望む【連載】  作者: 水野沙彰
第2部

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会えない時間が育てるもの3

「あら、自覚がなかったのかしら? ……もしかして、視察が不安だからではないの?」


 リュシエンヌ様が言う。

 私は、その指摘にどきりとした。視察が不安かと聞かれたら、不安ではないわけではないと思う。しかし、教会併設の孤児院は、オデットにとってはあまり身構える場所ではない。なんなら、王城にいるよりもずっと緊張しない場所でもある。

 だって私は十歳からの三年間、孤児院で育っているのだから。その場所の不条理も居心地の良さも、将来の不安定さまで、私は子供の目でしっかりと見て知っている。

 でもそれなら、どうして気持ちがこんなに揺れているのか。分かり切った理由から、私は全力で目を逸らしていた。


「い、いえ。そうです! 初めての視察だから緊張して!」


 ジョエル殿下が、小さく首を振る。


「──リュシー、聞いてやるな」


「ジョエル様?」


 リュシエンヌ様が、不思議そうな目をジョエル殿下に向ける。ジョエル殿下はその疑問に答えようと、僅かに胸を張った。


「そんなの、カステル侯爵が一緒じゃないからに決まってるだろ」


「あっ」


 リュシエンヌ様の目が、ばっと私に向けられる。そこには確かに気遣いと好奇心の色が浮かんでいた。

 私は慌てて首を左右に振る。


「違いますからっ! あんな、全然会おうともしてこない人のことなんて、これっぽっちも気にしてませんから!」


「ご、ごめんなさい、オデット様」


 気にしていないのだ。だから、お願いだからそんな目で私を見ないでくれ。


「違うのー!」


 全力で否定している私をどう思ったのか、ジョエル殿下が手をひらひらと振った。


「いやほら、今日の視察は王族以外が行くわけにいかないだろ? だからほら、馬車には俺達三人しかいないわけで──」


「そんなこと分かってますっ」


 王族の視察で、結婚前の男が侯爵とはいえ一緒に来るはずがない。いくら私が馬鹿でも、そのくらい知っている。

 だから別に、セドリック様がここにいないことを不満に思っているわけじゃない。


「そうじゃないんだなー!」


 ジョエル殿下が背凭れに身体を預け、溜息と共にどこか投げやりに言葉を吐き出した。


「じゃあ何なんですか」


 私は頬を膨らませた。ジョエル殿下はリュシエンヌ様と毎日一緒に過ごしている幸せな人だから、今の私の気持ちなんて分からないんだ。

 私が不機嫌を全身で表現しているのを見て、ジョエル殿下が慌てて身体を起こし、手をぱたぱたと忙しなく振った。


「いや、侯爵もオデットに会いたいとは思ってると思うぞ。だってほら実際──」


「婚約してから一度も会ってないですし! 手紙すら届きませんが!?」


「それはな、オデット──」


 私がどうしようもなく惨め過ぎる内情を口にして、それにジョエル殿下が何かを言おうとした、そのとき、馬車の扉が外から軽く叩かれた。いつの間に馬車は止まっていたのだろう。

 どうやら目的の場所に着いたようだ。ジョエル殿下が、ほっと息を吐く。


「到着いたしました」


 無機質な声は、騎馬でついてきていた護衛の兵のものだろうか。私はその声に応えるようにして立ち上がって、内側から扉の鍵を開けた。


「ジョエル殿下に言い訳をしてもらわなくてもいいです。どうせセドリック様にとって私は、その程度ってことだから」


「そうじゃなくて、あのな──」


 自分から出た硬い声に気付かないふりで、扉を開ける。ここが目的地である孤児院の側ならば、きっと民衆の視線があるだろう。私は頑張って背筋を伸ばした。そっと横から差し出された手袋をしている大きな手に、習った通りの作法で自分の右手を預ける。

 一歩、二歩。馬車の乗り口に置かれた段を降りて、地面に足がついた。後から降りるジョエル殿下とリュシエンヌ様のために横に移動して、うっすらと微笑みを浮かべる。

 馬車は教会の前に止まっていたようで、少なくはない見物人がこちらを見て口々に何かを言っていた。その視線に負けないようにと気合いを入れようとしたそのとき、右手を預けていた騎士が一瞬だけ私の手を軽く握った。


「──王妃様から、姫の教育が完了するか結婚するまで、一切の接触を禁止されている。不安にさせていたなら、申し訳ない」


 驚いて騎士の顔を見ると、そこにはもう何か月も見ていなかった、婚約者──二週間後には結婚し、夫となる男の顔があった。

 相変わらずの分かりにくい声と、表情の乏しい顔だ。しかし氷のようだと称される瞳は、私にはやはりどこか優しい空の色に見える。


「セド──……っ!?」


 叫びそうになった私は、セドリック様にまたきゅっと手を握られた。


「黙って。殿下に無理を言って、今日の護衛に捩じ込んでもらった身だ。騒ぎを起こすのはまずい」


 今度は存在を知らせるためではなく、注意するためだったようだ。私は慌てて口を噤み、微笑みを顔に貼り付け直す。

 さっきの失態を見られてしまったかとさりげなく周囲を確認するが、どうやら大丈夫だったようだ。仲睦まじい王太子夫妻の方に、皆の視線が集中している。よく見ると、ジョエル殿下がリュシエンヌ様にちょっかいを出していたようだ。こちらをちらちらと気にしているから、あえてそうしてくれたのだろう。


「なんで、貴方がここにいるんですか」


 顔が見たい気持ちを堪えて、前を向いたまま小さく聞く。

 セドリック様は私以外の誰にも気付かれない程度に小さく笑った。


「顔が見られていなかったから、心配したんだが……相変わらず元気そうだな」


 呆れが混じったその声に、私は何も言えなくなる。次に会ったら言おうと思っていた文句が、心の中で泡になって消えていった。

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