悪役令嬢になりそこねた女4
「はあ!? 貴族令嬢でしょ、お姉様!」
私は咄嗟に大きな声を上げる。貴族女性といったら、仕事をする印象はない。少なくとも平民からしたら、そんなことをする必要などないだろうという感想しか出てこない。
「オデット様。呼び方、戻っていますわ」
元に戻ってしまったレア様の呼び方を、リュシエンヌ様が訂正する。私は気まずい気分で、言葉を選んで言い直した。
「あ……ええと。レア様は貴族ですし、そういったことはあまりしないのかと」
レア様が苦笑する。
「まあ。それは少し古い考えよ、オデット。当然公言する者はそう多くはいないけど、今どき、貴族の妻も趣味に打ち込んだり、お仕事をされることもあると聞くわ。むしろ作家ということなら、あまり驚くこともないでしょう?」
「どういうことです?」
「だって、私達が読んでいる恋愛小説を書いているのは、殆どが貴族階級の方だもの」
「そうなの!?」
レア様の言葉に、私は今度こそ固まった。何故って、レア様が好んで読んでいたような恋愛小説は、貴族の間ではあまり公然と口にすることに抵抗がある種類の趣味だからだ。他人の恋愛話を楽しむ下世話者と、口さがなく言う者もいる。
しかしレア様は当然のように続ける。
「そうでなければ、ああも詳細に貴族のしきたりや礼儀作法に精通されているはずがないでしょう。王城の内部のこともある程度知らなければ書けないこともあるから……皆様、素性は隠していらっしゃいますけど」
「それは、そうかも」
言われてみれば、作り物とはいえ恋愛小説には男爵令嬢やら侯爵令嬢やら王女やら王子やら騎士が当然のように登場する。楽しく読んでいるときには気付かないけれど、知らなければ書けないというのはその通りだ。
「でしょう?」
レア様は昔から、好きなものについて話すときは普段が嘘のように饒舌になる。興奮しているのか僅かに赤くなっている頬は、年若い令嬢らしく可愛らしくも見えた。不細工ではないのだから、もっと普段から明るくして、着飾れば人生変わるのにと何度か言ったことがあるが、本人はこれで充実した生活を送っているから不足はないらしい。
「まあ、とりあえず、おめでとうございます」
私がそう言うと、レア様は嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
隙を突いて、リュシエンヌ様が身を乗り出す。
「だから、オデット様のお話も……」
「それは嫌です」
振り出しに戻った話を、私はまたも断った。
リュシエンヌ様は心底残念だというような表情で、ティーカップに指を添える。さっきから随分取り乱しているはずなのに、優雅な素振りが崩れていない。これはもう産まれてから今までの積み重ねによるものだろう。周りにいた人達もこうだったから、こんなに自然に振る舞えるのだ。
それなら、私が逆立ちしたって敵うはずがない。
「どうしてかしら? 折角この上ないヒロインとしての才覚を持っていらっしゃるのに」
リュシエンヌ様の何気ない言葉が、私の心に刺さる。それは、前にやらかした大きな失敗だ。
「──……じゃないから」
「え?」
「私は、ヒロインじゃないから。私が勘違いしたせいで、リュシエンヌ様にも、他の人にも迷惑かけて……それに、こんなところで暮らすはめになって。ヒロインだったらそんなことないの! だから、もうヒロインだなんて、絶対に思い込んだりしないの!」
「え……ええ……?」
言い切ると、リュシエンヌ様は驚いたように目を見開いていた。それでも納得できないと、顔に書いてある。
「なんですか。何か言いたそうですね」
「ええ。それでもオデット様には、ヒロインの適性があると思いますわ。女の子ですもの」
真面目な顔で言うリュシエンヌ様は、自分を客観的に見てきたら良いと思う。まあ、それができていない私が言えたことではないけれど。
「ヒロインっていったらリュシエンヌ様です。知らないんですか? 最近は自立した人とか、悪役令嬢っていう人達がヒロインになるお話の方が流行ってるんですよ」
「いつの間に!?」
驚いているリュシエンヌ様に、レア様が控えめに笑い声を上げた。
「ふふ……リュシエンヌ様、正統派がお好きですものね。後で私のお勧めをお貸しします」
「あ、それなら、あれがいいと思う。あの『悪役令嬢はワケあり殿下の溺愛から逃げられません』ってやつ」
ラマディエ男爵家にいた頃、図書室にあったレア様の蔵書を色々と読ませてもらったけど、あれは面白かった。私は平民の成り上がりものの方が好きだったけど。今思い出してみたら、あの話に出てくる悪役令嬢だというヒロインは、リュシエンヌ様に似ている気がする。
「オデット、それも読んでたのね……」
レア様が、呆れたというように溜息を吐いた。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。最初こそ構えていたけれど、途中からは久しぶりに同年代の女の子同士話せるのが嬉しくて、すっかり時間を忘れていた。なにせ王城で側にいる人は、私よりずっと歳上が多くて、気軽に話なんてできない。うっかり言葉遣いを間違えたらすぐに叱られてしまうから、できるだけ静かにしていようとするばかりだ。
「今日はお時間ありがとうございました、オデット様。それでは、またお会いしましょう」
「オデット、次会うまでには、もう少し作法を学んでおいても良いと思うわ」
リュシエンヌ様とレア様が挨拶をして、中庭を去っていく。レア様も姿勢良く歩いているし、リュシエンヌ様に至ってはもう歩くだけで周囲の視線を引きつけるほどのオーラを纏っている。
「な……なるって決めたんだから。最高の淑女……」
しかし、それがあのリュシエンヌ様のような振る舞いが自然にできることを指すのなら。
「もしかして、無謀かもしれない……!?」
今の私がどれだけ頑張っても、なれる気はしなかった。




