オデット・ラマディエだった者3
「ぐぇ」
姫としては出してはいけない類いの声が出た。
どうやらセドリック様の肩に担がれたらしい。さっきまで空を見ていたのに、今は芝と緋色の背中しか見えない。
「色気がないことですね。……少し揺れますよ」
次の瞬間、目に見える芝が、すごいスピードで流れていった。当然頭はがくがく揺れる。
「何!?」
「舌を噛む。黙れ」
──べしっ
え。私、太もも叩かれた?! セドリック様って変態?! 冷徹騎士って本当だったんだ! やだ怖い! 怖い怖い怖いっ!!
目と口をぐっと閉じて揺れと恐怖に耐える。左右に何度もジグザグに走っていることは分かるが、どこへ向かっているのかは目を閉じていて分からなかった。今更目を開けるのも怖い。開けて、とんでもない場所だったらどうしよう。
しばらく走ってようやく揺れが収まり、私はそれまでの扱いが嘘のように丁寧に地面に降ろされた。足に力が入るはずもなく、力なくぺたりと座り込む。
「すいません。追われているようでしたので」
相変わらず温度のない声で、セドリック様は言った。
恐る恐る目を開くと、そこは薔薇の壁に囲まれた小さな庭園だった。あまり広くない空間ながら、色とりどりの花が咲き乱れ、小さいけれど噴水も置かれている。男爵令嬢になってから何度か王宮を出入りしているが、初めて見る場所だ。
周囲には私達以外には誰もいない。どうやらセドリック様は、私をあの場から逃がしてくれたらしい。途端にセドリック様の印象ががらりと変わる。
「ここは、薔薇の庭園迷路の中です」
王宮の庭園迷路……! 私も話だけは聞いていたけど、迷う自信があったから、一度も立ち入ったことはなかった。それがこの場所だと言うのなら、勿体ないことをしていたと思う。
「初めて入りました……! すごいです!」
「そうですか」
私は目をキラキラと輝かせてしまう。だってここはきっと、庭園迷路の中でも幻とされている『天使の庭』だ。噂で聞いていた通りの景色だ。
「あの……ありがとうございます、セドリック様」
私は頬を染めて手を合わせ、上目遣いで見上げる。これは、私がやると優しくしてくれる男性が多いから、いつからかよくやるようになった動きだ。
それなのに、セドリック様は一瞥しただけで噴水に目を向けた。
「良かったですね」
本当に冷たい人だ。せっかくここまで連れて来てくれたから、さっき太ももを叩かれたことは水に流そうと思ったのに。
「──逃げ出したかったのでしょう? 王宮は嫌いですか」
そんなことを考えていたから、反応が遅れた。
私は無防備な表情をセドリック様に晒してしまう。
「え?」
「空を飛ぶ鳥を羨ましそうに見ていました」
「それは──」
「王女であることは苦痛ですか」
私の心を見透かすように、セドリック様は私が思っていたことをそのままに口にした。そして、私が知らないことを話し始める。
「噂では平民からの成り上がり王女だとか、慎ましやかな天使のような姫君だとか。……色々言われているが、実際はただの籠の鳥と言うことか」
いつの間にか、敬語ですらなくなっている。
「なによその話!」
「──事実だろう?」
かっとなって言い返したが、私はもう何も言えなかった。セドリック様の冷たい氷の瞳に射抜かれる。惨めな自分が恥ずかしくて頬が赤くなった。
俯きたくなんてないのに、泣きたくだってないのに──
嫌でも瞳が潤んでくる。
王女になんてなりたくなかった。別にジョエル殿下を好きでもなかった。リュシエンヌ様を嫌いな訳でもなかった。
結局私をいじめてたのはリュシエンヌ様の家の対立派閥の令嬢で、その令嬢は彼女に罪を被せようとしていたらしい。私はその人に良いように転がされたのだ。
私はただ、私が思うように行動しただけだった。貴族の世界で、ただの平民として育った私の行動が、何も通用しなかっただけで。それはつまり、愚かだったということだ。
「仕方ないじゃないー! 私、悪くないもん……悪くないもん! 皆幸せそうでさ、私一人だけピエロだったんでしょ? ……分かってたけど、分かって……る、けど……っ」
途中から自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。しかし涙は止まってくれない。
今日初めて会話したセドリック様に、訳の分からないことを言っていて、更にとても情けない姿を晒していることは分かっていたけれど、もうそれもどうでも良かった。
涙腺が壊れてしまったみたいに、涙が後から後から出てくる。
それでも、氷のような瞳の彼なら、私を放っておいてくれるような気がした。




