オデット・ラマディエだった者2
王宮の中でも国王とその家族達が暮らす後宮──華やかな花が咲き乱れるはずのそこは、私にとっては今最も居心地の悪い場所だった。
私、オデット・ラマディエ改め、オデット・バルシュミーデは、平民から男爵令嬢になり、そして最近王女になった。光が当たると独特の桃色に光る銀髪は、王家の血によるものだったらしい。夕暮れ色の瞳は、昔王宮で侍女をしていた死んだ母譲りのものだ。
これが公になったのは、全部あの女──リュシエンヌ・バルニエ侯爵令嬢のせいだった。
「なによっ! 結局自分はジョエル殿下とラブラブでさー、ずるいわよー!」
彼女は来月には結婚するらしい。
王都の教会で結婚式を挙げて、晴れて王太子妃になる。
悪役令嬢になりたがったあの女に、私こそがヒロインであるように外堀を埋められ、色々あって、卒業パーティーの場で私に王族の血が入っていると王妃様に知られてしまった。調べたら、王様の使用人との過去の浮気がバレたらしい。
私はあっという間に王宮に連れて来られ、保護という名目で監視と再教育の日々だ。目まぐるしく私の立場は変わっているが、人はそう簡単には変われない。
「あぁ……動きたい、動きたい、動きたいー!!」
貴族令嬢とは大人しく淑やかにするものだと、男爵令嬢だったときから言われていたけれど、私はそんなの無理! って思って、これまで好きなようにやってきた。
お父様の指示で貴族令息に近付いていたときも、ちやほやされるのは悪い気持ちはしなかったけれど、正直礼儀やマナーなんて気にしない方が受けが良かったから、適当にやっていた。あの人達もひとときのお遊びのつもりだったのだろう。あんなに私に入れあげていた令息達は、皆当然のように卒業と共に元の鞘に戻っていった。
それが王様の隠し子だったことが分かって王宮に連れて来られたら、口煩いお妃様と、お妃様には頭の上がらない王様のせいで、私はすっかり籠の鳥だ。部屋の扉の前には騎士がいて私を監視しているし、一時間毎に違う家庭教師が来て、マナーや歴史、文字の練習、ダンス……終わりのないレッスンが毎日いっぱいに詰め込まれている。
別に特別な事がしたい訳ではない。ただちょっと釣りをしたり、道を走ったり、地面に座ったり、買い物をしたりしたいだけだ。
家庭教師の入れ替わりの時間、一人になった部屋で、私は窓から逃げ出すことを決めた。全て桃色のいかにもロマンス小説のヒロインのような可憐な服装で、私は窓枠を華麗に蹴って外へと逃げ出した。
──バイバイ、私の部屋。……また夜になったら帰ってくるけど。行くとこないし、お腹は空くし。
まずは物陰に隠れよう。そう思って庭の方へと踵を返した瞬間、私の視界は深い緋色に覆われ、しかもそれにぶつかって弾き飛ばされた。
「痛っ」
尻餅をついた先は芝生で、思ったより衝撃は少なかった。
ああ、でも見える。顔を見るのは怖いけど、この靴、この服。これは、近衛隊の制服だ。逃げ出した途端にバレちゃったのかしら。この髪色では、誤魔化せないし……。
「大丈夫ですか、姫君。お手をどうぞ」
思ったよりも親切そうな声に、思わず手を伸ばした。
顔を上げると、そこにはジョエル殿下と同じくらいのイケメンがいた。いや、好みは別れるだろうが、私はこっちのほうが好きかもしれない。氷のような瞳は綺麗な水色で、髪は黒色だ。……この人、こんなに格好良かったんだと、改めて見入ってしまう。
私はこの人を知っていた。でも今だけは一番会いたくない人でもあった。そりゃあ、近くで見られたのはラッキーだと思っちゃったけれど。
「……姫。貴女、本当にお姫様じゃないですか」
凍えるほど冷たい声で睨みつけるように言った彼は、バルシュミーデ王国の近衛隊副隊長を務める、セドリック・カステル侯爵だった。泣く子も黙る冷徹騎士という噂だ。近衛隊の頭脳、バルシュミーデの鷹。いくらイケメンでも、逃げ出してきた今だけは会いたくない。
ちょうど、そろそろ次の家庭教師が部屋にやって来る時間だった。
「オデット様ー!?」
「オデット様が消えたぞー!」
上からは私を探すたくさんの声が聞こえ始めた。目の前にはよりによってセドリック様。
私の逃亡、もうおしまい。今日はこの後はお説教かしら。思わず溜息も出てしまう。空を見上げると、小鳥が連れ立って飛んでいた。ああ、貴方達は自由なのね。
「──失礼」
セドリック様の無機質な言葉と同時に、私のお腹に強い圧がかかった。




