第56話
「………何だか…騒がしいな」
病院でカーソンの死体の側にあるベッドで無意味に時が流れるのを待っていたエミルは外の変化に俯いていた顔を上げた。
ずっと前から病院の外では銃撃戦が行われていたせいで騒がしいことに変わりないが、先程と今では騒がしさの種類が違う。
先程まではあらゆる方向から銃声と怒声が響いていたが、今は特定の方向から時間と共に徐々に銃声が聞こえなくなっていっていた。
そして、纏まることのなかった銃声が今は固まって聞こえる。
まるで、ある方向から何かが攻めてきて争っていた人々が団結してその何かを撃退しようとしているようだった。
「………東か」
音を頼りにその何かが来る方角を特定したエミルは興味なさそうに呟く。
先程のスピーカーの放送はエミルも聞いていたが、あのデニスが自殺したという内容に半信半疑だったが、これでエミルは確信した。
先程の放送は北エリア向けの放送で北以外の人は切り捨てられたのだろう。
「まぁ、いっか」
東から襲ってくる何かがゾンビだと確信した上でエミルは心の底からどうでもいいと思った。
放っておけばゾンビがこの病院にも来るだろうにエミルはそう思ったのだ。
生きる気力という物を無くしていたエミルが外にいる連中と同じように生きるために逃げ惑う気が起きなかった。
だからといって死にたいというわけではないのだ。
エミルにとってこのゾンビの襲撃はいい機会なのかもしれない。
「………だいぶ近づいてきたな」
外から聞こえる音に注意を張れば、ゾンビがすぐ近くまで迫っていることがわかる。
エミルが入口の扉に目をやれば、ちょうど同じタイミングで扉から手で叩くようなバンという音が聞こえてきた。
それも一度や二度ではなく、何度も何度も扉を叩く音が続いており、扉の向こうには恐らく大量のゾンビがいるだろう。
この扉は普通の扉で押し寄せる大量のゾンビに破られるのは時間の問題だった。
「………」
そんな状態にも関わらずエミルは黙ってその扉が壊れるのを待っている。
そして、エミルの虚ろな目が見守る中で扉は前に倒れるように壊れ、満を持してゾンビ達が入ってきた。
あぁだのうぅだのというゾンビのうめき声を聞きながらエミルは自分に引導を渡してくれるゾンビという存在に軽く笑みを浮かべてから受け入れるように両手を広げる。
「あんたらの仲間になるわけだが、もしかしたらゾンビって奴は幸せなのか?」
エミルにどんな思いがあろうとゾンビにはそれを気にする心はない。
抵抗をしないエミルはあっという間にその全身にゾンビの歯がたてられる。
肉を噛み千切られるという想像を絶するであろう痛みにもエミルはその意識が消えるその時までゾンビ化という輝かしい未来を夢見ていた。
エミルにとってゾンビ達は天国から迎えに来た天使なのか、地獄から迎えに来た悪魔なのか、それは本人すらわかることではない。
「シノア…シノアァ。なぁ、頼むよ。目を開けてくれ、俺を置いてかないでくれ」
冷たい床に倒れ、物言わぬ体となったシノアにブライは泣きじゃくりながら取りすがっていた。
それでも死んだ人間は起き上がることはなく、それが叶うのはゾンビになった時だけだろう。
「おい、あんた!何してんだ、ゾンビが来るぞ!」
「放っておけ!早く逃げるぞ!」
「ダメだ!もう限界だ!生きたい奴は撃つのを辞めて下がれ!」
ブライの周囲にはゾンビにギリギリまで抵抗を続けていた人々が逃げに徹しようとしており、その内の1人が動こうとしないブライに声をかけたが、ブライにはその声は聞こえていない。
人々もそんなブライに構う余裕はなく、早々に逃げ去って行った。
ゾンビを押し止める人がいなくなれば、ゾンビの侵攻が早まるのは自明で、すぐに置いて行かれたブライの近くにまでゾンビが迫ってくる。
ブライはそれすらも気付かず、手を伸ばせば届く距離にまでゾンビに近寄られてようやく自分の置かれている現状に気が付いた。
倒れてるシノアに縋っているブライは自然とゾンビを見上げる形になり、下から見るゾンビはその凶悪さを増しているようにも見える。
「貴様ら…辱めを受けたシノアをさらに汚そうというのか………汚らわしく汚らしい存在のくせに!知能のない下等生物の分際でこれ以上シノアに手を出すことなどこの俺が…断じて許さん!」
ブライはそう喚き散らすと目の前のゾンビを銃ではなく自らの拳で殴りかかった。
殴られたゾンビは後ろによろめくが、ゾンビは一体ではなく大量におり、焼け石に水という言葉はまさにこの状況のことを言うのだろう。
「近づくな、離れろ!ゾンビが!」
意味もなく喚きながら近付くゾンビを殴り回っていくが、それで助かるのなら人類はゾンビに屈したりしないだろう。
次第にゾンビの密度も濃くなっていき、殴っても後ろによろめくことすらなくなっていった。
ブライがゾンビに取り囲まれ、身動きが取れなくなっていくとゾンビは倒れたシノアの死体にも汚れた歯で噛み付き始める。
それを見たブライは喉が張り裂けるのではないかと思うほどの声量で叫ぶことしかできなかった。
「シノア!これ以上はダメだ!死んだ後ぐらいゆっくりさせてやれ!ふざけるなぁ!腐れゾンビが、くたばれ!消えろ!滅しろ!」
そんなブライの踏ん張り虚しく、シノアに集るゾンビの数は減るどころか増やしていく。
そのことにブライは叫び続けるがそんなブライもゾンビに噛み付かれ段々と意識が遠退いていっていた。
「なんでこんなことに…なんで」
意識が途切れる直前にブライはそう呟いた。
口に出したところでその答えはわからない、ただただ虚しさだけ増すだけだ。
そのことを身に締めながらブライは意識を手放そうとしていた。
(次に目を覚ましたら俺もゾンビか………いや?意識はないのかな?)
そんなことを考えていたブライの目の前で奇跡とも言えるような出来事が起きる。
死んだはずのシノアがゆっくりとその瞼を開いたのだ。
もう永遠に開くことのないと思っていた目が開いたことにブライは歓喜し、全身に群がるゾンビをどこにそんな力があるのかと問いたくなる程の力量で振り払いながらシノアに抱きついた。
「シ、シノア!何だよ、お前…生きてたなら返事をしろ、驚かせやがって!」
ブライの歓喜の言葉にシノアは返事をせず、意味のないうめき声を発するだけだった。
そして、ブライの首元に先程から全身を襲っていた肉を噛まれる痛みが襲う。
この状況で首元を噛めるのはシノアしかいない。
ブライはシノアがゾンビとして生き返ったという事を悟ったがそれでも抱き着くのを辞めようとしなかった。
「離さないぞ…もう2度と離さないぞ!お前がどんなに汚され、例えゾンビになろうと俺はお前を離さない!
俺もゾンビになったら…2人でいような。2人で世界を徘徊しよう。俺は絶対にお前を離さないからな」
ブライはそう言い終えると遂に意識を失ってしまう。
だが、その意識を手放してなお、シノアに抱き着くその手が離されることはなかった。




