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後書き

 この度は拙作を最後までご覧下さってありがとうございましたm(_ _)m


 こちらは母の従姉の遺品を整理していた時に、彼女から聞いたり、生前親戚から耳にした戦時中の話を思い出し、「従軍聖女追放モノ」のテンプレに違和感があるのはコレか......と思い至った時に一気に書き上げました。

母の従姉である薔子(しょうこ)おばさまは名前の通り聡明で華麗な美貌のご令嬢でした。

彼女は従軍看護師として関東軍に随行し、敗戦後は八路軍に投降し国府軍との戦闘に随行、5年後に抗戦が終わってから更に3年間、日中友好協会の尽力で引き揚げられるまで元日本赤十字病院に勤務していたそうです。

戦時中から戦後にかけて、日本軍や入植者による理不尽な暴力や悲惨な戦闘、八路軍やレジスタンスによる報復やリンチ、国府軍と八路軍の泥沼の抗戦……と何年もの間、地獄を見続けた彼女は戦後50年以上経ってからも心は満州の大地をさまよっていました。


 特に声を荒げたり、声高に悲惨な体験を語る事のない彼女でしたが、いつも黙って上品に微笑んでいるだけなのに、異様な緊張感を周囲に強いる、存在そのものが砕けたガラスのような人でした。

他の親戚の話では、戦後も従軍看護師に対する根強い差別があり、縁談が壊れるなどの辛い経験を重ねたそうです。


 恥ずかしながら、私は幼心に彼女のピリついた空気が苦手で、親戚の集まりの時もあまり近くに寄らないようにしていました。

最後にお目にかかったのは阪神淡路大震災のあと、自宅兼アトリエが全壊して他の親族の家に身を寄せておられた時です。

元々どこか壊れたような印象のある方でしたが、あの震災の後、完全に人であることをやめてしまい、施設に入ってまもなく亡くなりました。


 日本画家でもあった彼女は、私に一枚の絵を遺してくれました。

その絵は黄色と鶸色、若葉色を基調とした背景に薄橙と薔薇色で描かれた、ふっくらとした可愛らしい菩薩像です。

暖色系で描かれた可愛らしい絵にもかかわらず、どこか不安定で危ういものの漂う、独特の迫力のある作品で、これを見るたびに穏やかで上品ながら、殺気とすら言えるような独特の緊張感の漂うおばさまの笑顔を思い出します。


 ろくに推敲もせず、一気に書きあげた作品なので荒削りですが、戦後何十年経っても心だけを陰惨な戦場に置き去りにして生きざるを得ない人々がいた事、彼らと、平和な暮らししか知らない我々ではどうしても越えられない一線があるのだという事が伝われば幸いです。


 なお、作中に出てくるフェレティング公女の手記10/20夜より連載します。

「幸福とは死者の群れの中に生者を見出すこと」

https://book1.adouzi.eu.org/n7827hg/

そちらも併せて愉しんでいただけると幸いです。


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