終わりの星のポエナ
科学は呪いと神を殺すーー。遥か未来。突如各地に現れたのは生きた迷宮・ペカトム。それは多くの生き物を飲み込み、人間を襲う怪物を生み出した。人と怪物が争う地獄を生きる主人公・ケイは世界で十人しかいない特級法術師。法術師は科学の法ルールに則って術を行使する。ケイは相棒のデューと共に失った家族を取り戻すための術を求め世界をめぐる。
神も仏もいないような無慈悲な世界でケイは家族を取り戻すという呪いを背負う。
果たしてケイは科学の力で自らにかけた呪いを殺すことができるのかーー。
「お兄ちゃんおかえり!」
少女は笑顔で少年に飛びついた。その幸せそうな笑顔に釣られて少年は微笑み返す。少女の頭を撫でながら同じく幸せそうに。
「今日は早かったね!」
「リアが家で待ってるんだ。そりゃ早く帰るさ」
「えへへ。毎日待ってる。だから毎日早く帰ってきてね。お兄ちゃん」
次の瞬間少年の目の前で少女は形を失った。髪の毛は頭皮と共にズルりと落ち、肉も骨も黒いゲル状になって重力に従い崩れ落ちる。ボトボトと音を立てて真っ黒な水たまりとなった少女だった何か。その中心で唯一形を保っていたのは脈打つ剥き出しの脳みそだけだった。
***
舗装されていない砂利道を馬車が走る。朝早く中央都市ケンティオスから出た馬車は半日かけて辺境の村であるオレストに向かっていた。中には顔の下半分を黒いベールで隠した全身黒ずくめの女性と身軽な手荷物だけの二人の青年。
青年の一人は輝く金髪にすらっとした長身。身に纏うフォーマルなスーツと膝に乗せた長剣は荷馬車という空間に不釣り合いだ。もう一人は動きやすそうな丈の短いコートのフードを目深に被って俯いている。身長も低く少年のようでもある。馬車の外にいる御者は黙々と手綱を握っているだけ。
「あなたたちはお仕事かなにかで?」
馬車の中にいる女性は二人の青年に問いかける。答えたのは背の高い青年だった。好青年の手本のような笑顔でハツラツとした対応をする。
「はい。仕事で一週間ほど滞在させていただく予定なんです。おねえさんもお仕事か何かですか?」
「そうね。占いのお仕事を少し……ね」
「占い師の方でしたか。初めてお目にかかりました」
「ふふ。お近づきの印に何か占って差し上げましょうか?」
占い師はそう言って胸元からタロットカードの束を取り出した。しかし金髪の青年は笑顔でそれを断った。
「いえ、悪い結果が出ると仕事に響くかもしれないので遠慮させていただきます」
「そう。じゃあ月の祝福だけ祈らせてもらうわ」
占い師はそう言って一枚のタロットを額に当てて祈った。
「ところで、隣の方はずっと寝ていますが体調でもすぐれないのですか?」
占い師の心配をよそに金髪の青年は変わらない笑顔で返答をする。
「寝不足なだけですよ。寝る子は育つって言いますから、寝られる時にたくさん寝て育ってもらいましょう」
その言葉を聞いて隣で寝ていた青年が片目を開いて小さく鼻息を鳴らす。
「変なこと言うから目が覚めただろ」
「おや、聞こえてましたか。おはようございます。良い夢を見られましたか?」
「……最高の夢だったよ。決意を再確認させられた」
「それは良かったです」
睨みながら言うフードの青年。金髪の青年はというと相変わらず余裕のある笑顔。占い師はその様子を見ながら微笑んでいた。しかし和やかな空間を壊すように馬車が急停車する。バランスを崩した金髪の青年は床に腕をついて身体を支えると外で手綱を握る御者に声をかけた。
「事故ですか?」
慌てた様子の青年とは違い、御者は落ち着いて答えた。
「いえ、当馬車の問題ではないんですが。前を走る便から虚獣に襲われたとの通信がありまして。ケンティオスから討伐隊が来るまで我々は待機することになります。おそらく二時間ほどかと。ご迷惑おかけします」
「前の馬車……ね。私たちじゃなくて良かったわ。のんびり待ちましょう」
占い師は慣れた様子でそう言って居直ると肩の力を抜いた。
「二時間……ですか」
二時間も虚獣に襲われれば普通の人間しかいない馬車は全滅。普通なら誰も生き残ることはできない。それを理解している金髪の青年は悩ましげな顔で振り返ると相方に問いかけた。
「ケイ、これからどうしますか?」
しかし隣で座っていたはずの彼はその場から姿を消していた。馬車の扉も開いており外の冷たい風が流れ込んでくる。
「ああもう! あの人はまた……」
金髪の青年はそう言うと頭を抱えて立ち上がった。
「彼なら御者の言葉を聞いてすぐに飛び出したわよ。逃げたのかしら?」
「逆です……」
金髪の青年は馬車から出て行った相方を追うように馬車から飛び出す。
「助けに行ったんです」
青年は続いて御者に指示を出した。その声は今までと違って覇気を纏う。
「私は防衛省討伐部所属の法術師です。馬車はこのまま進んでください。私は先に行きます」
青年は地を蹴ると宙に浮かび、そのまま低空で馬よりも速く砂利道を飛ぶ。青年の飛んだ後には砂煙だけが残っていた。
金髪の青年が襲われていた馬車に追いつくと、そこには軽く二十を超える大量の猪型の虚獣が死体となって転がっていた。そのほとんどが首を鋭利な刃物で断ち切られている。相方のフードの青年はまるで地獄絵図のような中で血を流す馬に手を当てていた。
「ケイ……あなたはいつも早すぎるんです」
「お? そうか?」
「動く前に悩んだりはないんですか」
金髪の青年はため息を吐きながら歩み寄る。
「悩んで行動が変わるなら悩むさ。そうじゃないなら悩む意味はないだろ」
フードの青年はそこまで言ってひと息つくと続けて言った。
「人を助けるかどうかなんて悩むことじゃない」
「あなたはそういう人でしたね」
「おうよ。デュー、そっちは馬車の修理を頼んだ」
「はいはい。で、乗客の怪我は?」
「ない。もう治した。こいつは重症だからちょっと時間がかかる」
フードの青年はそう言うとすぐに集中して治療を再開した。金髪の青年は馬車の様子を見るために中へ避難していた御者に声をかけようと扉を開ける。すると中から小さな丸坊主の少年が飛び出した。
「凄いんだよ! あのお兄ちゃんびゅーんって飛んできたと思ったら二本のナイフでずばばーって虚獣をやっつけたんだ!」
興奮した少年を女性が抱きしめて謝罪する。歳の頃は青年たちと変わらず、母というより姉といった様子である。その女性は必死に少年に言い聞かせる。慌てる様子にブラウンでさらさらなセミロングの髪が乱れる。
「まだ虚獣が隠れてるかもしれないのよ! おとなしくしてて!」
そう言った女性に対して少年は興奮を抑えることなく声を上げる。
「大丈夫! お兄ちゃんが守ってくれるもん!」
「おうよ。絶対守ってやるから安心して待ってな」
「はーい!」
少し離れたところからフードの青年が返事をすると少年は嬉しそうに答える。金髪の青年と女性は呆れたように視線を交わす。
そして金髪の青年は御者を呼んで馬車の点検を始めた。二人で馬車の周囲を歩きながら様々な場所を確認する。
「後輪の車軸が抉れてますね。予備の部品も無いので修理は無理ですね」
馬車の後部にまわった時に御者がため息混じりにそう言った。しかし金髪の青年はこともなさげに答える。
「大丈夫ですよ」
そう言って金髪の青年が車軸に手をかざす。すると損傷箇所周辺の空間に黒い歪みが発生しバキバキと音を立てる。そして元通りになった車軸を見て御者は目を丸くした。
「驚きました。法術ってのは本当になんでもできるんですね」
「なんでもはできないんですけどね。他のところも見ておきましょう」
金髪の青年がそう言って立ち上がった瞬間、雷鳴のような音と共に近くの木々が薙ぎ倒された。そこに現れたのはゆうに七メートルを超える熊型の虚獣。熊とは違った太く長い咆哮は聞いた者を竦ませる。そして虚獣は目を光らせると人間ほどの太さのある腕を治療中のフードの青年の背中に振り下ろした。
「お兄ちゃん逃げて!」
大人たちが咆哮で竦んでいるなか少年が叫ぶ。その勇気に応えるようにフードの青年は落ち着いた声で返した。
「少年。安心して待ってな」
そう言うと振り返りもしない。青年は何も動いていない。しかし虚獣の腕はフードの青年の手前で止まった。虚獣が自ら腕を止めたのではない。虚獣の腕を他の力が止めていた。それは地面から生えた虚獣の腕より太い鎧の右腕。
「おお、虚獣ってか怪獣だな」
振り返ったフードの青年はそう言うとキッと睨みつけた。
「怪獣退治といえば巨大ロボットだろ」
フードの青年は左足を地面に強く踏み込む。すると地面から生えた右腕は虚獣を掴んだままさらに左腕が出現する。そして左腕が地面を支えるようにして力を込めたかと思うと大地を揺らしながら頭、肩、腰、そして全身が地上に姿を現す。
「ロボットと言うより鎧ですね」
金髪の青年が言う通り、現れたその姿は巨大な真っ黒のフルアーマーだった。虚獣より頭ひとつ大きなそれは立ち上がると左手で虚獣の肩を掴んで固定し、右腕を振りかぶる。フードの青年も同じように右手を大きく振りかぶって力を込めた。巨大鎧の右腕にも連動するように更なる力が込められる。
「歯、食いしばれ」
そして振り抜かれた巨大鎧の右腕は空気を爆ぜさせる轟音と共に虚獣の頭を一撃で打ち砕いた。虚獣の頭は原型もなくなるほどに潰れて黒い体液を散らす。そして虚獣が動かないのを確認したフードの青年は鎧と共に少年に向けてグッと親指を立てた。
「あなたはいったい……」
興奮状態の少年を後ろから抱きしめていた女性は腰を抜かしながらそうつぶやく。すると隣に歩み寄ってきた金髪の青年が答えた。
「討伐部所属のポエナの中でも十人しかいない特級ポエナ。そして最強の右腕と呼ばれているのが彼。ケイ・サインズです」





