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水の乙女は氷の剣帝と恋をしたい

「私、アクアフィーネ王国第二王女セラフィーナ=アクアフィオーレは、貴方との婚姻に際し、政略結婚ではなく、恋愛結婚を望みます」


剣を司る北方のスパーディア帝国と火を司る南方のフラムナール帝国。


水を司るアクアフィーネ王国は、その二大国に挟まれた中央に位置する中立国だ。

第二王女であるセラフィーナは、政略結婚のためスパーディア帝国へ嫁ぐことを命じられ、不承不承ながら祖国を離れる。


彼女が嫁ぐ相手は、氷の剣帝とたたえられ恐れられている、年若い皇帝エルドレッド=サルジュスパーダ。


後に青の賢帝と呼ばれるエルドレッドと、剣帝の氷を溶かした水の妖精と称えられるセラフィーナ。

これはそんな二人の恋の物語です。

「セラフィーナ王女。失礼だが、もう一度言って貰えるだろうか?」


 大理石でできた白亜の城。その中央にある玉座の間で、口元を引き攣らせながらそう宣ったのは、玉座に座る濃藍色の長い髪の青年。そんな彼の前に、凜とした佇まいで立っているのは、ともすれば白髪にもみえそうなほどに薄い藍白の髪の女性だ。セラフィーナと呼ばれた彼女は、気圧されたようにゴクリと唾を飲み込んだものの、ルビーのような緋色の瞳をまっすぐ男に向けて言った。


「スパーディア帝国皇帝、エルドレッド=サルジュスパーダ様に申し上げます。私、アクアフィーネ王国第二王女セラフィーナ=アクアフィオーレは、貴方との婚姻に際し、政略結婚ではなく、恋愛結婚を望みます」


 彼女の言葉に、皇帝――エルドレッドは、今度こそ切れ長の青い瞳をピシリと凍てつかせた。


 表面的には笑顔を貼り付けたまま固まった若い皇帝に対し、セラフィーナは手足の震えを誤魔化しながら内心で叫んだ。


――拝啓。お母様。そして、お父様とお兄様もお元気かしら。やっぱり私にはこの婚姻無理です、絶対無理です! 氷の剣帝と名高い目の前の皇帝陛下、笑顔なのに滅茶苦茶怖いです! ていうか、頬と服にこびり付いてる赤いの何!? 私、今すぐ国に帰りたいんですけど! お兄様の補佐ちゃんとするから、実家(国)に帰らせてください、神様っ!


 そんなことを内心で叫びながら、彼女は現在に至るまでの記憶に逃避し始めたのだった。


◇ ◇ ◇


 約一月前、色とりどりの花が咲き乱れる湖畔に彼女はいた。ドレスの裾をたくし上げ、湖に足を突っ込んで涼を得ていたところ、彼女の頭上に影がかかる。


「もう、セラったら、また……! 王女がみだりに素足を見せるものじゃないわ」


 そんな女性の声に彼女が振り返った先には、彼女よりもやや濃い水色の髪の女性。彼女の手にある日傘が、二人のいる場所にのみ影を落とす。眉を寄せて窘める彼女に、セラフィーナはからりと笑って言った。


「でも、お姉様。こんな暑い日に、冷たくて気持ちいいとわかっている泉を活用しない手はないと思うの」

「気持ちはわかるわ。だけど、あなたはもうすぐこの国唯一の王女になるのよ?」

「お姉様がフラムナール帝国に嫁がなければ、そうはならないじゃない」


 視線を逸らし気味に告げられた言葉に、彼女――オリヴィエ=アクアフィオーレは目を瞠る。そうして、不満げな顔で湖から足を上げた妹姫に、『全く』と呆れ顔で空中に人さし指から放つ光で円を描く。そこから現れたのは、太陽の香りが漂うふかふかのタオルだ。それをセラフィーナに差し出しながら言った。


「明日には発つと言うのに、まだそんなことを言っているの?」

「だって、大好きなお姉様があんな失礼な第一王子の元に嫁ぐだなんて、納得行かない」

「納得するしないの問題じゃないわ。私たちは王族。必要とあらば、国のためにその身を盾にしてでも民を守るのが務めよ」

「それは、わかってるけど……」


 あからさまに口を尖らせた彼女の藍白色の長い髪を撫でながら、オリヴィエは柔らかく微笑んで言った。


「大丈夫。セラのその気持ちだけで私は十分幸せだし、やっていけるわ」

「……手紙書くから。アイツに見られたりするのは絶対イヤだから、水の精霊にこっそり届けてもらうの」

「あらあら。王族の中で一番魔力があるとは言え、制御しきれていない力に頼りすぎて倒れたりしないで頂戴ね?」


 憂い顔で頬に手を当てるその様は、淑女や深窓の令嬢と呼ぶに相応しい姿だ。そんな姉姫に対し、セラフィーナは軽い口調で手をひらひらさせながら言った。


「お姉様は心配しすぎ。私もう十五よ? 子供の頃のように、魔力の暴走で倒れたりなんてもうしないわ」

「だといいのだけど……」


 『心配でたまらないわ』とばかりに妹を見つめ、彼女は言った。


「私はセラの自由奔放なところ好きだけれど、じきにあなたにも縁談が来ると思うから、少し心配だわ」

「大丈夫。ちゃんと自分でどうにかするから」


 このときのセラフィーナは、縁談を断るという意味で『どうにかする』と宣言した。そのはずだったのだが。


「……って、言ってお姉様を送り出して一日と経っていないのに、縁談話を持ち込むとはどういうことですか、お母様っ!?」


 バァンと執務机を両手で叩き付けながら、セラフィーナは目の前にすまし顔で座る女性を見つめた。藍色の髪をキッチリ纏め上げた彼女は、動じた様子もなく榛色の瞳を彼女に向けて言った。


「どうもこうも、今言ったとおりよ。あなたには約一月後、スパーディア帝国に嫁いでもらうことになったわ」

「しかも、決定の話!? 私の拒否権は!?」

「ありません」


 取り付く島もなく、スパッと切り捨てられ、釣り上がっていたセラフィーナの眉尻がハの字になる。


「そんなぁ……。せめて他の国に……」

「無理よ。オリヴィエがフラムナールに嫁ぐことを知ったかの帝国から打診があったのよ。『火を剋する水を送るならば、剣を生かす水を送れ』とね」

「剣を司るスパーディア帝国と炎を司るフラムナール帝国が犬猿の仲なのは知ってます。その間に挟まれた中立国だから、容易に逆らえないことも知ってます。けど……」


 理屈はわかっていても、気持ちが追いつかない彼女は唇を噛みしめる。そんな娘に対し、彼女は一瞬だけ切なげな表情を浮かべたものの、それを振り払うように努めて淡々とした口調で言った。


「諦めて頂戴。水を司るアクアフィーネの王女が二人生まれた時点で、あなたたちがそれぞれどちらかに嫁ぐのは予想ができてたことよ」

「……だから嫌だったのよ。お姉様がフラムナールに嫁ぐのは」

「セラフィーナ」


 言い聞かせるように名を呼ぶ母親を見据え、彼女は真剣な表情で言った。


「私、お姉様と敵対なんてしたくない。それに何より、私は結婚するなら、相手とはちゃんと恋がしたいの」

「ならば、かの皇帝とすればいいでしょう? オリヴィエとのことは、政に関わる覚悟を決めれば、あなたならできるわ。あなたはやろうとしないだけで、素質はあるのだから」


 ため息交じりの言葉に、彼女はがなるように言った。


「氷の剣帝と言われている血も涙もないって噂の皇帝とどうやって恋しろと!? 第一、政に関わらせてもらえるとは思えないし、無理よ、そんなの」

「そこはあなたの頑張りどころね」


 そう言われてしまえば、返す言葉がないのか、セラフィーナの口から王女らしかぬ唸り声が漏れる。そんな娘を軽く窘めながら、彼女の母は言った。


「あなたが何を言っても、私がこの決定を覆すことはありません」


 そう前置くと、彼女は真っ直ぐ娘を見上げて告げた。


「アクアフィーネの女王として、第二王女セラフィーナに命じます。スパーディア帝国との関係強化のため、一月後かの国へ輿入れなさい。みなにも伝えてあるから、彼女たちの話をよく聞いて準備を整えておくように。いいわね?」


 そんな最終通達に、セラフィーナは唇を噛みしめ、俯きながらも了承の意を返すことしかできなかったのだった。


◇ ◇ ◇


 ゴホンとわざとらしい咳払いにセラフィーナの意識が現在へと戻る。咳払いをしたのは、未だに硬直が解けない皇帝ではなく、彼の隣に立つ銀髪の男性。彼は眼鏡のレンズ越しに藤色の瞳を彼女に向け、口を開いた。


「あー……、セラフィーナ王女、一つ確認してもよろしいでしょうか?」

「どうぞ、フォスキア宰相」


 笑顔を貼り付けたセラフィーナの言葉を受けた若い宰相は、神経質そうに眼鏡のフレームを押し上げ問いかけた。


「今回の婚姻そのものを拒否する、というわけではないのですよね?」

「ええ。国の民を思えば、私に拒否権などありませんので」


 その意訳は『国に圧力をかけてきておいて何を今さら』だ。彼女のそれは正しく相手にも伝わったようで、スピネルのような瞳が好戦的な光を宿して弧を描く。彼のその表情に怖じ気づきそうになりながらも、彼女は負けじと言った。


「そもそも私は『婚姻にあたり、何か希望はあるか?』という陛下の問いに、私個人の希望を申し上げたに過ぎません」

「それが恋愛結婚だと……?」


 彼女の言葉にそう問い返したのは、硬直が解けたエルドレッドだ。サファイアのような瞳が、彼女の真意を探るように見つめる。その目を真っ直ぐ見つめ返し、彼女は言った。


「互いに望まぬ婚姻だとしても、叶うのならば私は実の両親のように、心を通わせた夫婦でありたいのです」


 真正面から投げかけられた言葉に、皇帝は気難しげな表情を浮かべる。眉根を寄せて思案顔を浮かべる彼に、彼女は先手を打つように続けた。


「今すぐにとは申しません。少しずつでも構いません。互いに互いを知る努力をし、愛する努力をしていける関係を築いていきたいと、私はそう望んでいます」

「……善処はしよう」

「へ?」


 ため息と共に返された思いがけない言葉に、彼女の紅玉が呆気に取られた様子で瞬く。皇帝は玉座から立ち上がると、先ほどとは逆に硬直した彼女の元へと歩み寄り、その手を取って言った。


「改めて、遠い異国の地よりこの北の大地へようこそ、セラフィーナ王女。我が妻となるそなたを、スパーディア帝国一丸で歓迎しよう」


 淡々と告げられた言葉と共に、彼女の手の甲に落とされたのは口付けだ。ニコリと微笑むこともせず顔をあげた皇帝と目が合うと同時に、起きた事象をようやく把握した彼女の白磁の肌が真っ赤に染まる。


 後に青の賢帝と呼ばれるエルドレッド。賢帝の氷の心を溶かし、スパーディア帝国に春を呼んだ水の妖精と称えられるセラフィーナ。これが二人の出会いだった。

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