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秘める、溢れる、乱れる、募る

 私は高校生の頃、人生を変える二人の女性に出会った。

 中学からの同級生だった本木茉莉(もとき・まり)

 高校デビューした彼女はとても魅力的で、私は一瞬で恋に落ちる。


 しかし、女性と付き合った経験のない私は途方に暮れていた。

 どうすれば彼女に相応しい男になれるのか。


 そこに現れた救いの手は組み木細工の箱から出てきた呪いの少女イノ。

 私を末代にしないため、彼女は教師役を買って出る。


「いいわ。あたしがあんたを鍛えてあげる。どこに出しても恥ずかしくないカッコいい男にね!」


 恋と呪いが織り成す【オカルト×ラブコメ】の幕が切って落とされた。

 高校生といえば、勉強でも部活でも友情でも恋でも、外との関わりの中で自分が何者であるかを知る時期だ。

 そのような観点で見れば、高校時代の私のアイデンティティは、まったくもってこれっぽっちも確立していなかった。


 将来のことなど何も考えないまま、自宅から最も近い高校に入学し、前に座った男の誘いで弓道部に入部する始末。

 今から考えると、自分自身のあまりの主体性の無さに怖気が走る。

 人生は道に例えられることが多いが、私の場合はただ流されるだけの川だった。

 川下りのイカダでさえも、もう少し慎重にルートを選ぶだろう。

 流れ流れて浮雲のようにといえば聞こえは良いが、当の本人は何の悩みもなく、誰に遠慮することもなく、ひたすら趣味に没頭していた。


 私の趣味――、それは骨董品集めだった。


 高校生の趣味にしては枯れ過ぎていることは自覚している。

 同好の士なぞ老人会で知り合った爺さんたちぐらいしかいない。

 私は多感な少年時代を、悠々自適の余生を送る先達の昔話を聞いて過ごした。

 幼馴染の女の子と過ごす甘酸っぱい思い出など皆無であることは言うまでもないだろう。


 私の人格形成に大きな影響を与えたのは、やはり家庭環境と言わざるを得ない。

 両親は二人とも重度の仕事人間で家庭を省みないことにおいて我が家では双璧。

 どうやって知り合って結婚までたどり着けたのか今もって謎だが、ほとんど家にいない両親に代わって、私を育ててくれたのは祖父だった。


 ここまで話せば自ずと結論は導き出せるだろう。

 私は祖父の英才教育の元、骨董品集めにのめり込んでいった。

 何かに熱中することを沼にハマるとは上手く言い表したものだ。

 骨董品集めは深い造詣が必要な、まごうことなき底なし沼。

 そして、どこに出しても恥ずかしくない立派な骨董マニアとなり、周囲から変人扱いをされるまで、そう時間はかからなかった。





 そんな潤いのない私の人生に転機が訪れたのは高校一年の秋。

 同じクラスの女子が言い争っていたところに出くわしたことがきっかけだった。


「高校デビューでイメチェンしたからって、元の暗い性格まで変わんないから!」

「はあ?! あなたが私の、なにを、知ってるって言うの?」


 果たして何が口論の原因だったかはわからないが、二人とも女子の中では一目を置かれる剛の者。

 こと座のベガとわし座のアルタイルに例えられる眩しさを発している。

 クラスにはもう一人、はくちょう座のデネブ女子がおり、天下三分の計もかくやと言わんばかりに男子の人気を分け合っていた。


 キラキラと生命力が溢れ出るような女子の近くには、基本的に近づかないことを私は旨としていた。

 「くわばらくわばら」そう呟いて踵を返したところを目敏く見つけたベガ女子が回り込んできた。

 こやつ魔王か!?


「ねえ、アンタ。本木とおな中だったなら知ってんでしょ?」

 不意に舞台の中央に引っ張り上げられて、私は緊張のあまり固まった。

 ベガ女子と私とでは生きている世界線が異なるのだ。

 交わることのない平行世界で生きる者同士が会話をするなんて、ビッグバンでも起こすつもりか、彼女は。


「アタシ、友達から聞いたんだけどさ。本木って教室の隅で本を読んでるような陰キャだったんでしょ? 笑えるよね。精一杯、背伸びしちゃってさ」


 ここにいたって初めて、私は本木さんの顔をまじまじと見つめた。

 ビスクドールのような透き通った瞳、意志の強そうなつり上がった眉にぷっくりとした唇。

 スラリとした四肢に女子にしてはたっぱのあるモデル体型で、腕組みをしたままギロリと睨まれると、日本海溝を潜る調査船に乗り込んだような圧迫感を覚える。


 私は部屋の隅に追い詰められたジェリーだった。

 かくなる上はティーポットの蓋を構え、フォークを掲げて突撃するほかない。


「知らないな。中学時代の女子との接触など数えるほどだ。あまり覚えていない。だが、読書が趣味だって? 大いに結構じゃないか。趣味なんてものは自分の心を豊かにするためにやっているものだろう。他人にとやかく言われる筋合いはない。キミだってそのスマホケース。『夏化け』のマスコットだろ? 結構かわいいところあるじゃないか」


 ベガ女子はポカンと口を開けたまま、震える手でこちらを指差した。

「ア、アンタが、ななな、なんで知ってるし!?」


 骨董品の出物はないかと始終フリマアプリを眺めていれば、売り買いされているマイナーなグッズにも多少詳しくもなる。

 だが、手の内というのはさらけ出さないことが勝つための鉄則だ。

 手札がブタでも余裕ですよという顔で応対するのが肝要。

 そういう意味では表情の変化に乏しい私の仏頂面は強力な武器となった。


「たまたま知っていただけだ。他意はない」

「前からアタシのこと調べてたんっしょ。うわっ、キモっ。キモキモキモ!」


 彼女が浴びせ続ける罵詈雑言のコンビネーションは瞬く間に私をロープ際に追い詰めた。

 そこからは殴られ続けるバート・クーパー。

 私はフラフラになりながら、立っているのがやっとの状態だった。


「その辺にしといたら? 周りから注目を浴びてるわよ」

 本木さんはレフリーよろしく両者の間に割って入った。

 ブラボー、彼女の勇気は称賛に値する。

 強いて言えば、TKOの判断はもう少し早めにお願いしたい。

 振り上げた拳を下ろせずに憤懣やるかたないベガ女子は捨て台詞を残すと、鼻息荒く立ち去った。


 私は体の底に沈んだ澱を吐き出すように、ふうっと長いため息をついた。

「本木さん、ありがとう。お陰で助かったよ」

「お礼を言うのはわたしの方でしょ? こちらこそ、ありがとね。わたしのことを覚えてなかったのは、ちょっとショックだけど」

 本木さんのはにかむような笑顔。

 この奥ゆかしくも芯の強い表情、どこかで……。


「あっ、ホンギマリか!?」

本木茉莉(もとき・まり)! 中学の頃は結構、話してたと思うんだけど?」

 確か中学時代の本木さんは、肩まで伸びたストレートの黒髪にフルリムの眼鏡をかけた地味な女の子だったはずだ。

 目の前にはマッシュショートの爽やかなイケメン女子がいた。


「随分、印象が変わったな」

「そうね。変えたの」

「これはまったくの興味本位だが、どういう気の迷いだ?」

「自分の世界に閉じこもっているのにも飽きたのよ」

「……それは仕方ないな」

 くすりと口の端を歪めた本木さんは実に妖艶で、私の目は釘付けになった。

「そう、仕方ないことね」


 そして――、私は恋に落ちたのだ。





 それからの私は迷走に迷走を重ねた。

 新たな一歩を踏み出そうとして泥沼に足を突っ込んでいた。

 自分の力だけでは抜け出せない底なし沼だ。

 誰かの力を借りたかったが、そのアテもなかった。


 そんな私がもう一人の彼女と出会ったのは秋も深まってきた十一月の半ば。

 東寺の境内で開かれている弘法さんと呼ばれるガラクタ市の店先だった。

 骨董屋というには無節操な品揃え。

 要するにどこかの蔵から持ち出してきた不用品の山だ。

 この膨大なガラクタの中から価値のあるものを見つけ出すことは目利きの真骨頂だろう。


 目を止めたのは埃を被った組み木細工の箱だった。

 何気なく手に取って動かしてみるが、一向に開きそうにない。

 しかし、店先を占拠するのもはばかられる。

 先程から骨董品と見まごう店主がチラチラとこちらに視線を送っていた。

 私は箱を手にしたまま財布から千円札を数枚取り出した。





 家に帰った私は組み木細工の箱に取り組んだ。

 随分と凝った作りで丸一日、ああでもないこうでもないと頭を捻って、ようやく蓋が開いたのだ。

 だが、箱の中に入っていたものは、なにやら怪しげな御札と髪の毛の束。

 どう見てもいわくありげな危険物でしかない。

 背中に嫌な汗が滲んできた。


「デレタデレタデレタ!」

 部屋の中にいるはずのない女の声が響く。


「はあ、やっとこのクソ忌々しい箱を開けてくれるバカな奴が現れたってわけね。お礼に末代まで呪ってあげるわ!」

 目の前に現れたのはドンキホーテで買ったような安っぽい制服を着た女の子。

 スカートの裾が短すぎる、コスプレか?

 いや、突っ込むところはそこじゃない。

 ……この女の子、なんで空中に浮いているんだ?


「お前は……、誰だ?」

「うちらぁ、じゃなくて、あたしはイノ。まあ、呪いみたいなものね」

「ノロイ……」

「そう、この箱を開けたあんたを末代まで呪うために出てきたってわけ」

 私を指差してそう言い放つ少女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、そして膝から崩れ落ちた。


「って、あんたが末代じゃない!? 大体、末代とか七代祟るってのはね、永遠に憑いて回るって意味なのに、一代で断絶されちゃ困るのよ!」

 私だって末代になるつもりはない。

 だが、自分が末代にならないと自信を持って断言できないことに忸怩たる思いもある。


「末代になるって、まだ決まったわけじゃないだろうが」

 高々十数年、女っ気がないだけで全てを決められては困る。

 人生は可能性に満ち溢れているはずだ。

「はあ、そんな甲斐性を持った男がどこにおーかね?」

「これから身に付ければいいだろうが」

「前向きなのは評価するけど、結果が伴わなきゃねえ……」

 不満気な女の子の顔が何かを思いついて、パッと花開いた。



「いいわ。あたしがあんたを鍛えてあげる。どこに出しても恥ずかしくないカッコいい男にね!」

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