実践!恋の吊橋理論 〜運命の恋が始まらないので自力でプロデュースしてみます〜
憧れの石田先輩が卒業してしまう!
入学以来丸一年、ずっと石田先輩を追いかけてきた美咲にとって、運命の歯車はもう自分で押さなきゃスタート前に時間切れ。
幼馴染の透を巻き込んで、美咲は卒業式直前、自力プロデュースで二人の出会いを画策するのだが。
『恋の吊橋理論』は果たして誰を恋に落とすのか。
「美咲、逃げなくていいのか?」
拗ねたような透の声がすぐ間近から響いてくる。
そんなこと言うクセに、目前の透の顔は、夕日みたいに真っ赤に染まってる。
「透こそ、やめるなら今だよ」
言い返した私の声は、だけどイマイチ凄みに欠ける。
きっと私の顔も、透と変わらないくらい真っ赤なはずだ。
直線距離で二十センチ。
この距離じゃお互いの吐息まで聞こえそう。
なのに今更視線を外すこともできなくて、お互い睨みつけるように見つめ合う。
こんなことになるはずじゃなかった!
そう思う間もなく透が少しかがんできて、たった二十センチしかない私達の間の距離を徐々に詰めてきた。
今にも透の鼻先が私の鼻をかすりそう……
「目、閉じろよ」
「と、透、こ、そ」
すれ違った鼻のすぐ上、二つ並ぶ黒目がちな瞳が一瞬強く私を射抜き、そしてゆっくりと閉じられる瞼に隠れるのを薄めで見た私は、重なる唇の感触にめまいを覚えた──
* * *
ことの起こりは三日前。
私はほぼ半年ぶりに透の部屋を訪れていた。
透と私は小学校からずっと同じ学校に通ってきた、いわゆる腐れ縁だ。お向かいの藤木さんちの次男坊の透とは、両親同士も仲がよく、物心ついた頃から当たり前にいつも一緒に遊んでた。
小学校の頃はよく透ん家の庭で一緒に探検ごっこして泥だらけになり、透のおばさんに一緒に裸にむかれて風呂場で丸洗いされてた仲である。
とは言え、最近はあまり付き合いがない。
だって高校になってからこっち、透には彼女ができたのだ。それもいっぱい。
元々、透は顔の造作は悪くない奴だった。それでも中学までは私より背も低くて、お隣の可愛い弟分だったのに。
高校に入って成長期をお迎えした透は竹の子のようにスクスクと身長を伸ばし、あっという間に私よりも頭一つ分は上にいってしまった。
気づけば周りの女子が透を見る目が変わってて、いつも可愛い女の子たちが周りを囲んでた。それにつれ透の外見もなんか垢抜けてきて、その頃から透は私に話しかけてこなくなった。
見上げて話すのも首が疲れるし、私もなんとなく距離を置いてたんだけど。
夏休みなにがあったのやら、新学期には女子と二人でイチャついてる透の姿を校内で見かけるようになり、最近では人目もはばからず頬を寄せる透と彼女の甘い雰囲気を見せつけられることもしばしば。
しかも毎週お相手の女子が違う。
いや〜、お年頃とは言え幼馴染がここまで色欲に染まるのを見るのは引くよね。
でも今回に限り、そんな透の成長は私にとって大変好都合だった。
「俺に強姦しろって、お前、本気で言ってんの?」
久しぶりに入った透の部屋のベッドの下、フローリングの床に正座した私は、なるべく真剣な表情を顔に貼りつけてコクコクとうなずいた。
「いや、もちろんフリするだけだからね」
一方、透はベッドの上。無駄に長い足を折り曲げるようにして座り、呆れ顔で私を見下ろしてる。
そんな透に慌てて補足する。
「あ、もちろん覆面してくれていいし」
「いや校内で覆面とか、それだけで不審者で一発で捕まるだろ」
「じゃ、じゃあ、なんとか顔は分からないようにするから。声も変えてくれていいよ、本当にそれらしく、振りだけしてくれればいいの。先輩が割って入ったあとはとっとと逃げてくれればいいから」
「そこまでするかよ、普通」
呆れ声でそう返す透に、ありったけの熱を込めて言い返す。
「だ、だ、だって、運命の出会いは自分で作らなきゃ起きないんだもん!」
そう。私は今透を巻き込んで、『運命の出会い』を演出しようと必死なのだ。
いや正しくは、私にはその運命の出会いはもう訪れていた。
忘れもしない、あれは去年の四月、私たちの入学式の日。
全校生徒の前、壇上から新入生への言葉を告げる美声に顔をあげ、話し始めた石田先輩を目にした瞬間、目に見えない雷が私を貫いて、胸の奥には盛大な花火が打ちあがった。
壇上に立つ先輩の姿は、この世のものとは思えぬほど素敵だった。
演説中、サラサラの髪を耳にかける仕草が艶めいていて、目に薄くかかる前髪の奥では優しく知性に満ちた大きな瞳が光ってた。日本人離れした白い肌に可愛いエクボ。もう天使のようなって言葉がぴったりなその美しさに、私は一瞬で恋に落ちた。
こんな運命の出会いを果たしたからには、この恋は私が主役!
そう確信した私は、すぐに中学からの親友で情報通の麻美に相談した。
でも私の話しを聞いた麻美の反応は氷のように冷ややかだった。
「あんたね、高嶺の花にもほどがあるわよ。石田先輩のファンが一体この学校にどれだけいると思うの? モブもモブ、一年のなんの取り柄もないあんたが石田先輩の目に止まるチャンスなんて、サマージャンボ一等賞よりも低いわよ」
そんなはずはない。
なぜならこれは運命の恋だから!
非情な友人の言葉にもめげず、なんとしても石田先輩に運命を感じてもらおうと、必死で待ち続けてきたこの一年。
クラスに流れてくる先輩の情報は逐一チェックしてたし、先輩の出没する場所や時間は押さえてた。偶然を装ってすれ違う努力もしてたし、先輩が好きだって言うシャンプーのブランドにも変えてみた。
因みに情報源は全て麻美である。元々情報強者の麻美は校内情報機関部の重要メンバーらしい。クラブ活動を超えるネットを駆使した諜報活動で時々先生に呼び出されてるけど。
無論ファンクラブにもすぐ入ったけど、会員番号はゆうに千番を超えていた。うちの全校生徒数は三百人程度のはずなのになにかがおかしい。
それでもなお、小説や漫画のようなラブロマンスな運命の出会いが私達を待ってるはず!
……そう信じて待ってた時期もありました。
しかしながら人生はそんな甘くはないらしい。
気が抜けるほど私と先輩の間には何事もないまま月日だけが流れ去り。
とうとう来週、石田先輩は卒業してしまわれる。
もう学校の廊下でも校庭でも通学路でも部活でも近くのコンビニでも、大好きな先輩の姿を見かけることができなくなってしまう。
窮地に追い込まれ、ない知恵を絞って絞り出したのがこれ。
ただ待つだけが運命じゃない! 作って見せよう我が運命の出会い!
名付けて『実践!恋の吊橋理論』!
……という私の熱い胸の内をとうとうと捲し立てた私は、最後にフローリングの床に自分の顔が映るほど頭を下げてお願いする。
「だからね透、一生のお願い。あんたのその無駄に多い女性経験を生かして、私を上手に襲ってみせて」
顔を伏せてるにも関わらず、頭の天辺に感じる透の視線が痛い。
今正に見下されてる。間違いなく見下されてる。
それでも頼れる相手は他にいないのだ。
土下座する私の直ぐ横で、おばさんが置いて行ってくれたジュースの氷がカランっといい音をたてた。
「話だけは聞いてやる」
長い長い土下座のあと、透の諦めたような声が頭上から響いた。
「もう一度お前の稚拙な計画とやらを説明してみろ」
天の救いとばかりにがばりと顔をあげた私は、縋るように透の足に膝を詰めて口を開く。
「えっとね、石田先輩はここ三週間、卒業の答辞をリハーサルするために金曜の放課後に体育館に通ってるの。その途中、必ず第一準備室で一人でリハしてから行くんだって」
「……どこで聞いてくるんだよそんな話」
「実行委員の須藤君から麻美経由でお昼一回で買ってきた」
私の説明を聞くうちに、透の視線がそれまでのアホな子を見るものから変態を見るものになり下がった。
言いたい文句は多々あれど、今はグッとそれを抑えて先を続ける。
「先輩は金曜の授業が終わったあとは一度必ず部活に顔出すから、あの部屋にくるのは大体六時半ごろ」
「お前、すっかり立派なストーカーだな」
透がとうとうゴミを見るような目になった。
ふん。女取っ替え引っ替えしてる透になにを言われたってかまうもんか!
「とにかく。先輩があの部屋を使うのは今週で最後みたいなの。だから、透は私と一緒にあの部屋に隠れてて、先輩が来るのを見計らって襲いかかってくれればいいから。あとは透に襲われる哀れな私を先輩が救いだし、か弱い私の泣き顔と半分崩れた制服に胸ときめいて、私たちの運命の歯車がガッチャンガッチャンと回りだすはず──」
熱が入って思わず握り拳を突き上た私を、透の冷たい視線が頭上から射抜いた。
「お前、わかってるよな。それ、俺が犯罪者になるって」
「え、大丈夫だよ。透なら逃げられるでしょ?」
そう。透はこう見えて運動だけはいつもトップ、短距離では陸上部の誰より早いはず。
「逃げる透を捕まえられる人なんてどーせいないから大丈夫」
「そんなこと自信持って言われても全然ありがたくねーよ」
眉をつり上げる透に縋りつく。
「ね、お願い、一生のお願い。幼馴染の運命を助けると思って」
「お前の一生のお願いなんて一体何度聞いたか分からねえし、今更そんなもんに価値ねえし」
すげなくそう言った透だが、しつこく縋りつく私にため息一つ。
「計画は手助けしてやる。その代わり、俺のやり方には文句言うなよ」
根負けしたとばかりに吐き捨てた。
「文句なんて言いません!」
やった! とうとう石田先輩と運命のランデブー!
それしか頭になかったその時の私が、意味深な透の言葉の意味に気づくはずもなかった。





