骨よりも白い色
魂の重さは1オンス。じゃあ、魂の色は?
ああ、綺麗だな。
彼女を初めてそう思えたのは、その身体から彼女のすべてが剥がれ落ちたあとのことだった。
見開いた瞳に映った空も。
艶やかなカラスの濡れ羽色の髪も。
子猫がなめるミルクのような肌も。
その赤い血が透けて見えた唇も。
周りからどんなに美少女と言われていても、心から彼女のことを心から美しいと思ったことはなかった。
だけれど、今、目の前にいる彼女は確かに美しかった。
ここに来るまで長かった。
さて、語らせてもらおう。
この嘘つきの物語を。
***
加賀美ありす。
彼女のことを初めて意識したのはいつのことだっただろうか。
クラスメイトという認識はあった。
自分の人生における単なるモブから、つい目で追ってしまう人になってしまう存在ではなかった。
ただ、周りから美人といわれるクラスメイト。
彼女のことはただそれだけしか思っていなかった。
最初はそう、
「どうして、こういう青春で泣ける小説って、青っぽい表紙ばかり何だろうね?」
彼女がそう皮肉をいって、冗談っぽく笑ったときだ。
そう言われたとき、僕はあいまいに微笑みかえすことしかできなかった。
いつもと変わらない放課後の本屋。
図書委員だった彼女と僕は来期の本の仕入れの下見をしていた時のことだ。
彼女は皮肉を言って気が済んだのか、くるりと回れ右をした。
人気のライト文芸の棚から、お気に入りの海外SFの棚へと軽やかに歩いて行く。
制服のスカートは彼女にあわせて、ミュージカルのワンシーンと見紛うようにふわりと広がり揺れる。
その瞬間、僕はなぜだか映画監督になろうと思った。
映画なんて人並み程度にしかみないけれど。
だけれど、彼女のスカートと白い脚、そして、地面に映る君のシルエットを映像として永遠に残したいと思ったんだ。
加賀美ありすはスカートのプリーツと艶やかな黒髪を揺らしながら、本の棚の間を泳いでいく。
静かで青春が半分死んでいるような本屋という場所が、彼女が歩くことによってふわりと明るくなる。
それはまるで物語が始まるための扉がクローゼットの奥から人に語り書けるような光だった。
なにか新しい物語が始まるかと錯覚したのは僕だけじゃなかったはずだ。
それ以来学校でも彼女のことをつい目で追うようになった。
普通ならこの感情を「恋」と呼ぶのだろう。
普通の男子高校生であれば、彼女のことを知り、彼女に話しかけて、友達になればいい。うまくすれば、告白なんてイベントを起こす。
簡単なことだ。
だけれど、僕は自分が彼女に恋をするなんて思っていなかった。
だから、あんなことになってしまったのだろう。
そう、クラスで一番の美少女。
加賀美ありすという存在は死んだ。
すべて僕のせいだ。
***
加賀美ありすという存在を意識しはじめてから僕の学校生活は変わった。
変わったというより、普通になったという言い方の方が正しいかもしれない。
「おはよう!」
教室にはいるとき、僕は思い切って声をだした。
加賀美ありすの存在を意識してから一週間くらい経った日のことだ。
いつもは俯いて頭を下げた状態を保つか、なにか「お」という言葉を口の中でごにょごにょところがすだけだった。
別にはずかしいとかそういうわけじゃなかった。
ただ、誰かとかかわるのが面倒くさかったのだ。
だけれど、事情が変わった。
加賀美ありすのことを知りたかったのだ。
「「おはよう」」
さすが進学校だ。
皆なんだかんだ中学校まではクラスの委員長や副委員長をつとめてきた学生ばかりだ。
ようするにお人好し。
少し戸惑った顔をしていたけれど、素直に挨拶が返ってきた。
上手くいった。
僕はそう心のなかで、にやりとした。
にやりなんて気持ち悪いけれど、その時ばかりはいつもより少しだけ心が弾むような感じがしたのだ。
もちろん表情にはだしていない。
人から好感度をもってもらえる、微笑ができていたはずだ。
一週間、練習したのだ。
家で久しぶりに鏡に向き合って、口角をキュッとあげる練習を。
大丈夫、コツはつかんでいるはずだ。
子供のころはこの表情が得意だったのだから。
「なんて、可愛らしい子供なの」
子供のころは大人たちからよくそんな言葉をかけられた。
客観的にみて、自分は別に特別かわいいとは思っていなかった。
少なくとも粉ミルクやらオムツのモデルになれるほどの造形としての美しさはない。
ただ、他の子どもより少しだけ賢かったのだ。
大人がどんな子供をかわいいと思っているか知っていたのだ。
幼い子供というのは大人から庇護をひけるために可愛らしい造形をしているのだ。
だけれど、子供というのは世界に出てきたばかりで不機嫌だ。
自分の手足にかかる重力に聞いたことのない音。
毎日が知らないものとの出会い。
不機嫌になって当然だ。
だから、子供は毎日泣いている。
だけれど、僕は違った。
泣く代わりに笑ったのだ。
そうすると、大人たちは助けてくれたから。
笑っていないと生きていられなかったともいうけれど……。
水色のワンピースに白いエプロン。
髪を綺麗に梳かされて、ベルベッドのリボンが頭に飾られた。
今、思い返してみるとまるで不思議の国のアリスのようだ。
一人の大人から愛されて、世界中に愛される小説のヒロインになったアリス・リデル。
そんな恰好をさせられたときにほほ笑めば、大人たちは優しかった。
易しいというほうが正しいかもしれない。
笑って、少し従順なフリをすれば、みんな簡単に言うことを聞いてくれた。
誰も乱暴なこともしないし、どならないし、なんでも買ってくれた。
そのころから、僕にとって大人はモブだった。
やさしかった大人は全部モブだ。
区別なんてない。
みんな同じだ。
僕がちょっと笑えば、さっきまで偉そうにふんぞり返っていたのにあっという間にいうことを聞くようになった。
区別する必要なんてなかったのだ。
そして、いつからかクラスメイトたちの区別もつかなくなった。
たぶん、僕たちが大人になったからだろう。
僕にとって大人は女とか男とか程度の区別しかつかないモブなのだ。
だけれど、加賀美ありすは違った。
加賀美ありすだけはモブじゃなくなったのだ。
でも、きっとモブであり続けたほうが幸せだったかもしれない。
加賀美ありすが僕にとってモブで有り続ければ、あんな事件に巻き込まれることはなかったはずなのだ。
彼女を地底深くの穴に落としたのは僕なんだ。
冷たく湿った土の中で彼女の肉が虫たちに食まれ、失われていくことになったのは僕のせいなのだ。
不思議の国なんて存在しない。
それは子供時代の僕が知っていたはずなのに。
加賀美ありすは死んだのだ。
そう、加賀美ありすのあのミュージカルのワンシーンのようなプリーツスカートも今は深い土の中で眠っている。
きっと、もうあのときのように太陽の下で軽やかに風になでられることなんてない。
「どうして、こういう青春で泣ける小説って、青っぽい表紙ばかり何だろうね?」
この言葉さえ聞かなければ、彼女はきっと今でも変わらずにほほ笑んでいただろう。
さあ、いまから加賀美ありすの死の真相について語ろう。





