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あんたのそれはテロ飯だ!

 調理室前の廊下を歩いていると、ふわっと良い香りが漂ってきた。

 時はすでに放課後。給食用に何かが作られている、というわけじゃない。


「あいつ、もうやってるのね……」


 ここまで来たはいいけれど……これから起こることを考えるとそれはもうとてつもなく気が重くなる。

 ふう、と息を整えて扉をあける。途端、一気に押し寄せてくる芳醇な匂い。ほんのりと鼻をつく香辛料がアクセントとなって、食欲を刺激してくる。

 中では、黒板前の調理台で鍋をかき混ぜている好青年が一人。室内に匂いが充満しているところを見ると、作り始めてからすでに時間がたっているんだろう。今日は一体何を作ってるのよ……。

 わたしは彼がいる調理台の前にあったイスにどかっと腰掛けた。が、彼は作業に集中しているのか近くにわたしが来たことに気づいていない。

 あー、もうどれだけ集中してんのよ。


「おまたせ、拓人(たくと)

「あ、かがり! ちょうどいいところに来たね!」


 今気づいたと言うように、にへらと柔和な笑みを浮かべる青年。彼の名前は多和(たわ)拓人。百七十センチとわたしより一回りくらい大きな身長で、ふわっとした茶髪のマッシュヘアがチャームポイントなわたしの幼馴染だ。ちなみに、こいつは調理部に入部してるわけでもなく、勝手に調理室を使ってる不届きものだったりする。


「ちょうどいいとこに来たねって、あんたが今すぐ来てって連絡よこしたんでしょうに……」

「へへへ、そうだった! でもほんとに良いタイミングで来たよ。見て、もうすぐ完成するから!」


 ほら! と拓人は目の前のコンロで火をかけていた鍋を持ち上げて、こちらに見せてきた。

 よく煮込まれて良い色をしたカレールーにゴロッとしたジャガイモやニンジンが入っていて、見ているだけでもお腹が鳴ってしまう。ここに入る時も思ったけど、まだちゃんと美味しそうね。


「どう? 今日のは結構自信あるんだよ? かがりのために腕によりをかけて作ったんだから」

「……っ!」


 こいつ、人の気も知らないでそんな恥ずかしそうな言葉をぬけぬけと……!

 顔が熱くなってきたのを誤魔化すように、私は言った。


「わ、わかったわかった! 今日はカレー作ったのね? 危ないから鍋はおろしなさい」

「うん。じゃあ後は仕上げだけだから、完成したらまた試食はお願いね!」

「はいはい」


 拓人はわたしの言葉に素直に従うと、横に置いてあった板チョコを大量に鍋へ投入した。そのまま手に持っていたお玉でぐるぐるとよーくかき混ぜて……って。


「ちょ、拓人。今その中に何入れたの!?」

「え? 何ってチョコレートだよ?」

「チョコレートだよ、じゃない! 今とんでもない量入れたわよね!?」

「大丈夫、ただの隠し味だから!」


 大丈夫だとか絶対そんなわけないじゃん! わたしの目には間違いなく板チョコが何枚もあったのが見えたんだけど!? 

 なんて会話をしているうちにもチョコレートが溶け始めたのか、カレーに甘いカカオが混ざってむせかえるような臭いが……。


「た、拓人!? これ本当に大丈夫!? なんか匂いもすごいことになってきてるわよ!?」

「だ、大丈夫だよ。きっと美味しくなるから!」


 苦笑いでそんなこと言われても説得力無いっつの!

 てか拓人のやつ、この臭い直で嗅いでるんだけど平気なの!? わたしめちゃくちゃむせそうなんですけど!?

 わたしの言葉を気にも留めず、拓人はそばにあった小皿にカレーをほんの少し掬う。それをそのまま口へ運ぶと……。


「うん……いけなくはない、かな」


 そんなわけないわよね!? 味見中に真顔でそんなこと言われても信じられないんですけど。

 拓人は小皿を流し台へ入れると、今度は大きなお皿にカレーを盛り付ける。そしてもう一杯盛り付けて、さらにもう一回盛り付け——


「って、もういいもういい! どれだけ食べさせるつもりよ!?」

「えー、結構いけるのに」

「せめてもっとまともな料理を作った時にやりなさいよ!」

「じゃあ……はい。試食お願いね!」

「うっ……」


 拓人は盛り付けたお皿をわたしの前へ置くと、やり切った顔でにっこりと破顔した。

 わたしはというと、臭いの元凶……もといまずそうなカレーが目の前に配膳されたことで思わずむせそうになる。部屋に入った時の美味しそうな匂いはどこへやら。スパイシーなカレーの中に甘ったるいチョコの香りが混ざり、少し嗅ぐだけでも気分が悪くなりそう。

 正直今日ここまでやばいものを作るとは思わなかった。嘘でも食べたいとは言えないレベルだよ、これ。でも、わたしはこの試食のためだけに呼ばれた、つまりここで試食をやめてしまえばそれはもう用済みな存在になるってわけで……。


「ああ、もう!」


 いいわよ、だったらいくらでも食べてやるわよ! 別に食べたからって死ぬわけじゃないし、なんならこいつの手料理が食べれると思えばむしろ最高だっての!


「いただきます!」


 意を決して、カレーに手をつける。スプーンで少し掬い、そのまま口へパクリ。

 じんわりと口の中に広がるカレーの風味。ピリッとした辛さがチョコで中和されているのか、辛いものが食べられない人でもたべられるくらいにマイルドになっている。

 あ、意外といける……かも?

 と思った矢先、先程までの旨みを上書きするように甘ったるいチョコレートが口の中を支配した。カカオの甘さの中にピリ辛さが混在した結果、カレーの風味のあるチョコみたいな味になっていて……。


「おええええ……」


 たまらずわたしは吐き出してしまった。



   ☆☆☆



「なんで、あんな量のチョコレートを、ぶち込んだわけ……っ!?」

「そ、そりゃもちろん美味しくなると思ったから……」

「それにしたって限度ってものがあるでしょうが……っ!」


 わたしは息も絶え絶えになりながら、拓人を問い詰めていた。

 うー、まだ口の中にカレー味チョコの風味が残ってるし最悪……。

 先週も煮込んだヨーグルトに溶き卵を混ぜた変なのを試食させられたし、少しは中学の時みたく美味しいもの作ってくれてもいいのに……。というか。


「毎日こんなことばっかやって先生に怒られないわけ? いつもやってたらいつか苦情でも来そうだけど……」

「それについては大丈夫! い、一応こっそりやってるし……それに、やばそうな時は調理部の部長の名前を出していいって言われてるし——」


 その時、拓人の言葉を遮るように勢いよく扉が開かれた。


「やあやあタクト君。今日もやっていたみたいだね」

漆原(うるしはら)先輩!」


 入ってきたのは、漆原先輩と呼ばれた長身な女性。腰あたりまで伸ばしたさらさらな黒髪に、制服の上からでもわかる引き締まったプロポーション。目鼻立ちもしっかりしてるし、まつ毛も長くて綺麗……ちょっと妬けちゃいそう

 拓人、こんな美人な先輩と知り合いだったんだ……。や、別に拓人がそういう交友関係を築こうがどうでもいいけどね!?


「今日はカレーかな? 外にも少し漏れていたよ」

「そうなんですよ。もしよかったら先輩も食べて行きますか? 盛り付けますよ」

「ありがとう、じゃあお願いしようかな」


 彼女は拓人がお皿にカレーを盛り付けるのを眺めながら、ぽつりと呟いた。


「……ふふっ、実は少しお腹が空いていてね。今入ったら食べさせてもらえるかな、なんて打算的な考えもあったんだ」

「だと思いました。どうぞ、少し多めに盛り付けておきましたよ」

「うん、ありがとうタクト君」


 わたしを置き去りにして、楽しそうに会話を続ける拓人と漆原先輩。

 拓人が楽しそうに会話してるのはいいんだけど……なんだか自分が座っていた席を先輩に横取りされた感じがして、少し複雑。

 先輩は渡されたカレーに手つけて、一言。


「うん……なかなか美味しいじゃないか」

「ね、なかなかいけますよね? それなのにかがりは不味いって吐き出しちゃって……」

「なっ!? わ、わたしが悪いみたいに言わないでよ!」


 あれは普通にまずかったわよ! というか、あれを平然と食べれるなんて言えるあんたとそこの先輩がおかしいんじゃないの!?


「やっぱり惜しいな……」


 と、先輩がなにやらボソッと呟いた。惜しい? 一体どういう……。

 先輩は机に肘をおき、どこか切実さのこもった声で言った。


「タクト君。やっぱり調理部に入らないかい?」


 うえっ!? そ、そしたらもう拓人から試食を頼まれることがなくなっちゃうんじゃ……!?

 すると、拓人は困ったように。


「その話は他の部員が反対してダメになったじゃないですか」

「ほら、そこは部長特権で——」

「大丈夫ですって。僕はここの部屋を使わせてもらえるだけで満足してますから」

「そうか……ま、無理に誘うものではないか」


 そっか……よかった。そしたらこの試食会がなくなることはなさそうね。

 なんて安心したのも束の間、漆原先輩はあっと声を漏らすと得意げに笑みを浮かべて言った。


「そういうことなら今度から私も試食に混ぜてもらうとするか!」

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