其のBL、機密文書につき
厳田組頭首、厳田銀一郎が息を引き取ったのは、つい三日前のこと。厳田組頭首の座は、息子である総一郎に引き継がれることになった。組の中で派閥が分かれることもなく満場一致の決定。もちろん、武闘派の親父とは違って口八丁でクズ株を売りさばいて地位を築き上げてきた彼のことを「いけ好かない」と思うやつがいないわけではないが。
親父が深々と腰かけていた本革の椅子に自分が腰かけることになるとは――しばらく感慨に浸っていたところで事務室にノックが響いた。
「総一郎殿、富士好子という方が、遺品の整理をしたいと」
わざとらしく椅子を揺らして、きしむ音を愉しんでいたところに、世話役の末吉がやって来て頭を下げた。 好子というのは、どうも銀一郎が生前に囲っていた愛人の一人らしい。そんな名前の愛人がいたことなど総一郎は知らなかったが、事務室に入れることは問題ないと判断した。 が、末吉はそれでは駄目だと話す。事務室には彼女だけがいる状態にして欲しい、というのだ。
「なんや? 見られてはマズいものでもあるんか?」
「それが、どうも組の機密に関わるものが事務所にあるということで、それを関係者以外の目に絶対に触れない場所に移してほしい、という銀一郎殿の意思だそうで」
「そうか、関係者以外の目に触れたらあかんということやったら、仕方がな……」
ここで、総一郎は不審な点に気付く。
「待て。組の機密情報やったら、なんで現頭首の俺が、知ったらあかんことになってんねん」
「さあ?」
「いや、さあと違うやろ」
末吉が数秒考えこんでからやっと首を傾げるものだから、総一郎は深いため息を漏らす。
「その女を事務室に連れて来い」
入ってきたのは、鮮やかな牡丹の柄の着物を羽織った四十を過ぎた頃の女性。もともとは事務室に自分だけが通されるはずだったこともあり、かなり機嫌が悪いよう。端正な顔立ちも相まって蛇のように鋭い睨みを総一郎に向ける。
「なんや、私だけで事務室に入らさせてもらえる話とちゃうんか?」
「まあ、落ち着きなはれや」
「そうさせてもらいますわ」
こちらが勧めるまでもなく、応接スペースのソファに腰かけて煙草を吸い始める。所謂インテリヤクザであるとはいえ、一通り格闘技は修めてきている総一郎を前にしてこの態度。肝の据わり様は、流石極道の女といったところ。
ふてぶてしく煙を吐く彼女に向かって座ったところで、末吉が煎茶を二人に出す。好子はそれさえも、時間稼ぎのようで気に入らないらしく、「接待やったら、さっさと済ませてんか」と言い放つ。
末吉が淹れた煎茶は極上やのに――と心の中で呟きながら、一口啜る。今日は珍しく調子が悪いのか変に苦い。
「親父が何を隠しとんかは分からんが、実の息子に秘密にしておくことがあるんか?」
「銀一郎はんは、息子だけには内緒にしといてくれと言うてはったけど」
「それはどういうことや?」
「知られるくらいなら、死んだ方がマシやとも」
ますます意味が分からない。これでは機密情報というより、ブラウザの検索履歴かなにかだ。
「生まれたときから組の次期頭首となることをひたすらに考えて、一度たりともカタギになろうと思うたことなんてない。そんな息子相手に、水臭い話やと思わんか? それに、おじきが死んだ今は、俺が組を引っ張って行かなあかん。組の大切な情報や言うんやったら、俺が知ってなあかんのやないか?」
「まあ、それは一理あるか」
相変わらず鋭い表情ではあるものの、少しは態度を軟化させてくれたよう。
「ところで総一郎はん、海外ドラマは見るんか?」
煙草の灰を潰しながら大きなため息をついた後、好子は突拍子もない話題を振ってきた。
やっと話す気になったかと思えば、今度は世間話でお茶を濁すつもりか。気乗りはしないものの、ここで無駄に相手の神経を逆撫でしてはいけないと思い、話題を合わせることにした。
「香港のマフィアものやったら、たまに見るけど」
「私はな、タイのBLドラマをよう見てんねん」
「BL、なんやそれ?」
「男同士の恋愛を描いたジャンルのことや。BLファン界隈では、それなりに名が通っている作品なんやけどな。“やくざ~ずらぶ”いう作品が原作で、ある組の若頭が、同じ組の鉄砲玉を溺愛しとってな。その鉄砲玉が組の抗争に駆り出されて、死ぬかも知らんって若頭が大泣きするとこがあってなあ、あれは役者の演技もあって泣いてもうたわ」
「意味が分からんのやけど。若頭も鉄砲玉も、むさくるしい男やんけ」
「やっぱり、総一郎はんに話すわけにはいきまへん。厳田組の将来は任せられへん」
総一郎は至極真っ当な意見を述べたつもりだったが、何故か好子はへそを曲げてソファから立ち上がる。
「いやいや待ってえな。冗談や。ちゃんと興味あるから」
「ほんまに!?」
好子が年甲斐もなく目を爛々とさせることに一抹の不安を覚えながらも、総一郎はその場を取り繕うことに。
「そのヤクザの鉄砲玉がなー、何回も抗争に駆り出されるもんやから、若頭がこのままでは死んでまう言うて別の若いのを向かわせてたら、それで嫉妬してもうてなあ。鉄砲玉のほうは若頭に戦績を示すことに喜びを感じとってん。このすれ違いを描くんがもうきゅんきゅんでなあ」
いったいどこが厳田組の機密に関わるのかとんと分からないまま、見たこともないタイのBLドラマの内容を聞かされ続けること二時間弱。相手の話に興味がある素振りをすることは慣れている総一郎でも流石にこれは堪える。意識が明後日の方向に行きそうになったところで、とんでもないことが彼女の口から放たれた。
「ほんにこのストーリーを考えた銀一郎はんは天才やと思うわあ」
「ちょっと待て……、今なんて言うた?」
「せやから、ヤクザの鉄砲玉がなー、何回も抗争に駆り出されるもんやから、若頭がこのままでは死んでまう言うて……」
「その長い件もっかいやらんでええわ! その天才的なストーリーを誰が考えたんや?」
「やから、銀一郎はんが……」
そこで重大な秘密を漏らしてしまったことに気付いて、口許を手で覆う好子。
「今言うたことは忘れてんか」
気持ちが高ぶって立ち上がってしまったところから、ソファに座り直して落ち着きはらってみせるものの、ライターが咥えた煙草の先にまったく当たっていないところから、相当動揺している模様。
「ほんまなんか?」
「何がや?」
「俺の親父が、厳田組頭首、厳田銀一郎がタイのBLドラマ原作を書いてたいうんは、ほんまか?」
「せや。くりいむマトリッツォいうペンネームで書いとる」
「なんやその軟弱なペンネームは! そもそもマリトッツォや! 間違うとるわ!」
「え、そうなん!?」
「どうでもええとこでびっくりせんでええわ!」
総一郎は、「まじか、まじか……」と念仏のように唱えながら頭を押さえてうずくまる。
「ただの悪ガキだった俺に、ヤクザのシノギを一から叩き込んでくれた父親が、BLドラマの原作者て」
「ちなみにヒロインの鉄砲玉のモデルは、十年くらい前の若いときの総一郎はんやって」
「一番知りたない情報勝手に出すなや! ということは、おじきが秘密にしとった遺品いうんは……」
「銀一郎はんが保管しとったその“やくざ~ずらぶ”の原本や。それがないとドラマの脚本があがらへん」
「いや、何処の世界にBL漫画がシノギのヤクザがおんねん。そんな組の頭首嫌やわ!」
衝撃的な事実の連続で思わず、自ら厳田組の頭首の座を明け渡すような言葉を放ってしまって慌ててしまう。
「訂正、俺は頭首の座を捨てるわけやない。ちょっと頭がついていけてへんのや」
とりあえず気分を落ち着けようと胸ポケットから煙草を取り出し、一服しようとした瞬間。
ズガン!
銃声が轟いた。総一郎の手に握られていたジッポライターが弾け飛ぶ。事務室に訪れた静寂の中、向かい合った好子の高笑いが響き渡った。撃ったのは、世話役の末吉。普段の護衛を彼に任せていたこともあり、総一郎は丸腰の状態で銃口を向けられることとなった。
「総一郎はん、間抜けどすなあ。口八丁で地位を築き上げたあんさんが、こんな安い罠に引っかかるなんて。銀一郎はんの作品の価値が分からんような人に組の舵は渡せまへん。なあ、末吉はん」
「どういうことや! 末吉!」
事態を呑み込めず狼狽える総一郎に、冷笑を送る末吉。彼の右手にはトカレフの銃、左手にはボイスレコーダーが握られていた。
「“やくざ~ずらぶ”関連の興行利益に比べたら、お前が売りさばいているクズ株も、他の組の人間がやってる薬物取引もはした金」
彼の話では、組の利益の大半は、タイの興行会社へのドラマ原作提供料が占めているという。
「組の事業の価値を理解できない頭首は必要ない。体裁上、いったんは頭首を継がせた上で、『頭首の座はいらん』という肉声の言質を取った後に、お前を組から追放する。完璧な作戦だろ?」
「ふざけんな!」
怒りに任せて大声をあげて立ち上がったところで、視界がぐらりと揺らいでその場に倒れ伏してしまう。
「煎茶に混ぜた薬が効いてきたみたいだな」
「な、なんやと……。渡さへん、渡さへんで。厳田組頭首の座は」
「ちなみに党首の座を継ぐと、同時に、タイの興行会社との取引、ならびに原作漫画の続きの制作も引き継ぐことになるが」
「ごめん……、それはやっぱやりとうない」
そこで総一郎の意識は途絶えた。





