聖なる水晶の乙女は王を選ぶ
クリスタ王国には、建国神話がある。持ち主を守り続けてきた、金色の針が閉じ込められた歪な水晶は、持ち主を守るたびに針が減り、乙女の姿が顕現する。乙女と金色の針、水晶。この三つの持ち主こそが、正統な王を王たらしめるのだ。閉じ込められた乙女は、恋心を封じ込められている。けして結ばれない恋心を、愛する人のため、王国のために使うのだが、それは、この世で決して結ばれないことを意味する。リリアーナは、聖なる水晶の乙女の後継者であり、最初の水晶の乙女の元を訪ねるのだがーー。
その水晶は、常に持ち主を守ってきた。
お守りにするには歪な形をして、透明な部分と不透明な部分に分かれていた。
中には不純物ーー金色の針のようなものが幾本か、きらきらと陽の光に輝いた。
持ち主を守るたびに、この金の針のようなものはひとつ、またひとつと消え、柔らかな笑みを浮かべた乙女の姿が顕現した。
持ち主を守り続け、とうとうある日、最後の針が消えた。
水晶はその時、音も無く割れ、砂のようにさらさらと散った。
最後に残されたのは、柔らかな笑みを浮かべた乙女の姿だった。
これは、クリスタ王国に伝わる、建国の神話である。ーー
☆
「それで、最初の水晶の乙女が、サフィってワケ?」
「まあ、そうなるさね。」
ゆっくりと眠たげに、水煙草を燻らせて、サフィと呼ばれた老女は、煙を宙に吐き出した。
ぷかぷかと円を描いて三つ、最後にもうひと吐きして、三つの円を繋ぐように大きな円を作った。
「乙女と、金の針と、水晶。三つがこの国の継承の象徴。王を王たらしめるのは、この三つを繋ぐ円環であること。」
小さな小さな洞窟の奥を、人が住めるようにした部屋もどき。僅かに天井から穴が開き、採光と風通しになっている。
燻らせた水煙草、と呼ばれる細長い管を口から放し、サフィ、と呼ばれた老女はそっと呟いた。
「あたしゃね、恋心を封じられたのさ。金色の針は、想いの数、ときめきの数……。そして、魔法の数。恋する乙女は、王を選ぶ。乙女が選ぶ時、水晶は力を持ち、王を王たらしめる。そして乙女は、水晶に封じられる。……リリアが選んだのは、ガーネット様だね?」
「ええ、私の従姉様。私の最愛、紅髪の戦姫、優しくお強いお姉様よ!」
リリア、と呼ばれた乙女は、清らかに笑んだ。
サフィは眩しそうに目を細めた。
今代の水晶の乙女が選んだ相手は、クリスタ王国の歴史の中でも、最も凶悪と言われ、恐れられている王女殿下。
彼女が戦場に赴けば、その紅い髪よりも赤く、辺り一面焼け野原。
その髪色を見た者は、血よりも炎よりも赤々と燃えるようだ、と言う。
ところが、戦姫のガーネット王女も、王国どころか、大陸一帯を掌握できそうでも、次期クリスタ王国継承者候補の一人にしか過ぎない。
それは、聖なる水晶の乙女が選んだ相手ーー恋をした相手のみ、神聖な力が授けられ、水晶の王国は完成するからだ。
「ねえ、サフィ。私は、国とか、大陸の覇権争いとか、どうでもよいのよ。お姉様が、王になられるのであれば。私のときめきも、乙女心も、全て、水晶に捧げるわ! どうか、教えて、最初の乙女、聖なる水晶の導き手様。今、王国の水晶は、どこにあるの?」
リリアの全身は、汗と浅い傷だらけであった。
この洞窟に辿り着くまでに、追っ手を掻い潜り、山を越え、森を抜け、幾日か過ぎた。
「……水晶が、無い? どういうことだい、リリアーナ様? アレは、乙女の思い人の傍に、常にあるものだ。」
サフィは怪訝そうに尋ねた。眠たげな目が、はっと見開かれた。
「まさか……! リリア、水晶の谷の、祭壇には行ったかい!?」
しかし、そんな、と、早口で呟きながら、サフィは部屋を忙しなく歩き回る。
「い、いいえ! 待って、サフィ! 乙女の選定の儀が終わってから、水晶は現れるのでしょう? その儀式を行ったのに、水晶は現れなかったわ!」
「現れなかった! リリア!」
すう、はあ、と、息を整える老女。
「……リリア、落ち着いて、確認したいことがあります。」
「な、なあに、サフィ。」
ゴクリと喉を鳴らすリリア。
「ガーネット様は、本当に、女性ですか?」
「え……。」
リリアは、ゆっくりと目をつぶった。
☆
リリアが七歳の頃、初めてお会いしたガーネット様は、二つ上の、気高く美しい方だった。背筋を張り、紅い髪がよく映えたドレスを着こなし、シンプルながらも大ぶりな、ガーネットの宝石を身に着け、子供とは思えないほど、指の先まで所作が完璧だった。
そんな従妹に、子供心に見惚れていると、リリアに気付いて来てくれた。
「あなたがリリア? まるで子栗鼠ね。可愛らしい。」
目をきらきらとさせて、本当に可愛らしいものを見たように、笑った。
リリアの髪は焦げ茶色に近く、束ねると栗鼠のしっぽのようだった。ほんのひと房、結んで飾りを付けていたのを、可愛いと目の前のガーネット様に微笑まれ、リリアは赤くなった。
「は、はじめまして! リリアーナ・スフェーンと申します。本日はお会いできまして光栄でしゅ。」
噛んだ。リリアは、やってしまった、と思ったが、
「ふふふ、やっぱり、リリアは可愛らしいね!」
と、この時をきっかけに、すっかり気に入られたのだった。
それから、何度かお茶会に招かれ、ガーネット様と共に、家庭教師から学べる事にまでなった。だんだんと一緒の時間が増えるにつれ、互いに成長するにつれ、少しずつ、違和感があった。
ーーなぜ、お姉様は、お胸に詰め物をされているのかしら?
それは、リリアが十二、ガーネットが十四の頃だった。
クリスタ王国は、水晶の乙女の神話があるためか、胸は慎ましやかな方が好まれやすい。
ガーネットは、慎ましい方であったはずだ。
その時は、流行のドレスの着こなしのためかと思っていた。流行り廃りは、王女であるガーネットから生まれやすい。
次の違和感は、デビュタントのダンスの練習をした時だった。
なかなかコツが掴めないリリアに、わざわざ二人きりの時間を取ってくださったガーネット様は、なぜか男性パートを覚えていて、リリアをリードしてくれた。
ガーネット様の私室で、他の者は下げられた中、二人だけで踊るワルツ。
リリアは、背の高い従妹を見上げて、うっとりとしてしまった。
そして、足のステップを踏み間違えたのだ。
「きゃっ!」
よろめいた弾みで、ガーネットに抱き着き、間の悪いことに、足を引っかけてしまった。
二人はもつれて倒れ込み、ガーネットの鍛えられた脚と、喉に何か膨らみがあるのが見えた。
「お姉様! 大丈夫です……か!?」
倒れたガーネットを起こそうとすると、そのまま手を引かれて抱き寄せられた。
「……ばれてしまったね。」
耳元で低い声で囁かれ、リリアは背中がざわり、とした。
「お姉様、どういうことですの?」
「もうすぐ人が来てしまうから、このまま黙って聞いてくれるか。ガーネットは幼名であり、本名はアルマンディン。ーー男だ。リリア、君を死なせないため、女装している。」
「お姉様、お姉様は……お兄様だったのですか!?」
「ああ、そうだよ。僕の子栗鼠。お願いだ、水晶の乙女にはならないでくれ。」





