誕生
どれくらい時間が経ったのか。長くも思えるし、短くも思える。緊張のあまり、時間という感覚がマヒしてしまったようだ。
俺たちはモーラの指示に従って、ひたすらに動いた。といっても、寒風が流れ込む屋内で保温につとめたり、流れる汗を拭ってやったりとしかできなかったが、ラナさんはくじける様子もみせずに出産という難治に敢然と立ち向かった。皆が固唾を呑みながら見守る中、ついにその瞬間は訪れ――
――オギャア
確かな産声をあげ、新たな命が生まれた。その声を聴いた瞬間に、その場の全員がほぼ同時に安堵の溜息をつく。外まで聞こえたのだろう。どっと男たちの歓声が響いた。
「やったね! ラナッ!」
「本当に頑張ったよお。ほら、元気に泣いてるよ」
キャロルさんと、ダイアナさんが涙を流しながら、ラナさんに寄り添う。そして三人で愛おしそうに、モーラの腕の中で元気よく泣き続ける赤ちゃんを見つめた。
「はい。痛みに耐えてよく頑張ったね」
モーラがラナへと、いまだ胎脂にまみれた赤ちゃんを渡す。本当に小さいな。モーラが予定より早いと言っていたし、未熟児という可能性もあるのか。こうして立ち会った以上はこの子に無事に育ってほしいが。
ラナさんは我が子を恐る恐る受け取ると、その顔をジッと覗き込む。16歳という前世ではまだ子供といっていい年齢で、母となった少女は今何を思っているのだろうか。
「やったね、ラナお姉ちゃん! 赤ちゃんだよ、赤ちゃんっ! 凄いね」
セティが命の誕生の瞬間に立ち会った興奮から、ラナさんへと無邪気に笑いかける。純粋にそのことをただ喜んでいるのだろう。童心というやつか。子供であっても、子供らしさを発揮できないスラムの中で、ただ純粋に子供であり続けるセティを、俺は時折羨ましく思う。ラナさんもそんなセティの言葉にようやく出産の緊張がほどけたのか、おっとりと優しく微笑みかける。
「そうね、私やったのね。なんだかあまり実感がわかないけど」
「やったんだよっ! そうだっ、この子に名前をつけないと。それにお洋服なんかも色々買ってあげて。ああっ⁉ 赤ちゃんって、どのくらいで話すんだっけ? お姉ちゃんって呼んでくれるかなあ?」
セティの頭の中では、既にまだ名前もないこの子との薔薇色の未来が展開されているらしい。せわしなく言葉を紡ぐセティを、だが今回はさすがにモーラが窘めた。
「セティ、落ち着いて。赤ちゃんを産むのはとても疲れることなんだよ。それにこの子を産湯につからせてあげないと」
「あっ、そうか。ごめんなさいラナお姉ちゃん」
セティが自身の粗忽さを悔やむようにシュンとする。
「いいのよ、セティ。ここまでくるのにあなたに大分助けてもらったから。セティのお陰で元気に生まれてきてくれたわ。ありがとうね」
アンナがセティがお小遣いをせびって、ラナさんに食べ物とかを貢いでいたと苦笑していたのを思い出す。大分前から赤ちゃんの誕生を心待ちにしていたのだろう。
「それじゃあ、赤ちゃんをお風呂に入れよう。それと、エリス。ラナは今達成感で疲れもあまり感じていないかもしれないけど、実際は疲労困憊だからね。癒しをお願いできるかな。ラナと赤ちゃんの両方に」
「あ、はい」
確かに出産後、母親が急死するということもあるらしいしな。医学が発達していないこの世界では、なおのこと多いだろう。だが、ここでエリスの加護を明かすことになるとは想定外だった。モーラにだけは伝えていたが、他人に漏らすことはないと思ってのことだ。モーラと視線があうと、すまなそうに両手を合わせてみせる。今回のことはモーラにも想定外だったのだろう。
「えっ、エリスさんって神官様なんですか」
案の定、キャロルが驚きに目を丸くする。
「でも、奇跡を受けられるほどの持ち合わせが私たちには、ありません」
ダイアナが申し訳なさそうに呟く。神殿も人の組織であるから、ただでは奇跡を施してはくれない。よって、スラムでは奇跡を受けられる者などそうはいない。以前、こっそりやってくれた神官のお姉さんも、バレたら怒られるから内緒ねと言ってたしな。
「大丈夫です。私は神殿には所属してませんから」
「え、じゃあ愛し子なの? 本当にいるんだ」
キャロルが目を丸くする。
「だから、お金は大丈夫です。だよね、お姉ちゃん」
「ん、まあね」
この場合、もう仕方ない。まあ、この娘たちは良い子そうだし、なにもしないなんて選択肢はない。後でコッソリ他言しないよう釘をさしておこう。
「わあ、気持ち良さそう」
モーラが赤ちゃんを木のたらいにはった産湯に入れると、泣き声は段々小さくなり、やがて泣き止んでしまう。その小さな体がモーラの手にそっと支えられながらプカプカと浮いていた。セティが顔を輝かせて、それを眺めながら傍らのノアを手招きする。
「ねえ、可愛いねノアちゃん」
「うん、そうだね」
セティの言葉に頷きながら、真剣なまなざしでじっと赤ちゃんを見つめるノア。きっと色々な思いが、胸の内に巡っているのだろう。
仲間とは本来このように大勢で助け合うものだ。ノアはまだそれを知らないのだろう。でも、今回この出産の手伝いができてよかった。ノアにその形を確かに見せることができたのだから。
俺はいまだ食い入るように、セティと共に赤ちゃんを眺めるノアを見て、そう思った。




