湯沸かしの達人
――男ども、とにかくお湯を沸かすんだよ。ありったけなあ。
そんなセリフをドラマかアニメでババアが叫んでいたのを思い出す。時代劇だったか、西武劇だったか。何に使うかよくわからなかったけど、最後のシーンで赤子が産湯につかっているのだけはみた。
「わかった」
やることができて俄然力が入る。こういうとき、なにか役割を与えられていると、本当に楽だ。今、外で待機している皆はきっと寒風の中でじっと待っているのだろう。ご愁傷様だ。
「あ、あの……すみません。今年は薪なんかも高くて、十分には用意できていないんですけど」
キャロルさんが、申し訳なさそうにそう申し出る。
「大丈夫だよ、キャロル。リコはお湯沸かしの達人なんだ。少ない燃料でバンバンお湯を沸かせるよ」
モーラがそう言って、俺にウインクをしてくる。まあ、俺が魔法を使えることを知っているからこそ、言える発言ではあるが、それにしてもお湯沸かしの達人とは……。もっと他に言いようがあるのではないか。
「ええっ、そうなんですか」
だが、友人の出産で余裕がないのであろうか。キャロルさんは呆気なくその言葉を信じたようだ。
「ええ、任せてください。自分、湯沸かしの達人っすから」
「あ、ありがとうございます」
やべえ、思わず素で反応してしまった。だが、幸いなことにキャロルさんは一瞬戸惑っただけで、すぐうめき声をあげたラナさんへとその視線を向ける。
それを幸いに、玄関の側にある台所へと足を運ぶ。小さな石を組み上げて作られた小さな簡易かまどもどきがそこにはあった。傍らには、小さな鍋が一つと少ない薪、それに水の入った壺が置かれている。
まあ、スラムの家の備品としては上等な部類だろう。女性だけのグループだから、しっかりと炊事なんかも行なっているのかもしれない。冬なんかは温かいお湯が飲めるだけでも、大分うるおいが違うからな。
俺は小さな薪を一つ手に取ると、かまどもどきに放り込む。幸い、ここならキャロルさんたちの死角となっており、魔法をつかっても見られることはない。魔力を込め、鍋に水を満たし、薪に火をくべる。
「よっ、と」
まあ、正直魔法で生成する段階で火と水を混ぜ、温水を作ることも今の俺には可能だ。モーラとの魔法情報の交換で、ふと思いつき編み出した技だ。それを見たとき、モーラは大層驚いていた。二つの元素での魔法の同時使用というのは、かなり上位の技らしい。
それに生活に魔法を使用するのは、魔法使いの中では卑しい行為と忌避され、緊急のときでもなければ人前ではまず行わないということも、そのとき初めて教えられた。便利なのにもったいないな。
本当は貴重な薪を取っておいてあげたいが、しかし全く消費していないのもおかしいから一応使ったという証拠は残しておかないと。まあ、明らかにお湯を大量に沸かすには足りないが、一応お湯沸かしの達人ということになっているから、後はそれで納得してもらうことにするか。
「お姉ちゃん」
「うわっ、ノアか」
背後から唐突に声をかけられ、思わず焦る。気付くとすぐ背後にノアがいた。魔法を使うところを見られたかな。まあ、この子はウチで迎え入れることになっているから、一向に問題はないのだが。
「どうしたの、ノア?」
セティやエリスと一緒に出産を見守っていたはずだが、緊迫した様子に耐えられなかったのだろうか。まあ、一番大変なのはラナさんだけど、見守るだけでも結構ドキドキするしな。出産っていうのは鼻からスイカぐらいの痛さなんだっけか。それが本当なら、自分なら絶対ごめんこうむる。
「赤ちゃん……」
「うん?」
「本当に、赤ちゃんが生まれるの?」
ノアが俺の顔を真っ直ぐ見上げて、真剣そうに尋ねてくる。
「そうだよ。これから、ラナさんが産むんだ」
「どうして、大人は子供を産むの?」
ノアはなお俺にそう尋ねてくる。その問いは単純そうで、難しい。生き物だからだよ、とか神様がそう作ったからだよと答えるのは簡単だが、真剣に聞いてくるノアにそう気安くは答えたくはない。
それに、ラナさんは今は己の出産を受け入れているようだが、当初は望まぬ妊娠だったはずだ。愛し合った結果だよ、とも言うことはできない。
「うーん、俺もよくわからないけど」
「そっか」
ノアはしかし、その言葉に少しホッとしたように頷く。他人でも分からないということは意外に自分を安心させてくれるものだ。実際、子供をもったことのない俺には、どうして生むのかなんて理由はわからない。でも、理由を考えたことならある。
「でも、きっと寂しいからじゃないかな。子供っていうのは、無条件でまず何よりの家族になれるからね。血のつながった、疑うべくもない自分の家族」
「家族……。でも、それなら」
俺の言葉に、ノアは思い悩む。途中で言葉を途切れさせるが、その続きは嫌でもわかる。それなら、何故俺たちは捨て猫のごとく、親を持たずにここにいるのかということだ。親も家族も絶対じゃない。
豊かだから保てていたかもしれない絆も、貧しさの前には崩れることも多いだろう。持たないということは辛いことだということを、俺は転生して初めて身をもって知った。
そんな中で、今から生まれる子はいったいどうなるのだろうか。この貧者の集まる場所で、果たして未来はあるのか。最初この話を知った時、まず思ったのがそれだ。生まれた当初から大きなハンディキャップを背負ってしまう。でも――
「未来のことはわからないよ、ノア。ラナさんは一生懸命新しい命をこの世界に送り出そうとしている。今俺たちに出来るのは、精一杯手伝って、ちゃんと生まれてきますようにって、ただ願う。それだけだと思うよ。ノアが思っている不安はわかるけど、今はそれを考えるときじゃない」
苦しみながらも、我が子を産もうとしているラナさんを見たとき、不思議と自然にそう考えていた。それと同時にモーラが何故、セティの暴走に付き合い、大勢を巻き込んだのかもわかったような気がした。きっと、モーラは関わらせたかったのだ。このスラムで生まれてくる命に、皆を。
「だからさ、今は頑張ってラナさんを手伝おう。一緒にね」
「……うん」
俺の言葉にノアは力強く頷いてくれた。その瞳に強い輝きを湛えて。




