きっと守れる
食事を終えるとノアは再び眠りへとついた。いまだに体は熱いし、熱は引いていない。ゆっくり休める環境を前に、幼い少女も安心して眠りにつけたのだろう。唯、ノア本人は眠りに落ちる瞬間までしきりと帰らなきゃと口にはしていたのが少しばかり気掛かりだが。
「ただいま帰りました」
「ただいまー」
アレクとエリスが帰ってきた。ノアをここに連れてきたことで、なにかトラブルが起こった際、モーラを頼ることになる。なので予め世話になるであろうから状況を説明しに行ってもらっていたのだ。
「うん、ありがとねアレク、エリス」
「はい、モーラさんも別に問題ないと言ってくれていました。何かトラブルがあったらモーラさんが対応してくれるそうです」
アレクがモーラとの交渉をそう説明してくれる。正直、あまり面倒はかけたくないが、それでもこの近辺で絶大な影響力を持つモーラの後ろ盾は必要不可欠なのだ。同盟を結んでいる身としては、一番初めに頼るべき人物でもある。
そして、さすがというべきかモーラはこちらの要望に全て応えてくれた。もし、あのガイという男がいちゃもんをつけてきたとき、大きな力になってくれることだろう。あの男の下にノアを渡してしまったら最悪の事態ということもあり得る。どんなにあの子がごねても、もう手渡す気などない。
「おう、帰ったぜえ」
気怠そうな声と共に、スタンも家へと帰ってきた。スタンにはあのガイという男の住処を視察しに行ってもらっていたのだ。未だ、かつてのスリのグループとも伝手があるというし、こういった場合にスタンという男はもってこいの人材だ。
「奴さんたち、特に慌てている様子はなかったな。ノアがいなくなっても全然問題なさそうにしてる。あちらから出向いてくることはないんじゃないか?」
スタンは視察の結果をそう述べる。もし、俺がアレクやエリス、スタンがいなくなったら一晩中でも探すだろうが、どうやら相手はそうではないらしい。それだけでも、この子のあの場所での立ち位置というのがわかる気がする。ノアはきっとあそこにいても幸せにはなれないだろう。
「うーん、エマ姉……」
そんなことを考えていると、ノアがうなされながら、慕う者の名を口にする。そのあどけない声を聴き、俺の心がざわつき始めるのを感じる。
あのエマという女性は、もう既にノアの保護者という立場を手放しているだろう。今の彼女はあのガイという粗暴な男の情婦にしか過ぎないように思える。今現在ノアが置かれている過酷な立場を、看過しているのか、何もできないのかは定かではないが、救えるほどの力はきっとないのだろう。
エマという女性ごと助けるという選択もあるが、今はなによりノアが第一優先だ。まずはこの痩せ細った体に肉をつけなくては。前世では児童の肥満が問題となっていたが、こちらでは皆ガリガリの欠食児童ばかりで、当初は見ただけでうわあって感じになった。食べれないなんてことは、台風や地震などの大規模災害でもなければ、日本では一般的にはなかったからなあ。
「皆、本当にありがとう。おかげで助かった。ノアも熱はあるけど元気そうだし、なんとかなりそうだ」
尽力してくれた弟、妹に礼をのべる。それと同時にこの子をここに迎え入れたいということについて、皆に意見を窺わなくては。家長といえども、独裁政治はNGだ。
「……皆、その、ノアのことなんだけど」
意を決して、俺は口を開く。だが。その言葉をアレクが微笑みながら遮った。
「迎え入れるのでしょう、ここに。特に異議はありません」
「えっ⁉」
呆然としていると、アレクはらしくない苦笑を浮かべた。
「半年とはいえ、家族として一緒に暮らしているんです。姉さんの言いたいことぐらい、わかりますよ」
その頼もしい言葉にただ俺はコクコクと頷くことしかできない。次にスタンとエリスの意見を聞こうと二人の顔を見ると、アレク同様しょうがないなあというような笑顔でこちらを見ていた。
「まあ、普段から抜けてはいるが、ここ最近は顔にデカデカとこのガキが心配でたまらないって書いてあったからな。いいんじゃねえか、金だって姉貴が十分稼いでるし、後一人ぐらい余裕で受け入れられるだろ。好きにすればいいさ」
「家族が増えるんでしょ。やったね、お姉ちゃん」
三人とも何も言わずとも俺の意を汲み取り、賛同してくれる。どうやら、俺は必要以上に思い悩んでしまっていたらしい。
「ありがとう、みんな」
「いえ、僕たちも姉さんに拾ってもらった身ですから。同じ境遇の子を姉さんが助けようとしても文句は言えません」
なるほど、アレクはそのように思っていたのか。確かに、三人とも唐突に俺の眼のまえに現れて、なりゆきでここへ運ぶこととなってしまった。その結果、今はここで共に生活することになったが、この子の場合はすこし事情が違う。ノアには劣悪とはいえ、帰る場所があり、しかも本人がそれを望んでいる。日本という国であれば誘拐ということになってしまうだろう。まあ、日本にはこんな無法地帯のスラムは存在していないけれど。
その懸念を三人に伝えると、三人は顔を見合わせ、そして意に介さないといったように言い放つ。
「別に構わないのではないでしょうか。幼き子供を痛めつけるのは元より人倫に反したことです。そのような者に幼い子を預けっぱなしにしておくことの方が、人の道に悖る」
「そうだよ、その子が帰りたがらないぐらいに幸せにしてあげればいいんだよ」
アレクとエリスは全力でそう肯定してくれる。その言葉は俺にとって何より心強い。
「まあ、可哀そうな子供なんてここにはありふれてるけどなあ。でも、姉貴が気になっちまったのはそのガキなんだろ。じゃあ、仕方がないな。姉貴の前に飛び出てきたコイツは幸運だと思うぜ」
スタンは少しばかりの皮肉を言葉に込めてくる。だが、その意見も俺にとってはありがたい。人と関わるということは、どこかに必ず欺瞞を孕む。今回のことだって、そうだ。この世界に、今の自意識を持ってから、路上で蹲る子供たちを見て見ぬ振りをしたことも何度もある。直接的に助けを求めてきたアレクとエリスや、偶然をきっかけに関わり合い、流れ的に共に暮らすことなったスタンとは、今回のケースは違う。
でも、以前モーラと話し合ったときに俺は既に覚悟したのだ。俺の眼のまえに現れ、その手を握ることができる。ならば、俺は迷わない。二度目の人生とはいえ、前世は凡庸なまま唐突に終わり、今世でも当然ながら生きる意味など知りはしない。でも、いや、だからこそ思うのだ。今世では何ができるのか、何を為せるのかということを。
ノアの寝顔をチラリと見る。満ち足りた表情の少女はあどけない表情で眠りへとついている。魔法という強い力を得て、頼れる家族もできた今の俺なら、この子をきっと守れる。
「ありがとう、皆」
確信に近い想いで、俺はかろうじてそう言葉を紡いだ。




