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天眼の聖女 ~いつか導くSランク~  作者: 編理大河
パパ志願者と笑う少女
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ノアの為に


 エマと二人での生活は楽ではなかった。少女二人でこのスラムで生きるということは、文字通り底辺を這いずり回ることである。食べ物だって奪われ、寝る場所の確保ですら難しかった。


 その日の夜も路地裏で二人、身を寄せあい寒さをなんとか凌いでいた。もう何日も食べてないので、ひもじさに時折耐え難くなるほどだったが、接した肌の温もりの心強さのお陰で耐えられた。


「大丈夫?」


 ここ数日、あまり笑わなくなったエマを、ノアは心配そうに見上げる。エマはそんなノアを心配させまいとするように微笑むが、それはどこか弱々しげだあった。


「大丈夫よ。そんな顔しないで。ノアは笑っていてこそ、ノアなんだから」

「わかったよっ! エマ姉」


 ノアはエマの言葉通りに笑ってみせる。確かに他人の辛そうな顔を見ると、気分が沈んでしまう。やはり、ばあやの言い付け通り、自分はただ笑って頷いているのがいいのだろう。そう思っているとき、エマが再びノアの体を強く引き寄せながら、囁くように語り掛ける。


「ねえ、ノア。私、ノアがいるお陰で大分救われてるんだよ。男は皆下卑た目で私を見るし、女は目の敵にしたように接してくる。でも、ノアだけはいつも私になんの打算もなく笑顔で私を見ていてくれる。私の妹になってくれて、本当にありがとうね」


 エマはギュッとノアの体を強く引き寄せる。ただ、その温もりが嬉しくて、ノアもエマへとその体を預け、寄りかかる。温かさに包まれる中、エマは最後にぽつりと呟く。


「こんなに温かくて満たされても、それでもお腹って空いちゃうんだね」


 その悲しそうな声音を、ノアは微睡みの中で聞いたのだった。




「アレ……?」


 目を覚ますと、そこは見知らぬ天井であった。

 自身の体には温かい毛布が掛けられている。そして、空腹である自分の鼻に否が応でも漂う香しい食べ物の匂い。それを知覚するだけで、ノアの腹は決壊し絶えずグーグーと音を鳴らせる。


「よかった、目が覚めたんだ」


 不意に声を掛けられ、そちらを向くと見知ったリコという銀髪の少女が鍋を手にしながら、笑顔でこちらを見ていた。


「あ、お姉ちゃん」

「急に起きない方がいいよ。まだ熱があるから」


 言われてみると、確かに頭がボーッとして熱いように感じる。だが、倦怠感こそあるものの、動けないほどではない。ノアは何より、このぐらいの熱では休んだことなど一度もないのだ。早く戻らないと、大目玉をくらうことになってしまう。


「帰らないと」


 懇願するようにそう言うが、少女は大丈夫だというように優しく微笑み首を横に振る。


「そんな体じゃ無理だよ。今は体を休めないと。ほら、栄養のあるスープも作ったんだよ。食べられそう?」


 そう言ってリコが鍋の蓋を開けると、そこから暖かい湯気とともに、食欲をそそる香しい匂いが弾けるように周囲に漂ってくる。日頃、あまりろくに食べさせてもらっていないノアにとって、何よりも抗えない蠱惑的な欲求。何よりも体がそれを欲してしまい、あっけなく目の前のそれに屈してしまう。


「……食べれる。けど、それ……ノアが食べてもいいの?」

「うん、ノアのために作ったんだもん」


 リコは笑顔でそう頷いてくれる。ぐぅ、とお腹が鳴ったノアは体を起こすと立ち上がる。それを見たリコはすこしばかり慌てた様子で、ノアの体調を気遣ってくれた。


「大丈夫? まだ熱があるでしょ? クラクラとかしない?」

「うん、大丈夫っ! 慣れてるから」


 熱を出しても休める環境ではなかったため、こういった事態には耐性がある。身体的には頑健である故今までそれで大事になったことはなかった。だが、もしも同年代の少女がこのような待遇に置かれたのであれば、生きながらえたかどうかは定かではない。


 ノアは近くにあるテーブルに駆け寄ると、座っていいかとばかりに上目遣いでリコを見上げる。リコが笑顔で頷くと、ノアは椅子にぴょんと飛び乗った。リコはそんなノアの前に木皿を置き、鍋の中のスープをよそってくれる。


「うわあ」


 そのスープはとにかく具沢山だった。玉ねぎに人参、セロリと言った野菜のほか、腸詰めまでもが添えられていた。その豪勢さはかつて自分が母親と暮らしていたとき、ばあやがときたま作ってくれた手間暇かけたシチューだって遥かに及ばないであろう。


 はたして自分ごときがこれ程のご馳走に手をつけてもいいのか。ノアは判断できずに、リコの顔色をジッと窺う。それに気づいたらしいリコはニコリと優しく微笑んでくれた。その包み込むような優しさに、かつてのエマの笑顔を重ね、チクリと胸が痛む。


 その琥珀色スープを木の匙ですくい、口へと運ぶ。その瞬間、口に広がる多幸感にノアは思わず目を細めて、匙を握らぬ左手をブンブンと動かした。


「ん~~~~」

「だ、大丈夫⁉」


 その急なリアクションに、リコが心配そうに声を掛けてくる。


「うん、大丈夫。ただ、凄く美味しくて」


 こんな温かくて美味しいご飯はスラムに来て以降、口にしていない。いや、ばあやが作ってくれる料理もこれほどは美味しくはなかった。これほどのものは、生まれて初めて口にした。まともに食事をしたことすら久しぶりなノアにとって、この食事はただ感動のみを覚えさせられた。気付くと、頬には熱い雫がつたたり落ちている。


「ノア?」

「ごめんなさい。ただ、本当に美味しくて」


 ノアは涙を零しながら、なお微笑みを湛えてリコにそう言った。


「そう、おかわりもあるからね」


 リコは、そんなノアに対して満面の笑顔でそう答えるのであった。







 


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