指きり
ノアが住んでいる家というのは、モーラが縄張りとする場所のちょうど外れにあった。ここ近辺は俺が暇にあかせてゴロツキを狩っていたこともあり比較的平和で、住み着いた子供たちが聖域なんて冗談めかして呼んでいるということを俺はスタンから聞いた。銀髪ゴブリンというのはなんでもここいらの守護者だそうだ。
「ほら、あそこだよ」
ノアが駆け足で家へと近づく。入り口近辺でたむろってた若者二人が俺たちに気付き、眼光鋭く俺を睨みつけたきた。
「おっ、ノアじゃん。ようやく帰ってきたか。なんだぁ、そっちのノアみてえに薄汚ぇ女は」
「おいおい、さすがにノアと一緒にするのは気の毒だろう」
いきなり嘲笑で迎えられ、俺のこめかみが音を立てて鳴る。なんだ、こいつらいきなりマウンティングとってきやがって。だが、男たちは更に俺を畳みかけてきた。
「てか、あんた何背負ってんの?」
「は?」
お前らがノアに言いつけたんじゃないか。俺は怒りを込めて反論しようとしたのが、それより先にノアが口を開く。
「お姉ちゃんは、ノアを手伝ってくれたんだよ。ほら、トーマスが言ったお家を直す資材、ノアに持ってこいって言ったでしょ。この木箱一杯に積んでこいって」
男たちはノアの言葉を聞くと、きょとんと顔を見合わせ、そして爆笑した。
「あはは、そうだっけ。ああ、そういえばそう言った気がするわ」
「酷ぇ、お前忘れてたのかよ。ほら、俺陽が沈む前にもってくる方に賭けてたよな。ちゃんと払えよー」
「知らんわぁ、それこそ忘れたわー」
「おい、テメエ」
突然の男たちの哄笑に、ノアは訳も分からず呆然と立ち尽くす。どうやら、男たちはノアを出汁に賭けを行なっていたらしい。なら、この背中の無駄に重い資材は――
「ああ、それ別にいらねえんだわ。悪いけど元の場所に返しておいて」
「あんたも訳も分からず手伝ったんだろうけど、ごくろーさん」
男たちは嘲るように、俺たちにそう言い放つ。
「え? そうなの⁉ だって、トーマスが持ってこいって」
ノアは俺に気まずいのか、慌てた様に俺を見上げる。
「ああ、本当にお前は使えねえな。ちゃんと、言葉は裏の裏まで読み通さなきゃ」
「まあ、ぶっちゃけお前が日中近くにいると、ガイさんがイラつくから遠ざけただけなんだけどな。お前、ただ遠くに行けっていうと、なんでなんでうるせえから」
なんという意地の悪さと卑劣さ。こいつらは単にノアを体のいいおもちゃとして、からかっていただけにすぎないのだ。これ程に重い荷を平然と背負わせ嘲笑する悪辣さに、俺は胸の奥底から怒りがこみ上げてくるのがわかった。
「お前ら、いい加減」「何をやってるの?」
そんなとき、建物の中から一人の女性の声が響く。目をやると、長い亜麻色の髪を腰まで伸ばした、肉感的な女性が現れる。整った顔立ちは美人と言えるだろう。均整の整った肢体をまるまる浮かび上がらせるスラムではお目にかかったことのないようなドレスを身にまとっていた。胸元は大きく開き、性的な魅力をこれ見よがしにアピールしている。
「あ、姐さん」
「あっ、エマ姉だっ」
男たちがたじろぐ中、ノアが嬉しそうな声をあげてその女性へと飛びつかんばかりの勢いで近づいていく。どうやらこの女性がノアが慕うエマ姉らしい。だが、エマはノアが近づくと身をよじり、それを突き放す。
「ちょっと近づかないでよ。服が汚れたらガイが怒るでしょ」
「あっ⁉ ごめんね、ノア気付かなかった」
その邪険な態度にもノアは気にした様子もなくエヘヘと笑う。だが、エマの方はそうでもなく、とても冷たい眼差しで見下ろしている。以前はどうかは知りようもないが、やはり今この女性の気持ちはすでにノアからは遠ざかってしまっているのだろう。
「それで、何をしていたの?」
「えっとね、トーマスがお家を修繕するから石とか沢山もってこいって」
「修繕? ふーん」
チラリとエマがトーマスらしい男を見やる。トーマスは慌てたようにエマへと弁明を始めた。
「いや、昼間ガイさんと姐さんはアレだったじゃないですかあ。だから、邪魔しちゃいけないと思って」
「……そう、余計な気は使わなくてもいいけど」
エマは気にした様子もなく、淡々とそうトーマスに告げる。その様子を見るに、この女性の立場は大分強いのだろう。まあ、ボスの女ともなれば、そう無下にはできないというのは解る。
「で、そちらさんは」
「ああ、この汚いの何かノアを知らずに手伝ったみたいで」
「……そう」
エマは、それ以外特に何も言うことなく俺をジッと見下ろす。その視線はどこまでも冷たく、とてもノアが慕うような女性には見えない。俺も怯むことなく、ただその視線を受け止める。しばらくそうしているとエマは根負けしたのか、溜息を一つつく。
「もう帰っていいわよ。その資材はそこに置いといて。明日トーマスに処分させるから」
「ちょっ⁉ 姐さん、酷いですよ」
トーマスは慌てたように、エマにへりくだる。やはり、この女の立場はこのグループ内では相当高いのだろう。実際、スラムではそうお目にかかれないレベルの美人だと思う。アンニュイな雰囲気も含めて、男受けしそうという印象を受ける。前世の男であった俺なら、対峙しただけで何も言えなくなってしまっただろう。だが、幸いにして今の俺は女である。
「エマさん、でしたっけ」
「? そうだけど、何?」
怪訝な様子で、俺の問いかけに応えるエマ。
「ノアはここにとって必要な子なんですかね?」
「はあ、何言ってんの、あんた」
訳がわからないといった様に、呆れた表情をエマは浮かべる。
「お姉ちゃん?」
ノアも何事かと口元には笑みを浮かべつつ、心配そうに俺を見上げている。そんな健気な少女に、微笑み返しつつ、俺は覚悟を決めて口を開く。
「もし、そうならノアは家で引き取りたい。家なら余裕があるから、この子にも満足にご飯を食べさせてあげられる。私が見る限り、この子はここで必要とされていないし、その方が互いに幸せになれるとおもうんだけど」
そう話しつつ、相手が承諾してくれるようにエマの顔をおそるおそる窺った俺は絶句した。エマは一言も発さなかったが、無表情に俺を射抜く視線はどこまでも冷たく、怒りというものを感じさせた。
「はっ、何を言い出すと思ったら。あんたにこの子の何がわかるっていうの?」
「何をって? この子の在り様をみれば、そんなことはわかる。この近辺の子と比べてもノアは痩せ細ってるじゃないか」
「ふんっ」
エマはそんな俺を嘲笑すると、ノアへと視線を向ける。
「じゃあ、直接ノアに聞いてみましょう。ねえ、ノア。あなたは私とこの女のどっちと一緒にいたいの?」
猫なで声で、そうノアへと語り掛けるエマ。その口調は先ほどまでの無関心さはなんだったのかと思うぐらいに甘ったるい。俺がノアを引き取りたいといった瞬間から、唐突にこの女はノアへと執着を見せ始めた。俺は初動を見誤ったのだろうか。
「ノア、家に来れば決して無駄な荷物を運ばせるなんて理不尽はしないし、ご飯だって毎日一緒に同じものを食べられ」「ノア、私たち約束したものね」
俺の言葉にかぶせるように、エマがノアへとそう囁く。
「私たちずっと一緒にいようって」
その言葉にノアはハッとしたように真顔となり、そして俺とエマを交互に見比べる。エマはそれをみて、一瞬苦々しい顔をなり、再びノアへと甘い声で語りかける。
「ほら、あの古のおまじない、二人でしたでしょ。指切りげんまーん、嘘ついたら針千本のーます」
途端にノアは目を見開いて、エマを見る。そして、エマが突き出した小指に己の小指を絡ませ、その続きを唱える。
「指きった。うん、ノアはエマ姉とずっと一緒だよ」
ノアはエマに優しくそう微笑むと、申し訳なさそうに俺へと振り返る。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。でも、ここがノアのお家だから」
「こんな女に謝らなくていいよ。さあ、中に入って。もう、大分冷えてきたからね」
ノアはエマに促され、そのまま家へと入っていく。チラリと振り返ったエマの顔は、どこまでも勝ち誇った笑みを浮かべており、そのまま振り返ることなくドアは閉まってしまう。
「おらっ、テメエはとっと失せろ。およびじゃねえんだよ」
「そのガラクタはどっか適当なとこに捨てとけ。ウチの前に置いてったらぶっ殺すぞ」
門番らしい二人の男に威圧され、俺はすごすごと背を向ける。魔法でぶち殺すのは容易いが、それよりも今し方のノアとのやり取りがショックであった。確かに付き合いもほとんどない関係だが、あれだけ邪険にされたエマにあっさりと敗北したということが尾を引いていた。
ああ出られた以上、俺にはどうしようもないことなのだろうか。容易く暴力をもって奪い去ることは容易い。でも、そこまでする理由もわからないし、そうしたところであの子は喜ばないであろう。帰路に就く俺の眼に路上にうずくまる子供たちの姿が見える。可哀相なのはノアだけではない。では、何故自分はあの少女に固執するのか。ぐちゃぐちゃな思考を抱えつつ、荷物を下ろすのも忘れ、俺はただ己が家へと歩くのだった。




