増えるゴブリンファミリー
戦闘の後、しばし休憩を取る。ダンジョン内は少しヒンヤリしているとはいえ、夏の暑さのせいか湿度が高い。ゾクゾクと肌冷えするが、汗は絶えず噴き出てしまう。体を冷やさないようにしなければ。
「汗はちゃんと拭ってね。水分もこまめに取らないとだめだよ」
夏はとにかく熱中症に注意だ。失われた水分と電解質はこまめに補給しなければならない。俺は用意しておいた革袋に入っている経口補水液に口をつける。
「ふう」
砂糖は高価なため、蜂蜜と塩を大体の目分量で加えてみたが、中々に美味い。皆も俺の忠告に従ってちびちびと喉を潤していく。
「ん?」
そんな中、スタンが耳をピクリとそばだてる。
「どうしたの、スタン?」
「いや、子供の泣き声がするなって」
「ホントに?」
俺やアレク、エリスも耳を澄ませるが、その声とやらは聞き取れなかった。
「まあ、スタン君は耳がいいからね」
「姉さん、行きましょう。今ならまだ間に合うかもしれません」
いくら小さな迷宮とはいっても、子供にとっては多大な危険の潜む場所でもある。このまま放置することもできないし、魔法の使える俺たちには余力がある。行くしかないな。
「ああ、わかった。急ごう」
そう頷くと、三人とも同じ様に頷き返してくれる。本当にこの子たちは他人のための労を厭わないいい子たちだといつも感心してしまう。この子たちに辛い思いをさせないためにも急がないとな。
スタンの案内で迷宮を進むと、段々と子供の泣き声が聞こえてきた。最初は掠れるような高音しか聞き取れなかったが、段々とそれが人の声として明確に捉えられてくる。あそこから聞き取れるなんてスタンのやつ、どんな耳してんだ。
警戒しつつ俺は万が一に備えて懐より、仮面を四枚取り出す。そして、駆け足のまま三人にもその仮面を渡す。こういうときのために人数分作っておいたのだ。
「ほら、いざ魔法を使う際正体がバレないようにな」
それぞれ個別のデザインを施している。アレクはクールに、エリスはキュートに、スタンはスタイリッシュに。作っているうちに興が乗り、凝ったデザインにしてしまった。
「わかりました」
「わーい、皆お揃いだね」
「うげっ、マジかよ」
受け取った三人の反応は三者三様だ。スタンなんかは仮面を眺めて露骨に嫌な表情をするが、まあコイツは天邪鬼だからな。内心嬉しがっているにちがいない。
「大分近づいてきました」
「ウム、ソウダナ」
ケツの穴に力をいれ、声をイケボハスキーボイスへと変換する。
「相変わらずソレ、死にかけの蝉みてえな声だな」
スタンが呆れたようにそう呟くのが聞こえた。失礼な、何度も練習したけど女子ならばキュンキュンしちゃうような声だったぞ。ちゃんと口と耳を手で覆って発声確認したから間違いない。
先頭へと移動し物陰よりこっそりと現場を窺うと、俺たちと同じぐらいの年頃の少年少女が途方に暮れながら、顔を押さえ転げまわる少年を囲んでいる。
「離れてよぉ~、お願いッ‼」
「どうしようっ、死んじゃうっ」
泣きながらおろおろと悶え苦しむ少年へと手を伸ばし、どうしようもないといった感じに見守っている。その様子から何かに引っ付かれているようにみえる。ゆっくり近づくと、少年の頭部に粘性の生物が張り付いていた。あれは恐らくスライムだろう。口も鼻も塞がれているし、このままでは窒息してしまうだろう。
「ドクトイイ」
「えっ⁉」
背後から声をかけられ、俺たちの存在に気付いた子供たちは振り返ると、突然叫び声をあげる。
「うわっ、ご、ゴブリン」
「四体も……」
「どうしようっ」
手にした木の枝や、石のナイフなどを構えながらぶるぶると怯えてしまう。
「フム、ワレハギンパツキナリ。オビエルヒツヨウナドナイ。タスケニキテヤッタノダ」
そういいながら手に焔を纏わせる。子供たちはそれを見ると呆然としながら立ち竦む。やっぱこういうときは魔法を見せるのが一番手っ取り早いよなあ。そのまま倒れている少年の下に屈みこむと、少年を焼かないようにスライムをゆっくりと焼く。基本すぐ死ぬスライムはそのまますぐ溶けるように液体となり、少年の口から零れ落ちていった。
「ゴボッ」
少年がせき込むと、更に粘性の液体がどんどんと流れ出てくる。こういうのを見ると、スライムも存外馬鹿にできない魔物だと思わされるな。ベテラン冒険者でも天井から落ちてきたスライムに顔から食われることもあるって闇ギルドのおじいさんが言ってたし。
「うおぅ」
スライムが剥がれた後の少年の顔面は酷いことになっていた。獲物を消化する酸によって鼻や眼、唇などが崩壊しており、むき出しの表皮からは赤黒い血が滲んでいる。それを見た仲間の子供たちは悲鳴をあげる。
「ヒィ」
「うぅ~」
「こんなの酷いよ」
女の子たちなど泣き出してしまう。確かに、これでは命が助かったとしても、これから大変な苦労をする羽目になるだろう。外見一つで人の人生は大分変ってしまう。
一度癒着してしまった傷というのは、奇跡でも治せるのは一握りの高位者しかいないという。これは炊き出しの神官さんに尋ねて聞いたから間違いないはずだ。でも、今なら癒しの奇跡があればなんとかなるかもしれない。そして幸いにも今ここにはエリスがいる。
「ん、エリス」
「ゴブッ」
仮面を被ったエリスが、元気よく駆け寄ってくる。そして、泣いている女の子の頭をそっと優しく撫でてやる。
「だいじょぶゴブ。このぐらいなら治るゴブよ」
そしてぐったりしてしまい瀕死の少年の下へと屈みこみ、そっとその手をかざすと己の神へと祈りを捧げる。
「豊穣を司る我が主よ。どうか傷ついた子を癒し給え……ゴブッ」
途端にエリスの手より淡く光が輝き、崩壊した少年の皮膚が再生していく。おお、実際に目にしてみると中々に凄い光景だな。奇跡って呼ばれるのもわかる気がする。それにしてもゴブッて……。これはダークヒーロー的な仮面であって、ゴブリンじゃないんだよ、エリス。
「ううっ」
傷の癒えた少年は意識を取り戻すと、目を開き周囲を見回す。
「あれ、どうしたの皆泣いて。それにゴブリンみたいな仮面被ってる子もいるし」
「……ゴブリンデハナイ。ワレハギンパツキ。ソナタラヲタスケシモノナリ」
ここで訂正しとかないと迷宮でもゴブリンで定着してしまう。
「うん、そうだよ。こっちの声がおかしいゴブリンさんが魔法でスライムを焼いてくれて、こっちのゴブリンさんが奇跡で治してくれたんだよ」
「奇跡? ゴブリン神でも信仰してるの?」
少年は呆けたように呟く。駄目だ、どうしてもゴブリンから離れない。ゴブリン神ってなんだよ、そんなのいるのか。この仮面はそれほどゴブリンを想起させるのだろうか。
「ま、なんにせよ助かった命だ。あんま粗末にするんじゃないぜ」
「そうだね、あまり無理はしないほうがいい。勇気と蛮勇は別物だ」
アレクとスタンが、安堵した様子でざわつき始めた子供たちを諫める。
「そうだね。迷宮は初めてだけど、こんな怖い場所と思わなかった」
「さっきの魔法が使える金髪のお姉さんの言ったとおりだ。迷宮でのモッパーなんて金輪際やめて、聖域にでも行って安全に生きていこうよ」
「うん、もう痛いのはこりごりだよ。まさかスライムが天井から頭に落ちてくるなんて」
子供たちはざわつきながら、口々にそんなことを言い始める。聖域ってのはやっぱ俺たちの住んでるあたりのことだろうか。結構、有名になっているのかなあ。
それにしても今会話に出た魔法の使える金髪のお姉さんって、もしかしてモーラのことかな。迷宮に潜ってるらしいし、来ててもおかしくないけど。
「ねえ、ゴブリンさんたち」
「ん?」
いましがたスライムより助けた少年が前へと進み出て、話しかけてくる。グループの中心にいるあたり、この子がリーダーなのかもしれない。
「ゴブリンさんたち強いんでしょ。じゃあ、もう一人助けてほしい人がいるんだ。魔法を使える金髪のお姉さんなんだけどさ、途中僕たちを助けてくれたんだ。でも、怖い人たちが今日こそはやってやるってこっそり後をつけていって……。そいつら、凄い武装をしてたんだ」
その言葉に、キュッと胃の奥がせり上がるのを俺は感じた。




