線引き
結局、ガイはそれ以上の狼藉はせず、炊き出しの飯を受け取るとすぐさま仲間と共に帰っていった。終始アゼルたちやマークスには卑屈なぐらいに頭を下げながら、俺たちには目もくれることもなく。最後に「じゃあね」と笑顔で手を振りながら仲間たちに必死についていくノアという少女の健気さが、いまだに俺の頭を離れない。
「あー」
気まずさを残して、しばらく皆で沈黙を守っているとアゼルがおずおずと声をあげる。
「あいつらもつい最近ここに来た連中でな。見た通りあんま評判のいい連中じゃない。強そうなやつには取り入ろうとするし、弱い奴からは食いもんとか取り上げたりしてるって噂だ。証拠はないし、問い詰めてもあざといらしくしらばっくれるがな。それに似たような連中集めて、結構な勢力になってるみたいだ。正直タチの悪い奴だし、あんま関わんない方がいいぞ」
それはアゼルやマークスと俺たちに対する態度の違いから分かった。でも、あれほどあからさまにやられると腹が立つというよりは、気持ち悪いという感情の方が先に立つ。
「あっ、お兄ちゃんとモーラお兄ちゃんだ」
「あれ、どうしたの?」
そんな中、セティが遠くからやってくるモーラとクリスに気付いた。モーラは不思議そうに立ち尽くす俺たちへと問いかけてくる。
「モーラお兄ちゃんッ。あいつが酷いのッ!」
「セティ、落ち着け。あいつじゃわからん」
クリスが捲し立てるセティを鎮める。
「あー、実はなあ」
代わりにアゼルが説明し、モーラはなるほどとばかりに頷いた。
「ああ、彼か。何度か注意はしてるんだけどね。一応その時は大仰に頭を下げて謝ってくれてるんだけど」
「まあ、それは全部ポーズだろう。あの手の類は内心では盛大に舌を出してるだろうさ」
モーラが苦笑いをしている横で、クリスが心底苦々しいといった感じに眉をひそめる。
「でも、あいつは小さな女の子を人前で平気で殴ってるようなやつだよ」
モーラの少しばかり軽い態度に、俺は内心でショックを受ける。こういった事態には憤慨するタイプだと思っていたからだ。たまらず、そう訴えるとモーラはきょとんと俺の顔をまじまじと眺め、そして納得したようにゆっくりと微笑む。
「ああ、あの子のことか。僕も最初は見かねて制止はした。もし、彼らが負担に思ってるなら別の余裕のあるグループに引き取ってもらえるように骨を折るとも申し出たんだ。でも、当の本人が嫌がってね。皆と一緒にいたいって。助けようとした当人にそう強固に言われてしまうと、こちらとしても手を出し辛い」
「でも、それは……」
あの子のそれは虐待児のあるべき反応ではないのだろうか。前世でも経験がある。小学生時代、普段何気なく過ごしていたが、プールには絶対に入らないクラスメイトがいた。その子も普段よく笑う子ではあったが、ある日突然学校に来なくなってしまった。しばらくして家で母親がママ友とその子のことを話していたのを聞き、ようやくその子が虐待されていたということに俺は気付いた。その子は母方の祖母に引き取られたそうだが、あの子には引き取ってもらえる親族などいないだろう。児相もないこの場所では、本当に命の危険すらある。
「そうだね、悲しいことだとは思う。でも、そういう子はここにはたくさんいる。むしろ、拾ってくれたグループがいるだけ幸運だと思うよ。中には誰にも拾われずに命を落とす子だっているんだから。リコだって知ってるよね」
諦観すら漂うモーラの優しい笑顔。それを見て、俺の心も少しばかりクールダウンする。
確かにこの場所はそういう場所だ。前世を思い出し、このスラムを彷徨った当初は暗澹たる想いに襲われたものだ。だからこそ、二年間たった一人で誰にも関わらずに隠れて生きてきた。最近、共に生活する相手ができ、周囲が賑やかになってきたせいでそういった想いを少しばかり忘れていたらしい。あの子の可哀そうは、ここではありふれたものなのだ。
「僕たちには護るべき家族がいる。その限界を超えてまで、誰も彼も救えるわけじゃない。僕はだからこそ、どこで線を引くべきかって常に考えていかないとだめだと思ってるよ」
「じゃあ、あの子はあのままなのモーラお兄ちゃん」
セティが悲しそうな声をあげ、モーラの袖を引く。
「ううん、勿論これからも気には掛けていくよ。もしかしたら、彼らが改心してくれる可能性だってあるわけだしね」
モーラは優しくセティの髪を撫でる。だが、それは幼いセティを慰めるためだけに吐かれた言葉だということは、悲しそうなモーラの顔を見れば一目瞭然だ。クリスもモーラの意図がわかっているのだろうか、実妹を眺める顔は険し気だ。
「はあ、こういう辛気臭い話は止めにしようぜー。飯がまずくなる」
そんななか、たまりかねたようにファムがそう声をあげる。
「そうだな。飯も貰ったし、これをあてにして酒でも飲むか」
ケイが取っておいたのだろう、炊き出しのパンを懐から出しながらそう提案した。
「ち、ちょっと、ま、また変なお酒じゃないでしょうね。は、吐いたら片付けるのは僕なんですよ」
「大丈夫だ。この前の反省を踏まえて高い酒を買ったからな」
「そ、そっかあ、よかった……って、どのくらい高い酒買ったんですか。普段でも家計を圧迫してるのに」
アゼルののほほんとした返答にウィルが悲痛な声をあげる。アゼルグループはそのまま「じゃあな」と俺たちに言うと帰路へとついていった。
「ふん」
「あっ、マー君待って‼」
続いてマークスとマノンがその場を去る。黙って去っていくマークスの背中を、小さなマノンが必死に追っていく。
「じゃあ、僕たちもそろそろ行くね。……リコ、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だよ」
モーラが俺を気遣ってくる。ガワはともかくとして、15歳の少年に気遣われるアラフォーおっさんというのは笑えない事態である。俺はモーラを安心させようと微笑むが、モーラは少しばかり心配そうに微笑むだけだった。上手く笑えていなかっただろうか。
「では、これで失礼する」
「バイバイ、皆。エリスちゃん」
「アレク、今度また剣の特訓しようぜ」
「またね」
モーラたちが去っていくと、周囲には俺たち以外誰もいなかった。シンと静まり返った中、三人は俺の様子を静かに窺っているようだ。何か話そうと思ったが、思うように言葉が出ない。そんな中、アレクが口を開いた。
「では、僕たちも帰りましょうか」
「ん、そうだな」
この場にとどまっていてもしょうがない。俺はアレクに促されたのをいいことに、先頭にたって我が家を目指して歩き出す。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「らしくねえぞ、おい」
背後から俺を心配してかエリスとスタンが声をかけてくる。俺は、大丈夫だと振り向かずに答えながら、先ほどのモーラの言葉を思い出していた。どこで線を引くべきか?
まず考えるべきはまず己と家族だということだろう。何かあったら幼い俺たちはまだ何もできずにこのスラムという暴力的な社会に淘汰されかねない。無制限に手を広げていたら、それこそ共倒れとなってしまう恐れもあるのだ。
今まで成り行きでアレクやエリス、スタンと助け合い生きていくことになった。だが、今回は相手はこちらの助けを拒んでいるという。何故、あの少女の境遇に自分がこれほど心痛めるのかも、我ながらよく分からない。それでも、あの子のために何かしてやれることはないかという想いが、常に俺の胸の中でぐるぐると渦巻いていた。




