幕間 聖域へ2
「よし、ついたぞウィル。きっとここだな」
ウィルにそう声をかけたのはアゼルという青年だ。かなりの長身だが、がっしりとした筋肉を纏い、横幅も広くずんぐりとした体格である。それとは別にボサボサなままにした髪や、人より少しばかり小さい目、そしてのんびりと話す口調も相まって、ウィルはアゼルを見るたびに昔絵本で読んだのんびり熊とよく重ねてしまう。
「確かに雰囲気が違うな―。なんか必要以上に殺伐としてない感じがいいねー」
間延びした声でそう感想を漏らした青年はファム。小柄で童顔なため少年と間違えられるが、年齢はアゼルと同じ19歳であり、12歳であるウィルとは大分離れている。目元まで髪を伸ばし、猫背で常にだらんとした姿勢のため、非常にルーズな印象を受けるが小回りが利き、手先も非常に器用である。よく小さな子供に手品を見せているが、その腕前は素晴らしく、ウィルも見るたびに目を丸くしてしまうほどだ。
「ワハハ、荒事が苦手な俺たちにはちょうどいいじゃねえか」
陽気に笑うのはケイ。短髪の額の広い男で、少しばかり年長にみられやすいが、年齢はアゼルやファムの一つ上の20歳だ。他の二人より荒事は苦手だが、その分博識で色々なことを知っており、多くのことをウィルに教えてくれる。
三人とも、ウィルにとっては多大な恩のある人たちだ。なんにもできない自分がこうしてついてきて本当によかったのだろうかと、いまでも思う。
「あ、あの、本当によかったのでしょうか……。ぼ、僕なんかがみ、皆さんとご一緒で……。僕のせいで皆さん追い出されてしまったのに」
だからつい何度も確認してしまうのだ。なんの取り柄もない自分などが本当にここにいてよいのか、と口にだして。
それを聞いた三人はきょとんと目をあわせると、最初に苦笑し、やがて愉快そうに笑いだす。この三人はウィルが加わる大分前から一緒らしく、とてもウマが合う。それを見てまた、自分などがその輪にはいっていいものかと悩むのだ。
「気にするなって、ウィル。どうせあそこは切り上げ時だったんだ」
「そうだぜー。リーダー代わってから殺伐すぎたしなー」
「そのうち派手に血が流れるぜ、ありゃ」
四人が所属していたグループは、強権的だが辣腕な男の下で、スラムという暴力が規範となる場所で相応に上手くやれていた。だが、そのリーダーが痴情のもつれから情婦に寝ているところを刺殺され、どさくさ紛れにリーダーに成り上がった男がただ腕力のみに秀でた狭量な人物であったことが、グループの凋落の始まりだった。
弱い者にも利用価値を見出だし、少ないながらもそれなりの糧を施した前のリーダーと違い、新たなリーダーはひたすら享楽に耽り、搾取のみを行なった。上がそうであるなら、下もそれに倣うのが必定というものだ。戦えない者たちはグループを逃げ出したが、逃げることすらできない幼い子供たちにとってはそこはまさに地獄だった。生まれや種族から最底辺に属したウィルなどは、アゼルたちに食べ物を恵んでもらえなかったら餓死していたかもしれない。
そんな中でウィルに更なる受難が襲い掛かった。リーダーの情婦から、関係を迫られたのだ。けばけばしい化粧で彩ったその女が、年端も行かない少年を欲望のはけ口としていたのはリーダー以外には周知の事実だった。だが、部屋に呼び出され組み伏せられそうになったウィルは咄嗟に逃げ出してしまった。恥をかかされたと思ったその女は、リーダーに自身が襲われそうになったと嘘をつき、激昂したリーダーはウィルをリンチに掛けようとした。そこを仲裁に入ってくれたのがアゼルたちであったのだ。
元々暴力には消極的なだけで、力も強く体格も秀でているアゼルは、周囲からも一目置かれる存在であり、リーダーも手を出すことはできなかった。だが、諍いの結果アゼルたちはグループから追放されることとなってしまった。
グループを出る際、アゼルたちに一緒に来るか尋ねられたときは心底うれしかった。でも、そう仕向けたのが自分とも知っていた。手を差し伸べてくれたアゼルたちにいつも縋るように、視線を向けていた。「助けて」とすら声に出さず、彼らの優しさをなんにも見返りを出さずに享受する生まれながらの弱者。それが自分であった。
「でも、僕……何もできないし」
暴力から離れた生活を送り、心に余裕ができると自身の保身に嫌悪を覚えた。だが、これも甘えだということも自覚している。彼らは自分がこういえば優しい慰めの言葉をかけてくれると知っているのに、なお弱音を吐かずにいられない。
「そんなことはないさ。ウィルは細かいことにも気がつくからな」
「そうだぞー。自分を卑下すんなー。まだちっこいんだし、できないことだってあるさー」
「ワハハ、ウィルは料理もできるしな。俺たちは家事がからっきしだしな」
予想通りに自分を慰めてくれる三人。矮小な自分の打算に気付かない、その笑顔にチクリと胸が痛んだ。
「よし、さっそくここ一帯のボスに挨拶しに行こう。こういうのは最初が肝心だしな」
アゼルが笑いながら、皆を先導する。
卑怯者め。三人の背中を追いながら、ウィルは心の中で自身に呟いた。
「お待たせしました」
近所の住人に地元の有力者を尋ね、その場所を聞き出したウィルたちはその住居を訪れた。聞けばその人物は貴族の落とし種らしく魔法が使え、来て早々前任者をその力で追い出しその地位に昇りつめたのだという。そして、現れた人物を見た瞬間、ウィルたちは思わず息を呑んだ。それだけ目の前の人物は美しかったのだ。まるで太陽の光を編み込んだかのような黄金色の艶やかな髪を肩まで伸ばし、切れ長の蒼い目や、赤い唇、滑らかな白い肌などが相まって、ウィルはこの人物がエルフではないのかと最初思った。
だが、その耳はとがっておらず丸く均整な形をしていた。ウィルは自身の中途半端にとがった耳を触りながら、人であるこの女性の美しさに嘆息する。
「いやあ、びっくりした。この近辺のボスっていうのは魔法を使える貴族の落とし種とは聞いていたけど、まさかお姫様みたいな女の子だとは思わなかった」
アゼルが感心したようにうんうんと頷きながら頬を緩ませる。年齢相応にこの三人は結構な女好きであり、よくどこどこの誰が可愛いと談笑している。だが、目の前の人物はそれを聞いて小さく苦笑する。
「いえ、モーラは男です」
隣に立った少年が、代わりにそれを否定する。
「うおー、マジかー」
「ヤベエな、オイ」
ファムやケイがそれを聞いて、驚きの声をあげる。ウィルもまさかこんなに美しい少年がいるのかと思わずその顔をまじまじと見つめてしまった。
「あー、そりゃすまなかった」
「いえ、初対面の方に男だと思われたことはないので平気です」
謝るアゼルにモーラはにこやかに微笑む。その笑みもまた美しく、貴族のお嬢様のようにしか見えない。
「今日はここに流れてきた挨拶をしようと思ってな」
「そうですか、お住まいの方はもう」
「いや、これから探すところだ。まあ、贅沢は言わないけど、四人が寝れて雨風が凌げる場所がいいな」
「なるほど。よろしければ僕が知っている場所を紹介しましょうか」
「そりゃありがたい。ここには来たばかりだから、しばらくは路上で寝なきゃならなくなると心配してたんだ」
どうやらモーラは住まいを紹介してくれるらしい。土地の権利などがほぼないようなこのスラムでは、そういったことを決めるのはその縄張りの有力者だ。そこに住む者たちの冠婚葬祭なども差配することも多い。この華奢な少女のような人物がそのような位置にいるということは、魔法を使えるという噂は本当なのだろうとウィルは思った。
「あー、ついでに一つ尋ねていいか?」
「? ええ、どうぞ」
アゼルが少しばかり躊躇いつつ、モーラにそう切り出す。
「魔法を使う銀髪ゴブリンってーのは、あんたなのかい?」
魔法を使える貴種の落とし種などそうそういない。ということは、あの噂が本当であるならばその正体はモーラであると考えるのが普通だろう。ウィルも銀髪ゴブリンという荒唐無稽な話には関心があったので、必死に耳をそばだてる。
「いえ、違います。あいにく僕の髪の色は銀ではありませんから」
「あー、確かになあ。じゃあ、その銀髪ゴブリンってのはあんたの知り合いかい?」
「それも違いますね。まあ、多少心当たりはありますけど」
意味深長に微笑むモーラ。その話が本当ならばこの場所に魔法を使える人物が二人もいるということになる。その二人が護っているならこの近辺の安穏として空気も納得できるというものだ。しかも、どうやらモーラにはその人物に心当たりがあるらしい。
「変なこと聞いて悪かったな。ちょいと噂に聞いてここに来てみたんだ。でもいいとこそうだし世話になる。これからよろしく頼む。俺たちは荒事はあんまし得意じゃないが、何か言ってもらえるならいつでも助けになる。遠慮なく言ってくれ」
「ええ、困ったときにはお互い様ですしね。これからよろしくお願いします」
アゼルとモーラは互いに握手をし、そしてその場でのあいさつは終わりとなった。
「では、こちらへ」
「ああ、悪いな。案内してもらって」
クリスという名の少年が、アゼルを伴い住居へと案内してくれる。
「いやあ、しかしあの子が男とはねー」
「やべえな。目覚めそうかもしれねえ」
ファムとケイもそれに続きながら、モーラの外見について熱く意見を交わしている。
それを追いながら、ウィルはモーラが使えるという魔法に想いを馳せる。少女のような少年が地域のボスとして君臨できるのも魔法があってのことだろう。あの少女のような少年がああも堂々としているのも、力を持っているからに違いない。なんと不公平なことなのだろう。自分にはなんの力もないというのに。
持つものと持たざるものの違いに暗澹たる想いとなり足を止めると、すぐ側で「うぉ、すげえ」と声がしたのに気付いた。みるとそこには一人の少女がいた。顔は炭などで黒くくすんでいるが、髪は艶やかな銀髪をしている。
「あ、あの……な、何か……?」
「あっ、ごめんつい。なんでもないよ」
「そう、ですか……」
ブンブンと両手を振る少女。もしかしたら、この耳が原因かもと、ウィルはこっそり己の耳を髪の中へと隠す。
「おーい、ウィル。何やってんだ」
「あっ、ごめんなさい」
遠く離れたアゼルに呼ばれ、ウィルは急いで合流しようとする。
「ね、ねえ」
そこでまたしてもあの少女に声をかけられた。
「な、なんですか……?」
「変なこと聞いてごめんね。弓って、やっぱ得意?」
やはり自分の耳を見たのだろう。エルフというのは、古来弓が得意だ。でも、自分はエルフではないし、弓など昔母が作ってくれた玩具の弓で遊んだこと以外経験はない。
「いえ、弓なんてまともに握ったことは。そ、それに僕は、ハーフエルフですから」
そう、自分は半端な血筋の、何の取柄もない無能者だ。
「そっかあ。ごめんね、呼び止めて」
少女はどうやら納得したようだ。いったいなんなのだろうと思いながらも、ウィルは仲間たちの再度の呼び声に応え、駆け出す。そして追いつき、仲間たちに女の子に話しかけられたことをからかわれているうちに、今し方のやりとりへの疑問は次第に消えていった。




