幕間 フィーネのコネクション2
大陸の西方に位置するアストリア王国。肥沃な平野が多く、周辺諸国と比べても豊かな国であり、黄金のアストリアと呼ばれた時期もあるほどだ。だが現在は凋落しきっており、その名で呼ぶものはいないといっていいだろう。
その凋落の原因は百五十年ほど前に起きた大地震だ。アストリア全土を襲った地震は王都を崩壊させ、多くの死亡者を出した。それだけならまだ立て直せたかもしれないが、この地震によってナスル山で休眠していたらしい一匹の古龍が目を覚ましてしまった。古龍はその一帯を己が縄張りとし、人を狩り始めた。そこはアストリアでも最も肥沃とされていたプルナ平原であり、アストリアの国民の胃袋を支える要所を取り戻すべく、Sランク冒険者二名と、それを援護する騎士団が派遣されることとなった。
だが、結果は惨敗。古龍の力は凄まじく、Sランクの冒険者二人は死に、騎士団も壊滅状態となり帰還できたものは僅かであった。己を討たんとしたものへの報復に古龍は王都に飛来し、多くの人を焼き払ったという。幸い縄張り以外には固執しない性質らしく、古龍を刺激しないようにプルナ平原に近づくことは禁じられた。
「それから時の国王は必死に国を再建しようとしたが、全てを救うことはできなかった。救う者を選別し、救えぬ者たちを一か所に押しやることでなんとか崩壊した王都を立て直すことができたと伝えられている。それがあのスラムさ」
ネイルは淡々とフィーネたちにそう語る。フィーネたちはそれを黙って聞いている。
「最初は当初だけの予定だったらしいが、再建に多くの金と時間を費やし、なんとか形を取り戻してくると、多くの者はそこで満足してしまい、スラムを改善することを止めてしまった。あまつさえ戸籍制度を厳重にし、それを持てないスラムの住人が王都に居を構えられないようにもしてね。まあ、プルナ平原を失って全ての者を満足に庇護することができないために取られた苦肉の策さ」
スラムの現状はフィーネもよく知っている。自分のもっとも尊敬する人はそこの出身であったし、最近ビジネスパートナーとなった少女も家族と共にそこで生活している。多くのことを知っている不思議な少女だが、法には詳しくないらしく金を稼いで一般街に居を構えたいと語られたときは少しばかり胸が痛んだほどだ。
「まあ、当初はそれで細々とやっていけた。以前ほど裕福ではなくとも、Sランク冒険者を失い、いまだ古龍が存在していたとしても、国としての体裁は保たれていた。面倒の見れない弱い者をスラムに押し込めながらね。でも、そんなことをしてたからかな、今手痛いしっぺ返しを受けてしまっている。あの暴力渦巻く世界で、蟲毒のように生まれ出た六剣たちによって」
六剣。その言葉にフィーネは一人の男の顔を思い浮かべ、ピクリと体を震わせる。
「スラム街の中にある暗黒街の大幹部。まあ、六剣といっても三剣のときや、四剣のときもあったらしいが。フィーネ君、彼らがどうやって幹部入りするか知っているかい」
「ええ、聞いたことがあります。ギルドオーブを使って判定するとか」
「ああ、冒険者の力を色で計ることのできるギルドオーブ。嘘か真か、彼らはそれを使いSランクと判定された者を幹部として迎え入れるらしい」
人の理を超え、冠絶した力を持つ者だけが得られるSランクの称号。アストリアには今現在一人もいないが、他国では単身で千人斬ったとか、魔物のスタンピードを一人で鎮圧したとかいうとんでもないエピソードをもつSランク冒険者の存在を吟遊詩人の歌で聞いたことがある。そのレベルの実力者が六人いるということは驚異的である。
「あー、そういえばギルマスのおっさんがあたしらに六剣を殺れないかって聞いてきたなあ」
シャーリーが思い出したかのようにそう呟く。
「それも断ったのかい?」
「まあ、単体ならいけると思うが六人は厳しいだろ。それにあたしはフィーネを護らねえといけないからな。暗殺者に動かされたら厄介だしな」
「賢明だと思うよ。彼らは利害の対立するものを王族に近しい者であろうと手段を選ばず殺しているからね。暗殺、謀殺、虐殺となんでもありだ。以前君たちに依頼したロリスとナブコフの件も彼らが独断で動いているという証拠がなければ踏み込めなかったしね」
貴族階級に蔓延る違法薬物を使ったいかがわしい集会を、フィーネとシャーリーはネイルの依頼で正体を隠しながら潰したことがあった。正体を隠したのは、彼らに目をつけられたくなかったという理由もあったのだ。
「そんな六剣が主に手掛けているビジネスが麻薬だ。手っ取り早く稼げるからね。今、これが全土に広がってしまっている。貴族社会から最底辺まで幅広くね。フィーネ君も見ただろうが、地方では農作物より麻薬を作って六剣に納める領主もいる。王都にいるとわかりにくいかもしれないが、今辺境は飢えているんだ。肥沃なプルナ平原を失い、六剣が数十年かけて麻薬をこの国第一の産業へと育ててしまった。今はアストリアだけの問題で済むかもしれないが、周辺諸国にもこれが流れていってしまっている。あまり酷いことになれば周辺諸国から懲罰を喰らうかもしれないね。まあ、民にとってはそちらの方がいいとは思うけど」
ネイルが説明してくれたこの国が内包するリスク。なるほど、想像以上にこの国の屋台骨はゆらいでいる。でも、だからといって自分に何ができるだろうか。その胸中を見抜いたのかネイルが陽気に笑う。
「ははっ、別に君たちに何とかしろなんて言わないよ。誰だって自分が一番さ。この国が百年以上かけて貯めてきた負債を背負う義務などない。もし、そうなったら国外にでも逃げるといいさ。君たちなら余裕だろう」
「でも殿下は……」
ネイルは仮にも王族だ。逃げることなどできないだろう。そうなったらフローラやラスティ、メアリーはどうなってしまうのだろうか。あのあどけない笑顔が曇ってしまうのを想像し、フィーネはそっと目を伏せる。
「いや、俺も逃げるよ」
「おいっ、お前王族だろっ」
あっけらかんとそう話すネイルにシャーリーがつっこむ。
「だって、俺が王族になったのって17だもん。それまで普通の一般人としてフローラと結婚してラスティとメアリーと暮らしてたし、王族歴まだ8年ぐらいだしさ。今結構頑張ってるし、別にそれぐらいいいんじゃね」
「いや、うーんどうだろ」
大分砕けた口調のネイル。この人の場合はこちらの方が素に近いのだろう。そんなネイルの態度に、シャーリーは珍しく頭を抱えて悩みこんでいる。
「あらあら、どうしたのシャーリーさん。頭なんて抱えて」
そんなときフローラが焼いたパイと飲み物の入ったカップをトレイに乗せて、書斎へと入ってきた。
「おぉ、フローラ。実はな」
ネイルは気安く今まで話した内容をフローラに伝える。それを聞いたフローラは首をかしげ、考え込む。
「うーん、確かに難しい問題ねえ。でも」
「でも?」
一度口を閉ざしたフローラに、フィーネは失礼と思いながら先を促した。暗澹とした気分であり、なにか妙案があるようなら聞きたい気分だったのだ。しかし、出てきた言葉はフィーネの想像を超えていた。
「確かに古龍とか六剣とか、突然にこの世に出てきてしまったけど、もしかするとこれからそれに匹敵する英雄が出てきてやっつけてくれるかもしれないわよ。それこそ唐突にね」
「なるほどー」
「さっすが、俺の嫁だぜ。賢いな」
いや、そんな上手くいくはずがないと心中で思ったが、シャーリーやネイルは何故か納得したようだった。のほほんとしたフローラの人柄故だろうか。
「まあまあ、すぐ答えの出ない難しいことばかり考えても仕方ないわよ。さ、パイをどうぞ。パン屋の娘ですからね、こういうのは自信があるのよ」
勧められるがままに砂糖をふんだんにつかったパイと香草茶を口にする。ふんわりと優しい触感と溶けるような甘さが沈んだ心を慰めてくれるようだった。
「ま、やれることはやって、後は神様なんかに祈るだけだな。あ、それはそうと、この前頼まれていた養蜂の件、話はつけておいたぞ。俺の所領を使うといい。最初渋られたが、その際の損失は全部俺が被るといったら了承してくれた」
「ありがとうございます。蜂を殺さない養蜂箱のとっておきのアイデアがあるんです。それを是非試させてほしくて」
その後は商談の話がメインとなった。その話をしながらもフィーネは冒険者として、そして商人として自分に今何ができるのかということを己の内に問いていた。




