望み
寝つけなかったスタンは、目を見開くとその体を起こす。今日は誕生日パーティーと騒がしかったため、気分が少し高揚しているのかもしれない。誰かとそのような時間を共有するのは本当に久しぶりだ。姉を失ってからは、一度たりともそのような機会は得ることがなかった。
そういえば姉との最後の日も自分の誕生日だったと、スタンは思い出す。もし、あの事件が無ければ今日のように楽しく二人で過ごしていたのだろうと思うと、少し切なくなってしまう。
暗い部屋の中に二つに寝息が響いている。視線を横に向けると、そこにはエリスに抱き着かれたリコが暑苦しそうに身を悶えていた。夜とはいえ夏の暑さは健在なため、二人の衣類はべったりと汗で張り付いている。よく、それで熟睡できるものだと感心してしまうほどだ。
「さて、と」
このままでは寝つけそうにない。少し夜風にでも当たって頭でも冷やそうと物音をたてぬようにベッドから這い出て、そっと部屋を抜け出す。階段を上り、地上へとでるとヒュンヒュンと風を斬る音が聞こえた。目をやるとそこには月の明かりに照らされながら、一心不乱に振る見知った少年の姿があった。あまりにも没頭するその様をなんとはなしに眺めていると、アレクはこちらへと気付き素振りをやめ近づいてきた。
「スタンか。どうしたんだ、こんな真夜中に」
「よう、精が出るな。怪人ハンバーグ男」
「ハンバーグか。あれは美味しかった。また食べたいな」
嫌味には反応せずにそう言うアレクの口元からは涎がつぅと垂れる。ハンバーグを夢想しているのだろう、陶然とした表情のアレクはそれに気づく様子はない。仕方なくスタンはそれを指摘してやることにした。
「おい、涎垂れてんぞ」
「おっと」
アレクは慌てて口元を腕で拭う。普段大人びているアレクの、その子供らしい仕草に自然に笑いがこみあげてくる。
「ふっ」
「あはは」
アレクも照れ臭そうに笑い声をあげる。
「スタンも寝れないのかい」
「まあな」
「僕もだ。少し気分が昂ってね。こんなに楽しかった誕生日は久しぶりだったから」
「そうか。そいつはよかったな」
アレクとエリスの兄妹の境遇も、スタンはリコから聞いていた。まあ、誰しもここにいる者たちは何かしらの事情は抱えている。だが兄妹が一緒にいられるということは、とても恵まれているとスタンは思う。羨ましいとすら感じるほどに。
「だけど毎日毎日大したもんだな」
自分がここにきてから、アレクが剣を振らない日を見たことがない。それに加えてこんな真夜中にまでベッドから出て剣を振るうなど、余程好きなのだろう。
「うん、騎士になるのが僕の夢なんだ。父さんが騎士だったから」
「騎士、か。そいつは難しいな」
騎士には生まれなども考慮されると聞く。スラム出身者がなるには高すぎる壁と言えるだろう。そもそもここから出ること自体が難しいのだから。
「うん、だから僕はこの国の騎士になるのは諦めた」
「は? 他所の国にでも行くつもりか?」
アレクが目の前に剣を抱え、じっとそれを見据えながらそう言い放つ。他所の国になら実力さえあれば入団できる国でもあるのだろうか。だが、他所の国というのも同じくらいかそれ以上の難度ではないか。怪訝に思ったが、アレクの答えは予想外のことであった。
「いや、僕は自由騎士を目指す」
「自由騎士?」
「うん、姉さんが教えてくれたんだ。国という枠組みに捉われずに、弱い人たちを助ける人たちだ。恰好いいだろう」
そう言って無邪気に笑うアレクは普段よりも子供らしく感じる。まるで初めておとぎ話を聞いたかのようなはしゃぎ様に、最初茶化してやろうかと思ったスタンだったが、純粋なまでのその瞳を見て、ただ素直に頷くだけに留めることにした。
「確かに、そいつはスゲエな」
「だろっ。僕が姉さんに助けられたように、僕も誰かを助けられる存在になりたいんだ。だから、そのための努力ならなんだってする」
「そうか……」
真っ直ぐな未来への想いをもっているアレクに、スタンは胸の奥でチリチリと感情が音を立てているのを自覚した。それは羨望でもあり、憧憬でもあり、後ろめたさでもあった。
「スタンは夢とかはないのかい。将来何になりたいかとか」
「夢か……。昔は冒険者になって大金稼いで姉貴に楽をさせてやりたいって思ってたな。でも、今は特にないかな。奇術師っていうのも考えたけど、手先が器用なだけでなりたいってわけでもないしなあ。……でも、一つだけ望みはある」
最後の言葉を口にしたとき、自分でもたじろぐぐらいに感情が籠ってしまうのがわかる。アレクも、それに気づいたのだろう。少しばかり心配そうな声で、スタンにそれを問う。
「望みって」
「ああ、本当は姉貴のためにも、胸張って真っ当に生きていければいいって思ってた。でも、ここに来て魔法なんて教えられちまって、この力は使えるって思っちまったんだ」
「……」
「ただ平穏に生きようと頑張っていたのに、あっさりとそれを辱めて摘み取って、もしかしたら今ものうのうと生きてるかもしれない奴を、どこにいようが草の根かき分けてでも探し出し……いつか報いを受けさせる」
姉の顔を思い出し、魔法を使えるようになってふと湧いた願望。二年前に起きた事件であり、犯人を捕まえることなど難しいだろう。もしかしたら、もう別の事件で捕まって縛り首にでもなっているかもしれない。だが冷静にそう考える一方で、諦めるという選択肢は自分のなかにないということにも気付いていた。
「ハッ、誰かを救いたいって願いと比べると大分みみっちいけどな」
自嘲するスタンに、アレクは静かに首を横へと振る。
「そんなことはない。大切な者を奪われたのなら誰もが考えることだ。その怒りは真っ当なものだ。けど」
「けど?」
「その復讐だけに囚われてスタンが不幸になってしまうのなら僕は止める。天国にいるスタンのお姉さんもスタンがそうなるのは望んでいないだろうしね。でも、スタンがそれで笑って前を向けるようなら僕も手伝おう」
穏やかに微笑むアレク。はあ、と胸の内を吐き出しスタンは空を仰ぐ。空には相変わらず静かに月が二つ昇っており、まるでちっぽけな自分を笑っているかのような気がした。だが、己の内を吐露したからだろうか。不思議と気分は楽になった気がする。
「別に長々と付き合う気はなかったんだけどな」
「え?」
復讐に魔法の力を使おうと考えた不義理から、習得したらここを去るつもりだった。だが、今こうして皆と暮らしているということに、泣きたくなるほどの安堵を覚えている自分がいるということもわかっていた。覚悟はあったが一人という境遇は、想像以上に辛いのだろう。時がきたら、去ることもあるかもしれない。だが、そのときまでは――
「しばらくはこの家族ごっこ、付き合わせてもらうことにするわ。どっか頼りないポンコツが二人もいるしな」
「スタン?」
唐突なスタンの宣言に、キョトンと首を傾げるアレク。間の抜けた表情に自然と口が緩む。
「大分眠くなってきたから、俺は先に戻ってるぜ。剣馬鹿もほどほどにしとけよ、兄貴」
「えっ⁉ スタン、今なんて⁉」
驚きに目を丸くするアレク。普段すましている分、間抜けさに拍車がかかっているように思える。笑いを噛み殺しながら、自分を呼び止めようとするアレクに背を向けて秘密基地へと戻る。まさにしてやったりという気分だ。不思議と今日はよく眠れそうな気がした。




