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ホームレス独り立ち


 暗闇の中、俺は道端に落ちていたボロ布を布団代わりに、路地裏の石畳の上で微睡む。初日こそ熟睡してしまったが、それ以降はあまり眠れない日が続いている。だが、寝込みを襲われることも珍しくないので、それくらいがいいとマルコは言っていた。

 体を横にするだけでも大分違うので、ただ静かに目を閉じじっとしている。時折、叫び声や足跡が聞こえ、その度に起き上がれるように、無意識に感覚を研ぎ澄ます。その中に混じって、マルコの強く咳込む音も聞こえる。どうやら、ますます悪化しているようだ。


「お嬢ちゃん、起きてるだろ」

「……ん、まあね。どうしたの」


 寝ているところに声をかけてくるのは珍しいことだった。俺は目を開けると、ムクりと体を起こしマルコを見る。マルコは、いつもとかわらぬようにその爛れた顔の口角をわざとらしく上げ、笑みらしきものを浮かべる。


「お嬢ちゃんも、大分ここという場所がわかってきたな」

「まあ、マルコさんに色々教えてもらったしね。これならなんとか生きていけそうかな」

「ああ、だからもうお嬢ちゃんはもう少しましな場所を探して、明日にでも出ていった方がいい」

「えっ⁉」


 マルコの意外な言葉に俺は驚いてしまう。マルコには恩義もあるし、暫く付き合ってもいいかという気持ちもうっすらとあった。そして、それ以上にマルコからそう願われたらどうしようかと悩んですらいた。だが、まさかマルコの方から三行半を突き付けてくるとは思わなかった。


「オイラに同情して、側にいてくれたんだろ。こんな肥溜めみたいな場所で。オイラがもう長くないと思って。でも、オイラの経験からいうと、こういう死に損ないはここからが長い。せめて、最期は誰の重荷にもならずに生きてえ」

「……」


 それは本心からか、俺を気遣ってからか。恐らく両方なんだろう。なんとなく自分の偽善と浅はかな思い上がりを見透かされたようで、無性に恥ずかしいと感じる。俺はなんとなく、この男を自分よりも下の人間だと思っていたのだと今更ながらに気付かされた。


「でも、それじゃあここでは生きていけない。ここでは誰も助けちゃくれないんだから、まずは自分自身を助けなきゃ。他人に構う余裕なんてものはねえ。ましてや、お嬢ちゃんはまだまだ子供だ。まあ、魔法が使えたり、異常に分別がついたりしているところはあるが、それでも子供だ」


 マルコはいつも以上に雄弁に語った。それに普段よりも強い熱意を感じる。


「子供っていうのは、病気に弱い。こんなところに長々といたら、お嬢ちゃんも病気になってあっという間に死んじまう」


 それは俺も懸念していた。不衛生な環境は様々な病気を呼ぶ。この世界の医療技術のレベルがどうなっているかは知らないが、今の俺がそれを受けることはできないだろう。しかし、魔法が使える今なら、もう少しまともな場所を見つけ出すことができるかもしれない。


「……そうだね。でも、どうして」


 マルコにとって、俺はいた方がいい存在だろう。火はつけられるし、食事だって取ってこられる。俺を思ってのことだとは解るが、なぜそこまでしてくれるのかがわからない。俺の疑問を感じ取ったのか、マルコはしばらく沈黙した後、再び口を開く。


「オイラにも子供がいたんだ」

「……そっか」


 まあ、別段いてもおかしくはない。日本だって、妻子がいたホームレスなんて普通に溢れていたしね。テレビの特集なんかでよくみた。


「オイラも一旗揚げようと田舎からこの王都に出てきて、最初に冒険者になった。でも、結局大成できずにドロップアウトしたあと、帰るに帰れず燻ってブラブラしてるときに女房とひょんなことでできちまってさ。仕方ないから所帯を持つかって互いに笑い合って、そうしているうちに子供ができたんだ」


 マルコの口調はとても穏やかで、昔を懐かしんでいるのか少し楽し気な様子だ。今マルコがここにいるということは、ハッピーエンドではないのかもしれない。だけど、この男にとっては楽しい想い出だったのだろう。


「赤ん坊は、そりゃ可愛かった。オイラは神様たちに感謝したよ。一生を掛けて女房と子供を守ります。オイラに二人を巡り合わせてくれて、本当にありがとうございますってな。それから定職の仕事も必死に見つけて、小さいながらも部屋も借りてさ。……そして、これからだって時に王国全体で質の悪い風邪が流行っちまってなあ。子供が生まれてから半年後に、二人共その風邪で天国へ旅立っちまった」


 ……やはり、そういう類の話だったか。希望を得た矢先に、それを全て失ってしまう絶望は如何ほどのものだろう。

 俺も前世で結婚とかを考えたとき、真っ先に想定したのが死別や離別のデメリットだった。いつも側にいられるわけではないし、マルコの家族のように病気で亡くなることだってありうる。それならば最初から家族など持たずに、一人で生きていく方が傷は少なく済むのではないかと。

 以前、愛妻家として知られる同僚の嫁さんが病気で突然死してしまったが、その後の同僚の抜け殻のような様は見ているだけで可哀相だった。


「まあ、それはオイラだけじゃない。オイラの見知った顔も随分その風邪で逝っちまった。ありきたりな話さ。でも、それでオイラの心もぽっきりと折れちまってなあ。もうどうでもいいと酒に逃げながら生きてきて、気付いたらここまで落ちちまってた。……まあ、これもきっとありきたりなことなんだろうけどな」


 マルコは一通り己の一生を語り終えると、再び俺へと微笑みかける。今度は曖昧でない、はっきりとした笑顔だった。


「だから、お嬢ちゃんをみてふと思ったのさ。もし、オイラ達の子供がお嬢ちゃんと同じぐらい育っていたら、一体どんな子になってたんだろうなあって。ここ数日は、その時のことばかり思い出すんだ。オイラは確かに、あの頃は幸せだったんだってなあ……」


 マルコは俺に、己の子供が成長した姿を重ねていたのだろう。だからこそ色々教えてくれたし、優しくしてくれた。結果として、俺はマルコが亡くした子供に救われたということなのだろう。


「だから、もういいんだよオイラは。お嬢ちゃんにはまだ先がある。こんな死にぞこないを気に掛ける必要なんてないさ。もし、お嬢ちゃんがオイラのせいで病気になったとしたら、今のオイラにはそれが一番つらい」

「……うん、わかった。明日、ここを出るよ」


 だからこそ、俺はここを出た方がいいのだろう。マルコの前で病にかかって死ぬなどということは、あってはならないのだ。


「それでいい。もし、次のねぐらを探すんなら、街の近くよりもすこし離れた場所の方がいいかもな。街の近くは一見便利だが、競争も激しく内ゲバや暴力も多い。すこし離れると食いもんや仕事は少ないが、その分安全でもある。お嬢ちゃんの魔法があれば生きてけるだろ。それと、決して暗黒街には近づいたら駄目だぞ」

「わかってる。ちゃんと教えてもらったから」

「それと……」


 マルコはこれまでのおさらいとばかりに、俺に今まで教えてくれたことを再度丁寧に説明してくれる。一通り語り終えると、それ以上互いに何も語ることはなかった。沈黙の中で俺は再び微睡み、やがて眠りへと落ちていった




 翌日、俺は神殿の炊き出し場所からマルコのいる路地裏へと駆けていた。最後の恩返しとして、マルコにまともな食事をさせてやろうと思い立った俺は、炊き出しを貪り喰うふりをしつつこっそりと服の中へパンを隠すことに成功したのだ。

 マルコにパンを渡したら、早目に比較的清潔なねぐらを探したかったので自然と駆け足になる。利便性では街の側がいいが、やはり安全を取るなら少し離れた場所がいいか。


「マルコさーん」


 路地裏へと入り、声をあげた俺はそこに人影を見つけて立ち竦む。途端に警報が頭の中で鳴り響く。マルコが埋もれているゴミ山の前に立つ人影を、俺は自然と凝視した。その人影の姿は、いかつい体つきで顔にいくつも傷のある男だった。俺の声に反応したのか、ゆっくりと振り向いた男の手には子供の頭部ほどの大きさをした石が握られている。――そして、その石からは赤黒い液体が滴り落ちていた。


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