決別
「え、何? 話って?」
カインが驚きながらこちらを見る。前回穴場を教えてやったため仕事がうまく成功し、何とか迷宮送りにならなかったカインはまだここにいることを許されていた。
スタンはそんなカインに伝えたいことがあり、以前二人で話した路地裏に誘った。
「いや、お前にもっと他の場所も教えてやろうと思ってな」
「え、でもいいの?」
「ああ、俺にはもう必要ないもんだからな」
「どういうこと?」
スタンはそれに構わずにカインに自分の持つ情報を全て教えてやる。もう必要のないものだからだ。カインはそれを不安そうに聞いている。何かを感じ取っているのだろう。
「ねえ、スタン? 大丈夫」
「ああ、問題ないさ。なにもな。俺はこの後、ズマさんに話があるから行くぞ」
去ろうと思って、最後に言い残した言葉に気付く。親身になってやれるのもこれが最後になるのだ。
「カイン」
「えっ」
「頑張れよ。お前は要領は悪いが、頭はいいからな。それを存分に使えば大丈夫だ」
カインに微笑みかけると、その場を後にする。背後から呼び止めるカインの声が聞こえたが、それを振り切りズマの部屋へとスタンは向かった。
「おう、どうした話って。相談になら乗ってやるぞ」
リーダー以上の者には個室が与えられる。スタンはズマの部屋のドアを叩き、中へと迎え入れてもらっていた。簡素な部屋にはわずかばかりの私物しかない。テーブルの上には酒瓶と数冊の本が置かれていた。意外と思いそれを見ていると、ズマも少し恥ずかしいのか頬を掻きながら照れ笑いをする。ズマがそのような顔を見せることはないが、スタンと二人きりのときは時折そのような表情を覗かせることがある。
「ま、まあ意外と思うかもしれねえが、読書は嫌いじゃねえんだ。今度お前にも貸してやろうか。学問ってのは結構奥深いもんなんだぜ」
「ええ……」
「どうした、元気がないな。最近稼ぎも悪いし、スランプか何かか?」
思えば、この人には大分助けられた。才能があったためか、随分可愛がられた。周りとあまり協力しない自分への風当たりの強さも、随分庇ってもらっていたように思える。あの時助けられなかったら餓死していたかもしれないし、本当に恩人と言える男だ。だからこそ、次の言葉を口に出したとき胸が痛むのを感じた。
「ズマさん、俺足を洗います」
「……何があった」
ズマはスタンの言葉に表情を消し、威圧感のある声でそう問う。そのプレッシャーに少しばかり怯むが、姉の笑顔を思い出し顔をあげるとそれを正面から受け止めた。そして、今までの経緯と自分の想いを偽ることなく伝える。
「姉の教え、か。……綺麗ごとだけでは生きてはいけんぞ」
「前の俺だったらそうでした。でも、今は違う。真っ当に生きるために地べたを這いずる覚悟はあります」
ズマは何も答えず、目を固く瞑り顔をしかめる。
「ただでは抜けられんぞ。それもわかっているのか」
「はい。覚悟の上です」
「どうやって食ってくつもりだ?」
「手先は器用なんで、奇術士の真似事でもしようかと。スリの訓練に練習もしてましたし。まあ、そんな甘くないともわかっているつもりですけど」
力強く答えるスタンを見て、ズマは小さく溜息をつく。
「決意は固いか。……俺にも弟がいたよ」
「ズマさんに?」
「ああ、俺がガキのときに病気になってな。貧しい家だったから、治療もできずそのまま死んじまった。顔はそれほど似てるわけじゃないが、お前とは雰囲気が少し似通ってたな。優しくて頭のいい奴だったよ」
ズマはスタンを懐かしむような目で見る。スタンを通して、自分の弟を思い出しているようだ。
「お前には期待していたんだがな。スリの技術も高見を目指して研鑽すれば中々奥深いものなんだぜ。お前には全てを伝えられると思っていた。考え直す気はないか」
「すみません。それでも俺は……」
「残念だ。それじゃあ、行くか。覚悟はできているな?」
「はいッ」
これから起きることを考え、自然とぶるりと体が震える。だが、必死に己を鼓舞し頷いた。
「よし、こい。裏切者には制裁がルールだからな」
ズマはスタンの頭髪を掴むと、引きずりながら部屋を出る。大人の腕力は強く、強い痛みと共にブチブチと頭髪が抜ける音が聞こえてきた。皆がたむろすアジトの食堂へ出ると、そこにいた者たちが何事かとこちらを見てくる。ズマはスタンを地面へと放り投げる。ズマは周囲の者たちに向かって叫ぶ。
「皆ッ、よく聞けッ。スタンがここを抜けようとしていたっ。目を掛けてやったのに、このクソガキはそれに泥を塗りやがった。裏切りものに対する処罰はたった一つ。制裁だっ」
「「「おおっ‼」」」
周囲の者たちも呼応するように雄たけびをあげる。中には興奮して「殺せッ」と叫ぶものまでいた。そんな中、ズマが周囲を制して叫ぶ。
「だが、こいつは俺が拾ってきた。スリの技術も仕込んでやった。それを裏切り、逃げ出そうとしたコイツには俺が直に裁きを下す。周囲は手を出すなっ」
そして、ズマは倒れているスタンの腹部に蹴りを叩き込む。
「ぐうっ」
加えられた衝撃に息が詰まる。
「まだだぞ、オラッ」
腹を抑え蹲るスタンの髪を掴み、引き上げると強引に立たせ、そしてその頬を殴りつける。
「があっ」
「テメエ、裏切りやがって。こんなもんじゃ済まさねえ」
倒れているスタンの背にガシガシと何度も足を踏み下ろすズマ。突如のリンチショーに周囲も湧き上がり、「いいぞ、やれー」「もっとだ」と騒ぎたててくる。そんななか、「スタンッ⁉」と心配そうに叫ぶ声が聞こえた。
加えられる暴力の合間に、視線をなんとか向けてみるとそこにはカインがいた。心配そうにこちらを見つめ、やがて意を決したようにこちらに向かってこようとする。止めようとしているのだと気付いたスタンは、顔を横に振り声には出さずに来るなと唇で伝える。これは自分が決めたケジメなのだから、それにカインを巻き込むわけにはいかない。
「テメエ、どこ見てんだッ、ゴルァ」
再び髪を掴み上げ、今度は平手打ちで頬を強く左右にぶち抜かれる。口の中が切れ、血の味が広がっていく中で、カインが青い顔をして足を止めるのを確認し、安堵する。
どれくらい時間が経っただろうか。何度も殴られ、時折周囲へも投げられ暴力が加えられる中、ズマが唐突にスタンの髪を掴み上げ、外へと引き摺り建物の外へと勢いよく放り投げた。
「馬鹿がッ、与えた恩を仇で返しやがって。失せろっ、屑が。どことなりとも行っちまえ。もっともテメエみたいなガキは飢え死にがオチだがな。もう二度とここには近づくんじゃねえぞ、殺すぞッ」
そうして、ズマは勢いよくドアを閉める。「気分が悪くなっちまった。俺の奢りだっ、酒を出せ、飲むぞっ」と叫ぶズマの声と、歓声が聞こえてくる。
「はあ」
震える膝に気合を入れ、よろよろとスタンは立ち上がる。体の節々は痛むし、殴られた顔は腫れ上がり視界が遮られている。だが、それでも致命傷らしきものは与えられていなかった。骨も内臓も巧みに避けられていたが、暴力は与えられていた。他の者たちの暴力も巧みにコントロールし、重大なダメージは加えられてはいない。以前見た制裁では、関節を逆方向に決められ片手片足をへし折られていたから、それに比べれば随分と軽い。
「最後まで世話かけちまったな」
制裁者がズマでなければ、大怪我を負っていたかもしれない。黙って抜けるという手もあったが、そうするとズマの評価が下がるし、あまりにも恩知らずに感じられたためそれはしたくはなかった。
アジトの中にいるズマに深く頭を下げる。そうしてアジトを立ち去るとしばらくスラムの中を歩く。足を進めるたびに鈍い痛みが全身を走るが、耐えきれないほどではなかった。
「さて、今日はどうしようか」
もう日も暮れかけていた。どこかで寝床を探さなければならない。だが、不用意に他者のナワバリを侵すと命の危険もありうる。少し考えて、最近銀髪ゴブリンとかいうものが現れるという場所を目指すことにした。そこは魔法を使うゴブリンが現れるという胡散臭い噂があった。その者のナワバリで暴力に及ぶと、その銀髪ゴブリンに制裁されるとのことで、ゴロツキはそこを避けるという。そのため、一部の力の弱い者たちが移住しているということを、カインから聞いたことを思い出した。そこに住む者はその場所を聖域と呼んでいるらしい。
一人になると胡散臭い話でも縋りたくなるな、と自嘲する。そして聖域へと向かおうと歩き、曲がり角を曲がろうとした時、頭部に衝撃が走りたまらず膝をつく。頭が激しく揺れ、視界が黒く染まる。何があったのか混乱する中、知った人物の声が聞こえた。
「スタンくーん。俺たちとも遊ぼうよぉ」
「すかした面が気に食わなかったんだよ」
「俺たちはズマさんみてえに甘くねえぞ」
視力が回復してくると、木の棒などを構えた少年たちの姿がみえる。普段、スタンに突っかかってきた年長の奴らだ。嫌われている自覚はあったが衝突したことはなかったし、まさか追ってきて襲撃されるほどに憎まれているとは思わなかった。
「チィ」
スタンは瞬時に反転し、逃走を図る。
「おおッとぉ」
しかし、そうはさせじと立ち上がり際に背中を蹴りつけられ、前のめりに再び倒れてしまう。
油断した。普段なら襲撃にも気配で気付けたと思うし、最初の奇襲も避けられる自信があった。だが今は全身に負った怪我で動きが鈍っていたし、感慨に耽ってしまい警戒が疎かとなっていた。
「覚悟はいいか。もう誰も助けに来ねえぞ」
嗜虐的な笑みを浮かべる少年たち。だが、こんなところでくたばるわけにはいかない。スタンは自身に振り下ろされる木の棒を目を逸らすことなく、凝視した。
「見つけたか」
「いや、いねえ」
「くそっ、どこ行きやがった」
あの後、何度も殴打されながらも一瞬のスキを見つけ、全身が痛むのも構わず必死に逃げ延びたスタンは、追ってくる少年たちから身を隠し、偶然目にしたゴミ山の中を瞬時にかき分け身を隠した。中は凄まじい悪臭であったが命には代えられない。
そうして、身を隠していると少年たちは諦めたようで、すぐそばを通り去っていく。
「これは、ヤベえかな」
体には絶えず激痛が走る個所と、感覚すらない箇所がある。どの程度の傷を負っているのか正直想像もつかない。今、出ていって見つかったら確実に捕まってしまうだろう。なので完全に夜になるのを待って、そこから移動することにした。
大分予定が狂ってしまったが、まずは聖域を目指そうと決意する。怪我を負った今の自分にはそれが精一杯になってしまった。それ以上のことは負傷と疲労でもう考えられない。
「おぉ、星が綺麗だな」
ゴミ山の隙間から見える空。何気なく見上げると、そこには無数の星が輝いていた。




