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天眼の聖女 ~いつか導くSランク~  作者: 編理大河
ポンコツ家長とスリ少年
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決意


 いくら何でも遅すぎる。

 いつも夕ご飯を食べ終えて、眠りにつこうという時間になっても姉は帰ってこない。今日は自分の誕生日だから、その準備ですこしばかり遅くなってしまっているのかと思ったが、それにしては大分時間が過ぎていた。

 姉の工場まで迎えに行こうか。でも、工場などとっくに閉まっているに決まっている。それに自分が外に出ることで姉とすれ違ってしまったら心配させてしまうだろう。姉は自分が一人で外出することを極端に嫌っており、以前なんとはなしに一人外出した際は、すぐ探し出され号泣する姉にお説教を延々とされる羽目になっていた。


「でも……」


 それでも、今まで一度たりとも姉がこんな長時間帰ってこなかったことなどなかった。何かがあったに違いない。もし、何かあったなら早く行かないと手遅れになってしまう。

 手遅れ。その発想に自分の心臓が跳ね上がるのがわかった。姉は今までスラムの治安の悪さを自分にオーバーなほどに伝えて、決して近寄るなと戒めていた。ここはスラムではないが、隣接した地域であり、やや治安が悪い。今しがた頭を過った想像が、もし現実となっていたのなら……。


「よし、行こう」


 今、勇気を持って踏み出せばこの不安も杞憂に終わる。きっと何でもないことで手間取った姉とすぐ出会い、姉は誤魔化し笑いをしながら自分に釈明するだろう。今までのように。


 ドアを開け外へと出ようとしたとき、そのドアがドンドンと叩かれる。


「スタン、いるかい」


 その声は姉の工場の同僚であるエマおばさんのものだった。姉を気に入り、何かと目をかけてくれる気前のいい女性だ。何度か家にも招き面識もある。エマおばさんは切羽詰まった様子で激しくドアを叩いてくる。


「エマおばさん、姉貴が」


 ドアを開け姉のことを尋ねようとしたが、途中までしか言葉は出なかった。普段は明るく快活なエマおばさんの顔は苦悶で険しく歪んでいた。


「どうしっ」

「スタン、いいかい。今からあんたをエリーゼのところに連れていく。しっかり気を保ちながらついてくるんだよっ!」




 その後、エマおばさんに連れてこられ、見慣れぬ建物の一室に案内された。その部屋の中央には寝台があり、そこには白い布を顔に、シーツを体にかぶせられた人が横たわっていた。見る限り、まだ若い女性の手足のようだ。シーツから覗く隙間からは素肌が見える。どうやら服を着ていないようだ。


「ねえ、エマおばさん。あれって」

「スタン、しっかりするんだよ。あれがエリーゼだよ。仕事を終えた帰り道、ちょうど人気がないところを強盗にやられたんだ。金とかは奪われたみたいだけど、あんたにあてた手紙だけは死体のすぐ側に落ちてたからエリーゼってわかったんだ。スタン、誕生日おめでとうって」

「え……?」

「スタン……。あんたの姉さんは強盗に殺されちまったんだよ。あぁ、あんなにいい子だったのに」


 エマおばさんは耐えきれないといったようにすすり泣きを始める。その言葉は全くというほど、頭の中へと入ってこない。姉が殺され、もうこの世にいないというが、今朝確かに自分の誕生日をしようと話し合ったのだ。今も自分は姉を待っている。何かの理由で遅れているが、来たら誕生日を開いてくれるだろう。目の前の何かは絶対に姉などではない。あってはならない。

 顔を確認すれば解るだろうと、それを隠す布を取ろうと近寄ろうとしたとき、エマおばさんが二の腕を痛いくらいに掴んできた。


「やめな。見ちゃだめだ。エリーゼのためにも見ないでやっとくれ」


 何を言っているのだろうか。アレは姉などではないのだから、なお確認しないといけない。でないと、安心できないではないか。エマおばさんの手を振りほどき、布を勢いよく剥ぎ取る。その拍子に体を隠すシーツも地面へとはらりと落ちた。そして目に映った光景に、思考は一瞬で停止する。


「なんだよ、これ?」

「だから言っただろう。手紙が落ちてなけきゃエリーゼだって分からないって。ああ、何もそんなに嬲ることはないじゃないだろう。本当にかわいい子だったのに」


 エマおばさんは耐えきれず号泣する。でも目の前の女性は姉ではないはずだ。そもそも普通の人はこのように腫れあがり紫色の顔はしていない。見ると全身も紫色に腫れあがっていた。姉は肉親として見ても、他の女性より整った顔立ちをしていた。決して、このように醜悪ではない。

 朦朧とする意識の中で、エマおばさんの泣き声だけが頭に響いていた。




 そこから先はあまり覚えていない。断片的に覚えているのは、焼き場で骨となった姉を金がないため共同墓地に入れたこと。その後預けられた孤児院があまりに劣悪で、腐った食べ物と暴力に耐えかね逃げ出したこと。さまよった挙句、スラムへとたどり着いたこと。

 気付くと悪臭のする路地裏で膝を抱えていた。空腹は思った以上に辛く、惨めであった。空腹の苦しさで立ち上がるのすら億劫になっていたときに、一人の男に声を掛けられた。


「おう、ボウズ。随分辛気臭いところでくたばりかけてんな。でも、そんなところでお上品に振る舞っててもなんにもなんねえぞ。ついてくるか? お前に飯の食い方と地べたの這いずり方ってやつを教えてやるよ」


 何も考えられなくなっていた自分は、ただその男についていった。その日スリのアジトに連れてこられ、与えられたパンとスープは温かく、何よりも美味く感じられたことだけは鮮明に覚えている。




「ようし、スタン。これからお前が美味い飯を喰えるかどうかはお前さんの働き方しだいだ」


 自分を拾った男はズマといった。このグループのリーダー格の一人で、できない者には厳しいがそれでも根気よくつきあい指導は欠かさなかった。このグループには珍しく、とても面倒見のいい男であり、自然とリーダー格の中でも有望株と目されている。


「わかりました」

「おう、これからお前にスリの真髄ってやつを教えてやる。こころして見ろ」

 

 ズマが一度、その五本の指を器用に動かし、財布を片手で開き器用に硬貨だけ抜き取る。その技術はすさまじく、まるで魔法を使っているかのようだ。


「どうだ、すごいだろ。まあ、いきなりこのレベルの技術を求めているわけじゃない。研鑽を……」

「できました」

「何ィ⁉」


 幸い手先は器用だったため、すぐさま実戦でも成果を上げ、同年代の少年のみならず大人たちからも目をかけられるようになり、すぐ食い物には困らなくなった。スリを行う度に姉の顔がよぎったが、飢えることへの不安から、すぐさま浮かび上がる姉の姿を振り払った。




 そんな生活をしているある日、突然気付いたことがあった。姉の記憶が段々と薄れていったのだ。笑いかけるその顔、声、仕草などがだんだんと霞がかかったかのようにぼんやりとしか思い出せなくなっていた。焦燥にも感情を抱く日々の中、ふとしたことで財布を盗られたリコという少女を助けた。艶やかな銀髪に深い紫の瞳が印象的な少女であったが、性格は対照的で一人称は俺の不思議な奴だ。そのアンバランスさからポンコツという印象を自分はまず抱いた。

 その後も不思議と度々出会い、その身内であるアレクという男とも衝突した。それが尾を引き、初めてスリも失敗してしまう。殴られながらもなんとか逃走しているとき、たまたまあったリコに助けられた。

 その後少し話をしたとき、何とかつて姉が話していたことと全く同じことを目の前の少女が言葉にしたのだ。それを聞いた瞬間に不思議と頭の中の霞が晴れ、自分に微笑みかける姉の顔を鮮明に思い出せた。懐かしさのあまり思わず泣きたいような気持ちにも襲われた。

 それと同時に胸を貫くような痛みを覚えた。あの頃の姉に比べて今の自分はどれだけ卑小か。あれだけ、言われたにも拘らず、人を傷つける生き方しかできていない自分を恥ずかしく思った。

 それ以前も忸怩じくじとした思いは抱えていたが、これほど明確な感情ではなかった。どこかで仕方ないと正当化していたのだろう。馬車代相当の金を相手に返してやるのも、言い訳に過ぎなかったのだ。それに気づいたとき、自分の中で一つの決意が定まった。




 夜、スタンはアジトの屋根へと上り、夜風へと当たっていた。気分が高ぶりとてもではないが眠れそうにない。夜風に身を任せ目を閉じ姉のことを想う。以前はぼやけていたその顔が今では鮮明に浮かび上がる。あの頃と同じ笑顔で自分に微笑みかけてくる。取り戻せた笑顔を想う度、もう一度胸を張って生きたいと思う気持ちが強くなる。自分のため、そして姉の笑顔を曇らせぬためにも。

 やり直せる、と姉と同じ言葉をくれた少女は言ってくれた。それには大きな代償を伴うだろう。だが、それでももう姉の笑顔を見失うのだけは嫌だった。


「よしっ、やるぜ姉貴。ちょっと道を見失っちまったけど、急いで戻るよ。真っ当に胸を張って俺たち姉弟は生きてくんだもんな」


 心は驚くほどに澄み晴れていた。以前は少しかがんでいた背も自然と伸びる。これからの苦難を考えても、不思議なことに何も怖くは感じなかった。





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