やり直し
俺は一人で一般街へと向かっていた。今、俺が背負っているずだ袋には今回のメインである歯ブラシが数本入っている。これをフィーネさんたちにプレゼンするのが今回の目的なのだ。まあ、突然訪れ出会える保証もないが、それでも万が一のために入れておいた。なので、アポだけでも取っておきたい。これをフィーネさんが買い取ってくれるなら、幾分か家計が潤うことだろう。そんなことを思いながら冒険者ギルドへと向かっていると――
「スリだっ! 捕まえてくれっ」
そんな怒声が聞こえ、そして見知った顔の少年がこちらへと駆けてくるのが目に入った。それはスタンであった。なにかあったのだろうか。
切羽詰まった表情のスタンと、視線が交錯する。俺はとっさにすぐ側にあった木箱を指さした。
「この後ろに隠れてっ」
「すまねえッ」
あっというまに俺の背後に駆け寄ると、木箱を飛び越えその後ろに身を潜めるスタン。遅れて複数の大人が必死の形相でやってきて、俺へと尋ねてくる。
「お嬢ちゃん、こっちに一人のガキが来なかったかい? そいつスリのガキなんだけど」
「すごい速さであっちに行っちゃったよ」
「くそっ、なんて速さだ。おいっ、行くぞっ。絶対にとっちめてやる」
男たちが見えなくなるのを見届けると、俺は背後のスタンに声をかける。
「行ったよ」
「わりぃ、助かったぜ」
スタンが木箱を乗り越えて姿を現す。その頬には殴られたのか、痣ができていた。
「スリやって、初めて下手うっちまったぜ」
俺の視線に気づいたのか、スタンは恥ずかしそうに頬をかく。自信満々に盗った財布も相手に返すと豪語していたから、それも本当なのだろう。そして、その原因は前回のアレクのかまかけにあるに違いない。悪気だけではないとはいえ、申し訳なく思ってしまう。何より、スリはスタンの生計の手段なのだから。
そのとき、ぐぅとスタンの腹が鳴るのが聞こえた。
「くそっ、全力で逃げたら腹が空いちまった。ノルマはこなしてるから問題ねえけど、手ぶらで帰るのもなあ」
どうしたものかと、スタンは悩んでいるようだ。そういえばコイツにはまだ、金を取り返してくれたお礼をしていなかったな。
「じゃあ俺が奢るよ。まだ前回のお礼ができてないしね」
「マジかッ‼ じゃあ、お言葉に甘えるとしますかね」
ヒュウと口笛を吹き、喜ぶスタン。
「でも、この近辺だとまだ探してるあの人たちに見つかっちゃうかもしれないから、少し場所を変えようか。スタンは何か食べたいものある?」
「おう、それには異論はねえ。奢ってもらえるなら文句は言わねえさ。あ、蝉だけは勘弁な」
あれはあれで美味いんだけどな。俺は苦笑しつつ、スタンとこの場を離れることにした。
「おじさん、串焼き肉四本下さい」
「おお、お嬢ちゃんかい。今日もおめかしして可愛いね。今日も弟さんや妹さんと一緒なのかい」
串焼き屋の武骨な親父が、相好を崩して話しかけてくる。この串焼き屋は味がよく、量も多いのに、値段は他のと比べて大して高くないのでよく利用していた。親父は子供好きらしく、よくおまけをしてくれる。
「ううん、今日は友達と一緒だよ」
「そうかい、それじゃあ二本サービスだ。友達と仲良く食いな」
金を渡すと、香ばしい匂いを放つ串を六本、俺へと渡してくれる。俺とスタンで一本ずつというところだろうか。
「ありがとう」
「おうよ。また来てくれよな」
豪快に笑う親父に頭を下げ、俺は少しばかり人気のすくない道の外れへと進む。街路樹の下で涼をとり木に背を預けているスタンのもとへと足を進めた。夏の強い日差しと、両手に持った焼き立ての熱い串焼き肉の放射熱で全身から汗が噴き出てしまう。熱い、熱い。急げ。
「ふう、涼しい」
木陰に入るとヒヤッとした涼しさを感じる。心なしか、時折ふく風も冷たさを増してくれるようだ。
「はいっ、スタンの分」
「おお、ありがてえ」
串焼き肉を三本スタンに渡すと、スタンは年頃の少年らしく豪快にそれにかぶりつく。
「うん、うめえ。あそこの串焼き屋美味いよな」
「それによくおまけしてくれるしね」
「マジか⁉ 俺は一度もおまけしてもらったことないけど」
「え、本当に⁉」
なんだろう、俺だけなのかな。あの親父さんに気に入られてんのかな。それはそれで少し怖い気もするなあ。まあ、この顔のお陰なのか。ちゃんと顔洗って髪も梳かしてるし、超絶美少女モードだ。
しばらく無言で串焼きを二人で食べる。蝉がけたたましく鳴いているのを聞くと、日本の夏を思い出すなあ。ヨーロッパには蝉は南部しかいないそうだけど、この国では普通に日本ばりに生息している。まあ、異世界だから似ているだけで蝉の生態も気候も異なっているのだろう。
「ふう、ごっそさん。美味かったぜ」
「うん、お礼ができてよかったよ」
借りっぱなしってのも嫌だからね。でも、スタンがスリを失敗したということが少し引っ掛かる。やっぱりスタンの中でもなにか思うことがあったのだろうか。
「この前はアレクがごめんね。俺からも言っておいたから。アレクも今度謝りたいって」
「ハッ、いらねえよ。俺が人様の金を掠め取るスリってのは間違いねえからな」
少しばかり自嘲めいた笑い声をあげ、己の掌をジッと見るスタン。やっぱりスタンも自身の境遇に思うところがあるらしい。その表情はすこし思いつめた感じがする。
「スタンはこれからもスリを続けていくつもりなの」
「……まあな。今更どうにもできないだろう。他に食ってく伝手もねえ」
「うん、まあそうだけど」
まあ、いますぐ止めるというのは厳しいだろう。でも、俺が言いたいのは五年後、十年後のことだ。犯罪だけで身を立てていたら、更生しようと思ってもできなくなってしまうだろう。スタンのような善良な心根があれば、将来正業に就くことだって叶うかもしれない。
「スタンは大人になってもスリを続けていくつもり?」
「わかんねえな。そんな先のことを考えたこともなかった。大人、ねえ」
多少ぶしつけな質問だから怒るかもと思ったが、スタンは淡々と答える。そして、自身の未来について思いを馳せているのか、雲一つない真っ青な空を顔をあげて眺めていた。
「スタンもこれから大人になって、自分の足だけで歩いていけるようになる。そんなとき、スタンにも大切に思う人ができると思うんだ。例えば、恋人とか。そんなときスリのままだったら、スタンは胸をはってその人に向き合えると思う?」
中身がアラフォーのおっさんとしては、スタンのような少年に老婆心を発揮してしまう。今のスタンにとってはうるさく感じるだけかもしれないけど、いつかそのような時が来たら思い出してくれるかもしれない。
「それにスリを続けていたら、アレクの言った通りにならないとも限らないよ。いつか取り返しがつかないことが起きて、誰かにとってのかけがえのない大事な人を傷つけてしまうかもしれない」
スタンは俺をまっすぐに見る。目を見開き驚いているようだ。
「ごめん、気に障ったかな」
「いや、大丈夫だ。ただ、昔姉貴に言われたことと同じようなことを言うから少し面食らっただけだ」
「姉貴?」
姉がいるのだろうか。だが、そのようなことを言ってくれる姉が今もいるならスタンがスリをしている理由がない。ならば、その姉というのはもう……。
「ああ、俺には姉貴がいたんだ。強盗に襲われて呆気なく殺されちまったけど」
「そう……ごめん」
それは思い出したくない過去だろう。何気ない会話と思っていたが、想像以上にスタンの心の傷に触れてしまった。
「リコには関係のないことだ、気にすんな。その頃俺はただ養ってもらうだけのガキだったけど、姉貴はよく口を酸っぱくして言ってたよ。正しく生きろって。毎日毎日飽きもせずにな」
昔を懐かしむような笑い声をあげるスタン。でも、そこには少し寂しさもあるように俺には思えた。
「いいお姉さんだったんだね」
「そうだな。身を粉にして朝から晩まで働いて、俺を学校に入れようとしていたな。その合間に法神の神官の説法によく俺を連れていってたよ」
ふう、と深いため息をつくとスタンは、再び空を見上げる。その表情を驚くほど真摯であり、普段の茶化したような雰囲気は一切見られない。己の内で色々と葛藤しているのだろう。何か話せることはないか考えるが、上手い言葉が見つからず、ただ黙ってスタンを見守る。
しばらく黙ってそうした後、スタンはおもむろに前を向き俺の方へと振り返る。その顔は何かを吹っ切ったように透き通った表情だ。
「わりぃ、もう行くわ」
「そっか」
俺は去っていくスタンの背中を黙って見送る。今の会話は、スタンの役にたったのだろうか。まだ、幼いといえる少年には余計なことだったのではないか。少しばかり不安になる。
「なあ」
スタンが振り返り、声をかけてくる。
「俺は……今からでもやり直せると思うか?」
穏やかに微笑むが、どことなく怯えたようにも見える。励ますように力強く俺は頷く。
「スタンならできるよ」
「そうか……ありがとな」
以前と同じように背中越しに手を振り去っていくスタン。将来スタンはスリを止めれるだろうか。今はまだ無理だろうが、スタンがそう決意したのなら手伝ってやることは可能だろう。なんたって俺は魔法を使えるのだから。今度出会ったとき、それとなく銀髪ゴブリンのことを伝えてみるかな。
そんなことを考えながら、その姿が見えなくなるまで俺はスタンの背中を見送った。




