真夏の夜の会話
「よし、できた。エリス、履いてみて」
「わあ、ありがとう」
エリスは俺から靴を受け取ると、履いて感触を確かめる。
「うん、凄くいい。それにとっても可愛いし」
「もう、大分ボロボロだったからね」
アレクやエリスの靴が大分ボロボロになっているのに気付いた俺は、二人に靴を作ってやることにした。靴といっても葦を叩いて伸ばし、縄を綯い靴底とし、街で買った糸や針で布を縫い合わせて完成させた。
縄の綯い方は田舎のおばあちゃんに教えてもらったこともあるし、以前世界名作劇場でサバイバルするアニメを見たこともあったので、この2年間暇を持てあましていた俺は、スペイン靴を何足か作っていた。
最初はうまくできなかったが2足、3足と作っているうちに大分上手くなり実用に耐えうるようになった。子供の足はすぐ大きくなってしまうから、今まで自分用にも大分作ったなあ。裁縫にも大分慣れたので、次はエリスにシミーズを作ってあげる予定だ。あまり身ぎれいにするとスラムでは危険もあるけど、小物や下着ぐらいはお洒落をさせてあげたい。
「どう、お姉ちゃん」
「うん、似合ってるよ」
俺の前で踊るようにステップを踏むエリス。長い脚にピッタリとフィットしている。うん、上出来だ。
「明日からはこれを履いてくね。ありがとうお姉ちゃん」
嬉しそうに笑いながら俺に抱き着いてくるエリス。作ってあげて本当によかった。このスラムから出たら、思う存分お洒落をさせてあげよう。正直、この子の美貌は今まで出会った人たちの中でピカイチだ。きっと注目される美女になるだろう。
そう決意する俺の視界の隅で、アレクがじっと物思いに耽っていた。言葉を発さず、常に何かを考えているようだ。ここ数日、ずっとそんな様子で過ごしている。やっぱ先日のスタンとの件が尾を引いてるのだろうか。多感な時期だろうし、ここはひとつ話し合いをしっかりしたほうがよさそうだな。
もし、俺に前世で子育ての経験があれば、気軽に声をかけて相談に乗ってやれることもできたのかなあ。でも、無いものねだりをしてもしょうがない。現実に家長の俺には成人男性としての40年近い人生経験があるし、アレクとエリスには育ててくれる親もいなければ、学校にも通えていない。ここで頑張らなければ転生者としてあまりに不甲斐ないだろう。
夕食を食べ終え、エリスは一足先に眠りへとついた。夏だというのに、いつのまにか俺のベッドに入り込み、しがみついている。夜とはいえ蒸し暑い夜なので、自然と俺の体も汗だくとなってしまう。エリスは暑くないのだろうか。スピーと気持ちよさそうに寝息を立てている。
横を見るとベッドにアレクの姿はなかった。日課としている素振りを外で行っているのだろう。毎日、手の皮が擦り剝けるほど振り込んでいるのは本当に大したことだと思う。以前にみたときには、素振りの速さが見違えるほどに速くなっていた。でも、我流では限界があるのではないかと思う。街中には剣術道場らしきものも見掛けるので、迷宮で金を稼げるようになったら通わせてあげることも検討したほうがいいかな。
「さて、いくか」
アレクと二人きりでじっくり腰を据えて話すのは今がちょうどいい。エリスの手を解くとベッドより脱け出し、秘密基地の外へと出る。
外は不思議と明るかった。見上げると二つの月が欠けることもなく煌煌と輝いている。この神秘的な月を見るたびに俺は異世界に転生したのだということを実感する。
「うん、やってるな」
そんな月明かりの下、一心不乱に剣を振るうアレクの姿があった。その剣はかつて俺がドリスから奪った魔法の剣だ。余程集中しているのか、すぐそばまで寄った俺の存在にも気付かない。俺は近くの瓦礫に腰を下ろし、邪魔しないようにそれを見守る。
「ハアッ、ハアッ」
どれだけの時間が過ぎたのだろうか。息を荒くしながらアレクは剣をだらりと下げ、酸素を取り込もうとばかりに口を大きく開き天を仰ぐ。俺が見る限り一振りでも疎かに振った様子は見られない。本当に大したものだと心から思う。アレクにとって剣は本当に夢中になれることなのだろう。
「お疲れ。大丈夫」
「はい、姉さん。大丈夫です」
頃合いもよし、と俺が声をかけると、アレクは静かに微笑みながらこちらへと振り向く。驚かないということは、もしかしたら俺の存在にも気付いていたのかもしれない。
「精が出るね」
「強くなるためですから」
俺が手ぬぐいを渡してやると、アレクは頭を小さく下げ、汗まみれの顔や首筋を拭う。
「ちょっとアレクと話したいなって思って」
「ちょうどよかった。僕も姉さんに相談したいことがあったので」
アレクも思い当たる節があるらしい。俺が自分の隣をぽんぽんと叩くと、アレクは素直にそこへと座る。 俺は、隣に座った時のアレクの体の大きさに少しばかり戸惑う。出会った頃より背が伸びているのだろう。子供の成長は速いからなあ。二人でそうしてしばらく月を眺めたあと、俺は腹を決めて口を開く。
「最近、結構黙ってることも多くて気になってたんだ」
「少しばかり考えることが多くて。……姉さんが話したいのはアイツの件ですか」
「まあ、それもあるけどね」
それ以外にも話したいことは多くある。エリスとはお風呂とかでとりとめもない会話なんかを結構交わしているが、アレクとはあまりこうして話し合うことは考えてみればなかった。
「姉さんはあいつのことをどう思ってます。スリを認めるべきと」
「ううん、そうは思わないよ。スタンはいい奴だからスリなんかやめられるならやめてほしいって思ってる。でも、そう言ってやれるのはアイツの未来に責任を持てる奴じゃないと駄目だとも思ってる。それこそ家族や親友なんかじゃなきゃね」
ただ、そんな人がいるのならこんなところまで堕ちてはいないだろう。それに一度できてしまったしがらみも、早々には振り払えない。抜け忍ではないが、制裁はあるにちがいない。
「では、それが無ければあいつは一生スリのままと。ここに堕ちたものたちは正しく生きることはできないのですか。何故、こんな場所が存在するのでしょうか」
「うーん」
俺としては、俺とアレク、エリスでここを抜け出す気は満々だ。でも、アレクはそういった意味で言っているわけではないだろう。きっと人間という普遍的な物差しで、俺に善悪の是非を問いている。このスラム全体の問題を俺に。普通の家庭で育ったアレクに、スラムという世界は憎むべきものと映っているのかもしれない。
正直、俺にそんな明瞭な答えは出せない。でも、大人になって割り切れとも子供のアレクには言えない。それに大人になって割り切るといっても、それは諦めに似たものだ。それを可能性ある子供に気安く教えるのも正直どうかと思う。俺は足りない頭を捻って、何とかそれらしい言葉を吐き出していく。
「人はそんなに強くないんだよ、きっとね。自分を護るだけでもしんどいし。でも家族とか友人を作って支え合いながら一生懸命生きている。その過程で少し間違うこともあるかもしれない。でも、そこに気付けたらきっとやり直せる。何度だって。でも、ここは過酷だからそれに気づける機会が少し少ないかもしれないけど」
「どうしたら彼らに気付かせることが。そうしたらここを平和にできますか」
「うーん、それこそ難しいなあ。長い時間をかけて根気よくやるしかないだろうね。お金と人を集めて、子供たちに教育を施して、しっかりと職を与えて。それこそ英雄か名君でも現れない限り、気の遠くなる時間がかかると思う」
貧困問題というのは本当に根深い。前世でセレブの慈善事業の報道をみても、ほーんとしか思えなかったが、今はウェルカムウェルカムって叫び出したいほど欲しい。世界の中心で助けを叫び出したい気分だ。でも、きっとこの世界の恵まれた人々も、スラムの者を自堕落ゆえにそうなったと思ってしまっているだろう。
「難しいですね」
「そうだね」
そうして、俺たちは二人で再び月を見上げる。うーん、スラムの救済かあ。英雄みたいなやつが来て、助けてくれないかなあ。ドラゴンでもスパッと狩って、その金でスラム再建とかね。俺も若干チートだけど、それほどの強さはないしなあ。
そんな妄想に耽っていると、アレクが再び口を開く。
「もし……僕があの時、姉さんに拾われなければ、今頃は僕もあいつみたいになっていたのでしょうか?」
以前は自信満々に否定してみせた言葉を、アレクは俺に問う。アレクなりにスラムでの生活で揺らいでいるものがあるのかもしれない。でも本も読まず、学校にも行っていないのにこんなことを思案しているのは凄いし、感心できることだ。
「どうかなあ。でも俺じゃなくてもモーラみたいな奴に拾われたらまともに生きていけたんじゃないか。スタンはたぶんそこが違ったんだよ」
「結局護ってもらわなければいけないということは、そういうことなんですね。上の者次第で黒にも白にもなってしまう」
悔しそうに俯くアレク。自立心も強い子だし、現状に不満があるのだろう。自分の弱さが許せなくて、毎日自虐的に血が滲むほど剣を振っているのかも。自分が子供だからといって納得はできないんだろうな。
「うん、悲しいけどね。でも、スタンは正しい生き方はしてないかもしれないけど、俺を助けてくれた。優しかったよ。アレクは確かに正しいかもしれないけど、でもスタンにした嘘は優しくなかった。正しいというだけでは計れないものもあるんだよ」
「正しいだけでは計れない……」
「そう。こういう格言もある。強くなかったら生きていけない。優しくなければ生きる資格はないって」
アレクはその言葉を聞くとハッとしたように顔を上げ、そして俺に静かに微笑んだ。
「いい言葉ですね」
「だろ」
俺のお気に入りの金言だ。正直、理路整然とした言葉よりも、こうした力のある言葉の方がずっと心に染みる。俺も鬱っぽくなった時は偉人の格言集とかをよく読んだりしたものだ。
アレクは立ち上がると、再び剣を鞘から抜き、一度力強く振る。
「姉さん」
「ん」
「僕には強さも優しさもまだまだ足りなかったみたいです。だからもっと強く、優しくなって、その上で自分なりに正しくあろうと決めました。そうすれば、父さんとの約束も守れると思うから」
力強い笑みを浮かべるアレク。そこには迷いは見えない。うん、腹を割って話した甲斐があるってもんだ。なんか、無理やりいい話しようとして背筋が寒くなったけど頑張ってよかった。




