行商人の提案
「ボルト、あなた馬鹿でしょう。迷宮に行くのを諫めようとして、闇ギルドのことまで教えちゃってどうするのよ」
そう声がしたので、俺は頭上を見上げた。ギルドにある二階の階段より、つかつかと下りてきたのは二人組の女性。艶やかな黒髪を腰まで伸ばした清楚な少女と、真紅の髪色をした背の高い獣人の女性。二人の姿が現れると、ギルド内の冒険者の注目が一斉に集まるのを感じた。
「おおっ、【氷の魔女】だ!」
「へえ、あれが。じゃあ、後ろにいるのが【紅蓮】の……」
「すげえ美人じゃん。俺、ちょっと話しかけてみようかな」
「馬鹿っ、身の程を知れ! しかも今話してる男は王都最大の冒険者グループ、ウォーリアーズのリーダーであるAランク冒険者のボルトだ。俺たちが気軽に話しかけていい相手じゃない」
ガヤガヤと騒ぎ出すギルド。どうやら二人は超有名人らしいな。しかも、今のって二つ名か。やっぱ冒険者だとあるんだなあ、そういうの。もし、将来俺が有名冒険者になったらどんな二つ名なんだろう。自分としては【根源の魔女】とかいいと思う。将来活躍できたら、さりげなく周りに吹聴してみるか。
俺は、そんなことを考えながら二人の顔をよく確認した。すると、その内の一人が以前飴玉をくれた女性であることを思い出す。確か名前は――
「おう、フィーネか。随分と長かったな。ジジイとの話し合いは終わったのか?」
「ええ、たった今ね。この国でしばらく出てないSランクを目指してみないかって、プルナ平原行きを提案されたわ。おあいにく私の本職は商人だから、すげなく断らせてもらったけどね」
そう、フィーネさんだ。それに後ろの獣人の女性はシャーリーだったか。馬鹿げたステータスをしていたが、やっぱり高名な冒険者だったか。
フフ、といたずらっぽく笑うフィーネさんに、ボルトは腕を組みながらウンウンと頷く。
「おう、それがいい。冒険者は上流階級の従僕なんかじゃねえ、独立した一つの団体だ。護るべきは、まず仲間よ。あんな糞みたいな掃きだめに行けるかってんだ。どうしてもやりたきゃ、国が自前の騎士団でも使ってやればいいんだよ。おおかた貴族連中にせっつかれて、Aランク筆頭のお前さん方に白羽の矢がたったんだろうな。あのジジイ、上に媚びるのだけはうまいからな」
「まあ、あたしは構わないんだけどさ。ドラゴンの肉は美味いからなあ。それに古龍の肉ならなおさら美味いだろうしな」
シャーリーは腰に手を当て、豊かな胸をそらせて豪快に笑う。
おお、なんかこの人たちの会話、すげえ歴戦の猛者感があるな。
「でも、あの古龍はSランクでもなければ無理よ。今までAランクの冒険者が国の騎士団と部隊を組んで何度か討伐しようとしたけど、全部失敗しているわ。更に、その報復で一度は王都まで焼かれているのよ。さすがのあなたでも無理でしょうね」
「はあ、ならとっとと他の国のSランクに助けを求めりゃいいのさ。この国にはいないんだからよ」
「まあ、上の連中が面子潰れんの嫌でやらねえんだろ。奴らプライドだけは一流だからな」
そんな三人の会話に、周囲の冒険者たちは興味津々な様子で聞き耳をたてている。確かに興味深い内容だが、はっきり言って雲の上の会話だった。それよりも俺はスラムのクズ迷宮で魔石を稼ぎ、普段の食卓にもう一品加えられる生活をするのが早急の課題だ。そうと決まれば、この隙にコッソリと抜け出してしまおう。
「……あら、あなた。確かリコちゃんよね?」
フィーネさんが、ボルトの後ろに隠れてコッソリとエスケープしようとした俺に声をかけてくる。どうやら覚えてくれていたらしい。それ自体は嬉しいが、今注目を浴びてるこの場で声をかけてくるのは止めてほしかった。集まった周囲の視線が痛い。
「フィーネ、知り合いか?」
「ほら、あなたが馬車ではねかけた……」
「ああ、あのときの」
シャーリーがつかつかと俺に歩み寄り、まじまじと顔を覗き込んでくる。
「ホントだ。おう、ひさしぶりだな」
「お、お久しぶりです」
気のいいお姉さんといった感じで、シャーリーはガシガシと俺の頭を撫でながら笑いかけてくる。それと同時に頭上の獣耳がピコンと動き、尻尾がファサファサと揺れる。そして、なんだか果物のようないい匂いがふわっと漂ってきた。その外見から少し獣臭い感じを想像していた俺は、ちょっとばかし失礼な考えを抱いていた自分を恥じる。
「おお、そうだ。なあフィーネ、さっきの言葉はどういう意味なんだ?」
ボルトが思い出したかのようにフィーネさんへと尋ねる。フィーネさんはそれに対し、呆れたような視線を投げかけた。
「冒険者になりに来た子供に、ギルドの制度を教えて命を大事にしろって言うところまではいいわ。でも、そこでどうして闇ギルドのことを教えちゃうのよ。そしたら行くに決まってるじゃない」
「そうだぞっ! 親父はほんとうに間抜けだな!」
「腕力馬鹿のオメエに言われたくねえよッ!」
そうボルトはシャーリーに抗議すると、俺へと話しかけてくる。
「なあ、おい」
「は、はい」
「お前、さっき分かりましたって言ったもんな? 闇ギルドなんて行かねえよな?」
少し厳つさを増した顔で、そう俺に話しかけてくるボルト。そんなボルトに俺は全力で幼女スマイルを放ち、コクコクと頷く。……まあ、行くけどね。
「ほらみろ。大丈夫じゃねえか」
「はあ、嘘にきまってるじゃない。このくらいの年頃の子はもう嘘だってつけるのよ」
この人には通用しなかったか。フィーネさんは溜息をつくと、俺の前にきてひざを折り目線を合わせてくる。
「ねえ、リコちゃん。迷宮はとっても危険な場所なの。さっきボルトが言ったように、死んでしまったらそこで終わりなのよ。あなたほど可愛い娘だったら、大人になってから正業で稼ぐこともきっとできるわよ。……何か、早急にお金が必要なの? もし理由があるのなら、少しなら出してあげられるけど」
いや、正直なところ特に焦る必要はないのだ。だが、やはり生活にはうるおいが欲しい。自分が弱いままの存在なら違う方法を考えるが、魔法という武器があるのならそれを十分に活用したい。そして、アレクとエリスにいい生活をさせてやりたいのだ。
「ええっと、弟や妹にたくさん美味しいご飯を食べさせてあげたいなって……」
「そう」
フィーネさんは俺に優しく微笑むと、懐から一枚の金貨を取り出す。……すげえ、金貨なんてこの世界に来てから初めて見た。
「リコちゃん。もし私と本気で迷宮に行かないと約束してくれるなら、このお金をあげる。それに、もう少しまともなお仕事も紹介してあげられるわ」
フィーネさんは俺の目をまっすぐ見据え、そう提案してくる。俺は一瞬、その提案に迷う。でも、すぐにその善意の申し出を断ろうと決意した。確かに一時的になら家計は潤うかもしれないが、その安穏とした道が正解だとも思えないからだ。スラムには暴力的な輩もいる。迷宮へ行こうと思ったのは金稼ぎのほかに、そういう連中の相手を想定した訓練も兼ねられると思ったのもある。俺は家族を護るために、もっと強くならねばいけないのだ。
「すみません。そのお金は受け取れません」
俺の発言に周囲がどよめく。憐れなスラムの孤児は、涙を流しながら金貨を受け取るとでも思ったのだろうか。
「忠告はありがたく受け取ります。でも、やっぱり自分たち家族だけの力で生き抜きたいんです。大丈夫、作戦は常にいのちをだいじにで行きますから」
俺は昔から装備品はその町で最高の物を揃え、エリクサーもラスボスまで取っておく派だしね。
「え? ……いえ、分かったわ。じゃあ、その言葉を信じるしかないわね」
フィーネさんは俺の言葉に一瞬だけキョトンとした後、少しばかり残念そうに微笑む。そんな彼女の横で、シャーリーがピコンと何か思い浮かべた顔をしながらニンマリと俺に笑いかけてきた。
「あ、そうだ。お前、なんか売れそうなもん知らねえか? 何かありそうだったら教えてくれよ。今、あたしたちはカッキテキな商品を探してんだよ。まだ見たこともない何か新しいモンだ。駄賃は弾むぜ」
「ちょっとシャーリー。そんなこと言っても、まだこの子には分からないわよ」
「いや、だけど子供って意外と突飛なアイデアを持ってるもんだぜ。それにくだらなくても、買い取るって形にすれば金だって受け取りやすいだろうさ」
「ま、まあそうだけど……」
そっか、フィーネさんは自分で行商人って名乗ってたな。冒険者であることは不本意みたいな発言もしていた。でも、今の言葉が確かなら、この世界にないものを俺ならいくつか提案できる。まだ、資本もツテもゼロである俺が持っていても意味のないアイデアも沢山ある。フィーネさんは善良そうな人だし、それで得た利益をちょろまかされるということは多分ないだろう。
「あ、リコちゃん。今のは気にしなくていいわ。少々突飛なことだったわね」
「あのっ、フィーネさん! もしそういったものがあったなら、いつお渡しできますか?」
俺の言葉にフィーネさんは少し面食らう。そして子供がその気になったのだと判断したのか、すこしばかり苦笑を含んだ表情であやすように頷いてみせる。内心では、すこし面倒なことになったとでも思っているのかもしれない。
「そうね。私たちも定期的にこのギルドには訪れているから、ギルドの受付に尋ねてもらえれば会えると思うわ」
「わかりました。そのときはお願いします。……それじゃ、今日はこのへんで失礼します」
フィーネさんにペコリと頭を下げると、俺は逃げるようにギルドを後にする。喧噪を後に外へ出ると、その解放感から深く溜息をついた。いい加減、衆目にさらされ続けてストレスがマッハだったのだ。昔からプレゼンとかで注目を集めるのも苦手だったんだよね。毎回、胃が痛くなったし。
でも、闇ギルドの情報以外にも思わぬ収穫があった。今度は色々考えてフィーネさんに会いにいかねばならないな。




