蝉はおやつにはいりますん
――ミーンミンミンミン。
強い日差しの下、太い木の幹に止まった蝉がけたたましく声をあげている。土の中で何年も暮らし、繁殖のため地上へ出て一週間ほどの時を過ごす儚い命。……うん、今年もまた会えたね――
「ほい、ゲットォ!」
しかして、現実は無慈悲である。そんな儚げな命は、木に登った一匹の残酷なる捕食者に捕らえられてしまうのだ。
「はい、エリス」
「う、うん……」
俺が未だブブブと振動する獲物をエリスに手渡すと、彼女はソレを受け取りつつズダ袋へと入れる。その袋の中では同様に捕らえられた同胞たちが、けたたましく振動していた。
「姉さん……。本当に、やるんですか……?」
浮かない表情で、そう俺に訴えかけてくるアレク。彼は周りをチラチラと気にしている様子だ。見ると身なりのいい一般街の子供たちが、キャッキャと指をさしてこちらを見ている。スラムには木が余りないからここへ来たが、どうやら俺たちは注目されているらしい。この国では、普通の家庭でも虫取りとかしないのかな?
「ああ、俺たちには動物性タンパン質が足りてないからな」
スラムには背中の曲がった子供を多くみる。ビタミン不足によるクル病というやつだろう。炭水化物と脂質だけの食事が身体に重大な健康被害をもたらしているのだ。それを踏まえて栄養バランスをしっかり考え食事をとり、お日様にも多く当たる必要がある。
「おいおい、お前ら何やってんの?」
そんな中、呆れたような声で俺たちに話しかけてくる一人の少年がいた。焦げ茶色で癖のある髪に、勝気で吊り目がちな瞳。それは以前に俺を助けてくれた少年、スタンだ。
「お、スタンじゃん」
「お前、リコか?」
スタンも俺のことを覚えてたのだろう、木に登った俺を呆れたような目で眺めている。
「さっきから、延々と蝉ばかり捕まえて何やってんだ? 一匹、二匹なら分かるけどよお」
「食べるんだよ。俺たちにはプロテインが不足してるからな」
「は? 笑えない冗談だな。尊厳を投げ捨てる罰ゲームか何かか? ぷろていん? ってなんだよ」
スタンが信じられないといった表情を浮かべる。そうだね、プロテインだね。……まあ、栄養学もまともにないだろうこの世界で、動物性タンパク質の重要性を子供が理解できる筈もないからな。仕方ない。
「姉さん、こいつは……」
木からスルスルと下りた俺に、アレクがそう問う。
「ああ、以前話しただろ」
「あの、スリの……」
アレクはあまりスタンに好意的ではなさそうだ。露骨に顔をしかめている。基本、この子は真面目ちゃんだからなあ。スタンはそんなアレクを気にした様子もなく、エリスの方へと視線を向けた。
「お前の妹、熱治まったのか」
「うん、おかげさまで」
「よかったな」
そういって屈託なく笑うスタンは、やはり悪い子には見えない。天性の明るさというやつだろうか。面倒見もよさそうだし、まともな家庭で育っていれば同年代の子たちを引き連れて陽気に遊んでいるタイプに見える。
「スタン君だねっ。私、エリス! お姉ちゃんから聞いたよ。盗られたお金を取り返してくれたって。ありがとねっ!」
エリスはアレクと違って拒否感はないのか、目を輝かせてスタンの両手を取る。
「お、おう。そう言ってもらえるならなによりだ」
スタンは、そんなエリスの屈託のない態度と笑顔に目を逸らしながら赤面している。まあ、男の子だからなあ。それに今のエリスは身だしなみとかも街の入り口でしっかり整えてるから、かなりの美少女だ。そんな子に手をぎゅっと握られて顔を近づけられたら、年頃の男の子は誰だってああなる。
「スタンは何をしてたの?」
「ああ、俺はノルマが終わったからチョイと散策をな。そしたら、わけわからん事してるお前たちの姿が見えたってわけだ」
そっかあ、ノルマって多分スリの事だろうなあ。そう俺が呑気に考えたとき、その言葉にアレクが突っかかる。
「ノルマ、ね。罪のない人から、金を奪い取ってきたのか」
今度はスタンも顔をアレクの方へと向けて挑発的な笑みを浮かべる。
「さっきから突っかかんね、お前。別にお前から盗んだわけじゃねえだろ」
「だが、それでも被害に遭った人たちが居ることに変わりはない。金持ちからしか盗らないと言っているが、盗んでいることに変わりはないだろう?」
「ハッ、そんな空論聞き飽きたぜ。だったら、どうやって食ってけばいいんだよ?」
そう、スタンは吐き捨てるように言う。その声にはハッキリとした怒りが込められており、少しばかりハラハラする。ゴロツキ相手の荒事は大分慣れたが、身内や知人の暴力沙汰は勘弁してもらいたい。……仕方ない、ここは家長として割って入らねば。
「ま、まあまあ二人とも。ほら、蝉もたくさん取れたし……ね?」
おずおずと言った俺の言葉は、二人の議論に掻き消されてしまう。
「それでも助け合って真っ当に生きてる人たちだっている。お前みたく誰もが安易に犯罪へ走るわけではないっ!」
「チィッ、このボンクラがあ……!」
まさに一触即発。スタンが拳を握りしめ、そんなスタンをアレクも強く睨みつける。そして互いに腰を低くし、臨戦態勢になった瞬間――
「喧嘩は駄目ッ‼」
二人の間にエリスが大声をあげながら割って入る。その剣幕にアレクもスタンも動きを止める。でかしたエリス。
「ふう、こんなところで無駄に労力を使う必要もねえな。じゃあな、リコ、エリス」
体から力が抜けたスタンは大きく息を一つ吐き出すと、背中越しに手を振りながら去っていこうとする。アレクはぶすっとした表情で、その背中を眺めていた。まあ、気に入らないのは仕方ない。アレクもまだまだ処世術の分からない子供なのだ。……でも、そこまで突っかかる必要があったのかなあ。
「あ、スタン。これから蝉パーティーなんだけど、良かったら一緒に食べない」
一応この前の恩もあるし、このまま帰すのも気まずい。しかし、スタンは黙って背中越しに一度手を振ると去っていってしまう。
それを見送った後、俺はアレクの様子を窺う。アレクも思うところがあるのだろう。困った犬のような表情となり、何かを聞きたそうに俺を見ていた。
「僕は間違えていますか?」
「ううん、間違えてはいないけど、正しさが全てじゃないとは思うよ。そうしないと食べていけない人たちがいるのは確かだと思うし、生き方をいきなり変えるっていうのも中々大変だしね」
特に小さな子供は、境遇を選ぶことはできない。そうして、そこで培った常識や道徳も変えることは難しいだろう。なら、どうしたらいいかとアレクが聞いてくるだろうと予想して色々答えを考えていたが、アレクはそれ以上何も言わず、じっと何かを考えているようだ。いや、子供の相手は想像以上に難しい。正直、大人だって答えを知ってるわけではないんだよね。
まあ、難しい話はここでしまいだ。十分な獲物は手に入ったのだから。宴の時間が、今始まる――
「よし、帰ってセミパしよっと。二人とも、そろそろ帰ろっか」
俺は二人へと声をかける。
「う、うん」
エリスは少しばかり戸惑った表情で、手にした袋を眺めている。アレクは何かを考えているのか、じっと俯いたまま黙っていた。
「リコの三分クッキーング!」
今日お作りするのは蝉の素揚げでございます。まず鍋で油を熱します。そして捕まえた蝉を取り出します。はい、ミーンミンミンっと。うーん、活きが良いですねぇ。それではこの蝉を――
「えいっ」
ジュ。パチパチパチ。ミーミミ……。
「はい、完成ッ!」
俺は手早く次々と蝉を揚げ、皿に乗せたあと塩を振る。この料理は実に簡単。夏には大量にいるし、蝉は樹液を吸うので糞の処理も不要なのだ。これぞまさしく昆虫食のエチュードやぁ! 俺も転生当初は大変お世話になった。ゴキブリが駄目な人でも、これならいける。是非お試しあれ。
「さあ、おあがりよ」
俺は二人に向かって、蝉の素揚げを突き出す。
「え、えぇ……」
「こ、これ本当に食べられるんですか?」
二人は半信半疑に蝉の素揚げを見る。
「食べてみればわかる、ってとこかなあ」
ドヤ顔で言い放つ俺に、二人は顔を見合わせる。中々覚悟ができないらしいので、俺は素揚げを一つ取ると自分の口の中へ放り込んだ。
「「あっ⁉」」
もぐもぐ、ごっくん。……うん、さっくりとした感触は小エビのから揚げのようだ。肉も意外と詰まっていて食べ応えがある。塩のシンプルな味付けが、素材本来の味を活かしながら旨味も最大限に引き出しているな。これはキンキンに冷えたビールが欲しくなる。
「うん、美味いっ!」
そんな俺を見て、再び顔を見合わせる二人。最初に動いたのはエリスだった。
「じゃあ、私も。……えいっ!」
エリスは目をギュッと閉じ、パクッと蝉に食いついた。そのままシャクシャク咀嚼してから飲み込むと、目を見開いて感嘆の声をあげる。
「うそ、美味しい……。お兄ちゃんも食べてみなよ!」
「う、うん……」
エリスが食べた手前、逃げられなくなったアレクも蝉を口にする。そして、エリス同様のリアクション。
「……確かに。姉さん、これ食べられます!」
ふふん、そうだろ、そうだろ。なにしろ蝉はローカロリー高たんぱく。アミノ酸も豊富だ。夏はこれからも続く。しばらくは食べられるだろう。来るべき食糧難に備え、昆虫食にも親しんでおくのは決して悪いことじゃないよね。
こうして、俺たちは蝉という夏の味覚を存分に堪能したのだった。




