スリの少年
太陽がサンサンと降り注ぎ俺の肌を焼いていく。蝉も長い眠りから覚めると伴侶を求め、けたたましく鳴いていた。上を見上げると、どこまでも深く青い空の合間を白い雲が悠々と漂っている。
「……あちい」
アレクとエリスに出会ってから三ヶ月が過ぎた。俺たちは、あれからも仲良く共に暮らしている。三人分の糧が必要となり多少生活は苦しくなったが、それでもなんとかやれてはいる。
「ふう」
一般街に入り少ししたところで、木陰に入って休憩を取る。そして、俺は道行く人たちを眺めながら、ふと前世での夏を思い出す。炎天下の中で歩き回り、涼を求めてコンビニに立ち寄ったときの至福といったら……。それを思い出しただけで、俺は陶然とした気分に襲われる。……アイスコーヒーを飲んで、アイスとか食いたいなあ。エアコンもない中で、この世界の人たちはよく頑張っていると思うよ、ホント。まあ、この世界の夏はあちらほど熱くはないけどね。コンクリートもビルもないし。
「さて、行くか。お金は……うん、オッケイ!」
俺は懐より包みを取り出し、中の硬貨を数える。あまり、のんびりしている暇はない。今日、街へと来たのはエリスに滋養のある物を食べさせるためだ。数日前、エリスが高熱を出した。アレクが言うには、エリスは定期的に高熱に襲われる体質なのだという。だが、医療の発達していないこの世界で熱を放置するのは怖い。医者にかかれる人なら良いが、そんな金など俺たちには無い。それに、この国の医療がどの程度発達しているのかも分からない。神官の奇跡ということも考えたが、以前神殿の炊き出しのときに、病気を治せる奇跡というものは存在しないと聞いた。何故だか知らないが、そうなっているのだと神官の人は言っていた。
だからこそ、栄養が物を言う。そして、やっぱり熱にはアレしかない。なので、とりあえず卵と牛乳だけは買うつもりだ。大量生産の体制が整っていないためか、その二つは非常に高級な食材である。そのコスト故に俺も数えたぐらいしか作っていないが、今日はエリスのためになけなしの貯蓄を持ってきた。三人となってから、あまり貯蓄はできていない。それでも細々とは貯めているのだ。やっぱり、いざというときに貯蓄をしていると助かる。
「よし、まずは牛乳からいくか……うわっ!」
牛乳売りの下へ行こうと歩き出したとき、突如横から小走りに歩いてきた少年とぶつかってしまう。踏ん張り切れず、俺は尻もちをつく。
「チッ、気をつけろ!」
俺にぶつかった少年は舌打ちすると、早々に立ち去ってしまう。……なんだアレ、態度悪いなあ。普通、こんなところでぶつからないだろう。身なりもよくないし、俺と同じスラムからの出稼ぎ組かもしれない。しかし、腹を立てていてもしょうがない。こうしている間にもエリスは熱で苦しんでいるのだ。俺は気分を切り替え、再び牛乳売りの下へと行く。……お、いたいた。その姿が見えたところで懐に手を入れ、金の準備をしようとしたとき違和感に気付いた。――先ほどまであった包みがない。
「……え?」
まさか落としたのか……? 血の気がサアッと引いていく。いや、わざわざ懐に縫い付けたポケットにしっかりと入れていたのだ。落とすのは考えにくい。それに、仮に落としたとしても、今の俺なら金を落とせば絶対その音に気付くだろう。イヤホンで音楽を聴いているわけでもないのだから。
「おい、そこのポンコツ女」
焦りながら何度も懐をまさぐっていると、唐突に背後から声をかけられる。急いで振り向くと、そこには少しばかり癖のある焦げ茶色の髪をした勝気そうな目つきの少年がいた。その少年は、ニヤニヤと挑発的な笑みを浮かべて俺を見ている。
「……何?」
ナンパとは言わないが、自分の容貌に惹きつけられて来たのだろうか。さすがにまだ大人には声をかけられないが、年の近い少年だと時折、そういった手合いのマセガキがちょっかいを出してくることがある。……まったく、今はそれどころじゃないというのに。俺が邪険そうに答えるも少年は気にしていないのか、ニヤニヤ笑いを崩さぬまま上着のポケットから一つの包みを取り出した。
「あっ!」
「お前、スラれてたぜ。ほらよ」
少年は包みをこちらへと放り投げる。胸元へまっすぐ投げられた包みを受け取ると、急いで中身を数える。うん、ぴったしある。……よかった。これでエリスのために食材を買ってやれる。
「ありがとう。まさか、スリに遭ってたなんて……」
ぶつかったあの時に盗られていたのだろう。映画なんかではよくあるけど、全く気付かなかった。スリってすげえな。
「お前みたいなチビが木陰でのんびり金を数えてたら、そりゃ目をつけられるさ」
「……あのときか」
人目には注意していた筈なんだけど、まさか見られているとは思いもしなかった。一人の時はこんな事はなかったが、今は少しだけ自分の中で警戒心が緩んできているのかもしれない。家長として、もっと気をつけねば……。
「でも、本当にありがとう。これで熱を出してる妹に栄養のあるものを買ってあげられるよ」
その俺の言葉に、少年は少しだけ複雑そうな表情を浮かべる。だが、すぐさまフッと表情を緩ませた。
「お前、妹がいんのか。……姉弟ってのは大事だからなあ。つーか姉貴なんだったら、もっとしっかりしないと駄目だぞ」
「うー、面目ない……」
精神は大人の男である俺は、まだ子供といえる年齢の少年に説教を喰らい少しへこむ。だが、窮地を助けてもらった身としては何も言えない。猛省するのみである。
「でも、どうやって取り返してくれたの? もしかして喧嘩とかになってない?」
曲がりなりにも相手は、犯罪を平気で行う相手だ。恩人に何らかの遺恨を残してしまっていたら申し訳ない。それに、あの少年は俺たちよりも3、4ほど年上の相手だ。もし喧嘩になったら、目の前の少年では分が悪いだろう。
「別になんともなってねえよ。あいつだって、なんにも気付いてないと思うぜ。後で盗んだはずの金がポケットにないって、お前みたいに慌てふためくだろうけどな」
「えっ、それって……?」
「ああ、俺があいつからスリ返したんだよ。あいつのスリグループとは仲が悪くてな」
どうやら、この少年もスリらしい。助けられた身としては、なんとなく複雑な気分になる。まあ、あのスラムでまっとうに生きている者のほうが少数派なのだが。
「でもなんで、それを俺に返してくれるの?」
スリならば、そのままがめてしまえばいいだろうに。
「俺……? 女なのに変な言葉遣いする奴だなぁ、お前。まあ、俺は弱い奴や貧しい奴からは盗らねえ主義なんだ。盗るのは金持ちだけさ。それに、盗った後も馬車代だけは残して財布にコッソリ返してやるんだぜ。言ってみれば、俺は真っ当なスリってやつだな」
誇らしそうに少年は胸を張ってみせる。真っ当も何も盗んでることには変わりないが、少年にはそれが誇れる矜持となっているのだろう。正論を吐くのは容易いが、それで何かが変わるわけではない。少年の生活に、責任をとれない俺には何も言う資格などなかった。でも、彼には正義感があるだけ少しばかり惜しい気がする。ちょっとばかし少年に興味が湧いたため、ステータスを覗き見てみた。
【スタン】
種族 :人間
性別 :男性
年齢 : 9歳
HP : 62
MP : 16
力 : 40
防御 : 32
魔力 : 30
早さ : 74
器用さ:162
知力 : 40
魅力 : 63
武器適性
剣 :A
槍 :B
斧 :B
弓 :A
格闘:A
杖 :B
魔力適性
火 :B
水 :B
土 :C
風 :A
ステータスこそアレクに及ばないけど、この年齢の子供にしてはかなり高い。それに器用さが3桁に達しているのは凄いな。加護こそないものの、全部の適性がかなり高い。なんでもこなせるオールラウンダータイプってやつだな。
「そうだ、君の名前は? 俺はリコ。スラムに住んでるんだ」
もう知ってはいるが、一応尋ねる。助けてくれた恩もあるし、名前すら聞かないのは非礼にあたるだろう。それに今は予算ギリギリだから無理だが、もし今度会ったときに何かお礼をしたい。
「まあ顔はともかく、そのボロイみてくれならそうだろうな。俺はスタンだ。俺もスラムにあるスリのグループに所属してる。まっ、またスリにでも遭ったら言ってくれていいぜ。相手に気付かれることなく取り返してやるからよ」
そう言って笑うスタンは、作ったようなワルっぽい態度と違い年相応の人懐こさがある。ルックスこそザ・美少年のアレクには及ばないが整っており、十分イケメンの部類だろう。学校のクラスに一人はいる、イケメン陽キャってタイプだな。
「じゃあな。もう盗まれるんじゃねーぞ、ポンコツ」
振り向くことなく、背中越しに手を振りながらスタンは去っていく。うーん、このボーイ気取ってやがる。でも、不思議と嫌な気はしないな。まあ、実際助けられたし言動こそアレだが、威圧的な態度は全くなかった。根が善良なのだろう。懐に余裕があるときに会ったら、串焼きでも奢ってやるか。
まあ、それはまた会えたらの話かな。スラムのグループは内ゲバも多いし、また次も会えるという保証などはない。だからこそ、他人にかまけるよりも家族を護らなければならないのだ。……おっと、早くエリスに滋養のある料理を食べさせてやらないと。ああ、金が戻ってきて本当によかったぁ。
主人公たちの年齢を話の都合上、2歳上へと変更しました。




