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天眼の聖女 ~いつか導くSランク~  作者: 編理大河
ポンコツ家長とスリ少年
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追憶


「いい、よく聞きなさい弟よ!」


 砕かれた麦粉を水でこね回して朝食にしようとしていた少年は、突然立ち上がって自分へ呼びかけてきた姉を平然と眺める。この激情家な姉の奇行は、今に始まったことではなかった。


「私たち姉弟は、この辛く苦しい世間に二人きりで投げ出されてしまった。毎日身を粉にして働き、それでも得られる日々の糧はごく僅か。だが、しかーし!」


 詩を吟ずるかのように胸に手を当て、陶酔しながら姉は語る。姉の言う通り、少年は姉と二人きりであった。母親は少年を産み、ほどなくして死んだ。そして、その死に荒れた父親は酒におぼれて姉弟へ暴力を振るい、そして一年前に突然いなくなってしまった。現在7歳となる少年は、9歳年の離れた姉に養われて生きている。寝泊まりだけで精いっぱいの小さな集合住宅に、二人きりで暮らしていた。

 少年は苦笑しながらも、姉の話に真剣に耳を傾ける。姉の突然の語りは嫌いではなく、むしろ好きな方だ。何故なら、こうして自分に何かを諭すように語るときの姉は、ただ自分のみをまっすぐに見つめてくれる。まだ幼く何もできない自分だが、この時だけは姉に必要とされているのだと感じられるのだ。


「それでも私たち姉弟はまっとうに生きる。まっとうに! そう、胸を張ってね。貧苦や自身の不幸を言い訳にして他人を傷つける輩もいるけれど、それは決して行っては駄目なの。正しい想いに正しい心、それさえ持てば神様たちとだって幸福を競い合えるのッ! ならぬものはならないのよっ! そう法神様も説いておられるわ!」


 姉は法神の教義が好きで、よく少年を連れて説法に行っていた。正直、少年はそれほど教義には納得できていないのだが、目を輝かせて教義を聞く姉の顔は好きだった。だから少年は、特に何も言わずに毎回説法へ付いて行くことにしていた。


「熱弁はいいけど、もうそろそろ工場が始まる時間じゃないの?」

「ハッ、そうだったわ!」


 滔々と自身の想いを垂れる姉の言葉を、気の済むまで聞いてやりたい気持ちもあった。だが、それで姉が職場に遅れて現場監督からどやされるのはお断りだった。何故なら、どんよりとした姉の愚痴を延々と聞く羽目になるからだ。


「はい、これ」


 少年は自身のこねた麦粉を姉へと差し出す。姉は熱弁を重ねていたため、いまだ木皿の上の麦粉には水すら垂らされていない。


「おお、ありがとう弟よ。……うん、美味い! やっぱ、アンタは手先が器用ね。私がこねるより何倍も美味いわ」

「大げさだよ。ただこねただけだって」


 姉はせっかちだから、よく混ぜ切らない内に食べてしまうので不味く感じるのだろう。麦粉はよく混ぜないと、固くザリザリとした感触が残って口に痛いのだ。だが、元よりこの朝食はどんなに工夫しても大して美味くはならないのだけれど。


「やっぱ、あんたはそれを活かした職につくのがいいかもね。……そうねえ、奇術師とか?」

「えー、確かに手品は少しできるけど、俺はどっちかと言ったら冒険者の方が憧れるなあ。罠とかトラップとか解除したり? 一流の冒険者って稼げるみたい。貴族みたいな生活してるんだって」

「むー、私は冒険者は反対よ。大事なのは何より命だしね。もし大事な弟が死んじゃったら、悲しくて生きていけないわ。まあ、確かに奇術師は安定がなさすぎるわね。それじゃ、宝石の鑑定師とかどうかしら?」

「むむ」


 少年としては冒険者にでもなってガンガン稼ぎ、姉に楽をさせてやりたいが故の発言なのだ。だが、目の前の姉はこちらの胸中を一切察することなく、自身の要望を押し付けてくる。自分の身を案じてくれているというのは解るが、少年も自分のことを男だと自認している。今は幼過ぎるが故に無理だが、将来は姉に苦労をさせず養ってやりたいという思いがあった。

 姉は日が昇ると共に工場へ出かけ、日が暮れると共に帰ってくる。それを一年を通して、ずっと続けていた。姉には休みなど存在しないのだ。そして少年は、その苦労が自分のためだと知っていた。何故なら、姉が最近さんざん自分に学校へ通えと言ってくるからだ。しかし、それにどれだけの金が掛かるかというのは分からない。だが、今の姉にとても厳しい条件であることは少年にも理解できた。しかし、それを断れば姉は傷つくだろうし、ただ黙って受け入れるのも姉に労を強いてしまう。少年は動くに動けぬもどかしい立場であった。


「まあ、今は学校に通うことが第一優先ね。キチっと稼いで、あんたを学校に入れてあげるから。ああ、もう行かなくちゃ。……あ、そうだ。今日は帰りが少し遅れるけど、ちゃんといい子にしてるのよ? ふふふ、良い子にしてたら凄い良いことがあるかもしれないわよぉ!」


 わざとらしく両手を手に当て、プススと笑う姉。その挑発に少年は負け、つい姉の意図していることを言ってしまう。


「知ってる。だって、今日は俺の誕生日でしょ」

「ガーン! 去年はドタバタしてて出来なかったけど、覚えてたの? むー、サプライズしようと思ってたのにぃ……」


 その姉の落ち込みようを見て、少年は少しばかり後悔する。そして、なんとか励まそうと飾らずに内心を吐露してしまう。


「別にサプライズなんて必要ないよ。……俺、姉貴といられるだけで幸せだし。姉貴も、あんまり無理しないでほしい。体を壊さないか心配だよ」

「おおっ、弟よッ!」


 姉は感極まり少年へと抱き着く。


「今夜は奮発しよう。上等なパンを買って、お肉なんかも買っちゃおう!」

「ちょ、やめてよっ。苦しいよ!」


 少年は抱き着く姉を必死に突き放す。


「よーしっ、今日はいっぱい頑張っちゃうぞお。それでは弟よ、留守番はよろしくねっ! ちゃんと、お勉強もするのよっ」


 姉は、俄然やる気が出たとばかりに勢いこんで外へと出かけようとする。そんな姉に、少年は一つの懸念を伝える。


「姉貴っ! 最近は物騒だから、帰り道には気を付けてね」

「ふふっ、おませさんね。いったい、どこでそんなことを聞いたのかなぁ?」

「なっ、茶化すなよっ! 隣のおばさんが言ってたんだって。最近襲われる女性が多いって」


 姉のからかいに、顔を真っ赤にしながら答える少年。そして姉は優しく微笑むと、少年の頭に手を乗せる。


「大丈夫よ。あなたを一人になんてさせないから。去年は出来なかった誕生日、今年こそは盛大にやりましょう。だから、それまでいい子にして待っててね?」

「うん、待ってる」


 姉が出ていくのを、少年は手を振って見送る。その胸に、不安などは一切なかった。ただ貧しくも満ち足りた今が、どこまでも続くと信じていた。



 









 

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