護るべきもの
ブツリ、と体の中で音が鳴る。全身を冷たい衝撃が走る。強制的に見開かれた視界。その横目に見えたのは、俺の肩口に根本まで刺さるナイフだった。それが9歳の幼い身体に、肺まで到達するほど深く刺さってしまっている。それを知覚した瞬間、そこから灼熱ともいえる熱さが全身へと広がった。
「いやあああああああああああああ」
エリスの悲鳴が随分と遠くから聞こえる。……ああ、これは致命傷だなあ。不思議と事実を冷静に受け止められる自分がいた。痛いのか、重いのか、よく分からない感覚が断続的に俺を襲う。
「……へ、へへ、へへっ」
目の前には薄汚いゴロツキの顔があった。引き攣った顔で笑っている。自分の行動に驚いている様子だ。……そんな生半可な覚悟で、俺を――
「ぁに、笑ってやがる」
体の中に残っている力を全て振り絞り魔力へ変換して、俺はゴロツキの顔を鷲掴みにする。そして、その顔を怒りの赴くまま炎で焼いた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアア」
炎の熱さで大仰にのけ反るゴロツキ。それと同時に刺さっていたナイフが俺から引き抜かれ、そこから噴水のように血が噴出する。ゴロツキは顔を押さえたまま駆け出し、途中で壁などに盛大にぶつかりながら路地裏へと消えていった。
「ハッ、ざまあみや……」
しかし、嘲笑は最後まで言えずに俺の視界は暗転する。ふいに全身を襲う浮遊感。それが収まったとき、眼の前にはアレクの顔があった。どうやら背中を支えてくれているらしい。地面に倒れこむ直前、助けられたのだろう。
「リコ、しっかりして‼ ……ああ、こうなりたくなかったのに、どうして……」
掠れた声で俺を心配するアレク。……ごめんな、こんな結末になって。ああ、でもこれって刑事ドラマかなんかのクライマックスであったなあ。犯人の拳銃とかナイフを弾き飛ばすのに拾わず放置して、最後のシーンで仲間と談笑してるとき再び凶器を拾った犯人にヤられちゃうやつ。それを見るたび俺は「なにやっとんねん」と突っ込んでたが、まさか自分がそれをやってしまうとは。これは是非とも、来世での教訓にしなければ。
「アレ、ク……ひみ、つ……き、ちは」
秘密基地は二人の好きにしていい。そう伝えようとしたとき、喉から温かなものが逆流してゴボリと零れ落ちた。どうやら俺は吐血したらしい。やはり、ナイフは肺にまで達していたようだ。ズキン、ズキンと肩口から響く鈍い痛みも、泣き出したくなるくらいに強くなってきている。
「……ご、めん」
意識が段々と、ぼんやりしてきた。もう考えることすらしんどい。……アレク、エリス、格好つけたのに護りきれなくてごめんね。リコ、今の自分。こんなところで命を散らして、申し訳ない。できれば、もっと愛情に囲まれた華やかな人生を送らせてあげたかった。……ああ、もう、限界だ。手足の感覚すらない。せめて、せめて最後は二人に別れを告げたい。
「ア、レク……エリ……」
「リコッ、死なないでっ……! エリスッ! 何をやってるんだ⁉ 早くリコの傷口を抑えるんだ‼ 手伝って‼」
アレクの懸命な叫びに、エリスのおかしな様子に気付く。先ほどまで顔面蒼白でアレクの背後に立っていたが、今は少し離れた場所で一人そらを見上げブツブツと呟いている。まだ小さい女の子に、この光景は辛かったのかもしれない。本当に、ごめんね……。
いよいよ痛みすら感じなくなってきた。全身を包む心地よい浮遊感の中、俺は深い眠りにも似た感覚に身を任せていた。そして、どんどん意識は希薄になっていく。このまま死んでしまったら、また次も転生するのだろうか。――そんな俺の耳に、エリスの声が明瞭に聞こえた。
「お兄ちゃん、どいて。――私がリコちゃんを助ける」
その声は間違いなくエリスのものであった。今までのふわふわした話し方とは違う、毅然とした口調だ。こんな凛とした話し方もできる子だったのか……。
「助けるって、いったい何を⁉」
「いいから。今は時間がないの」
エリスは強引にアレクを押しのけると、俺の頬にそっと手を添える。霞んだ視界の中、不思議とその姿が光り輝いてみえた。
「エ、リ……」
「ありがとうね、リコちゃん。……今度は、私が助ける番だよ」
そっと俺の頭を地面へ下ろすと、エリスは両の手を前へ組んで厳かに言葉を紡ぎ始める。
「――豊穣の神よ。今生はあなた様の教えを篝火とし、歩んでいくことを誓います。あなた様が説いた真理の輪を、私もまた生涯回します。どうか卑小なる我が身に、御身の偉大なる奇跡をお授けください」
言葉を紡ぎ終わった瞬間、エリスの組む両手の隙間から光が零れ出す。そして、その光は俺の体へと降り注ぐ。……あったけえ、痛みも嘘みたいに引いてきた。これが……奇跡か。確かにエリスは大地母神の加護を得ていた。だが、まさか修練を得ずに奇跡を行使できるとは。やはり、エリスは愛し子というやつなのか……。
「リコちゃん、もう大丈夫だよ」
「……うん、ありがとうエリス」
「リコちゃんっ!」
微笑みかけるエリスに、俺は礼を言う。するとエリスは、ガバッと俺に抱き着いてきた。……その温かさが、血を失い冷えている俺の体には嬉しかった。
いまので、傷はすっかりと治ったみたいだ。痛みも完全に引いている。しかし、失った血などは回復していないのか、少しばかりクラクラする。だが、それでも生の充足を実感できるほどに俺は癒されていた。
「今のって……⁉」
奇跡を目の当たりにしたアレクは、信じられないと驚愕していた。まあ、その気持ちは俺も一緒だ。まさか、こんな土壇場の土壇場で九死に一生を得ることができるとは思わなかった。これぞまさしく、イヤボーンってやつだね。ピンチにイヤアアアアアアってなった時に、ボーンと秘められた力が目覚めるんだ。……うーん、加護ってやつは本当にチートだなあ。
エリスに支えられながら、俺は体を起こす。そして未だ信じられないという表情のアレクに、思わずクスリとしてしまう。アレクは優秀だが、イレギュラーには弱いタイプらしい。
「ねえ、アレク」
「リ、リコ……。もう、本当に大丈夫なの……?」
「うん。……で、どうかな。早速、助け合えたでしょ? だから……えっと、これからもさ、みんなでこうしていけると思うんだけど、どうかな……?」
まだ、死から生還できたという実感はあまり湧かない。ちょっとぼんやりした気分だ。でも、それでも今すぐこの気持ちを伝えたかった。そのために、俺はここまで来たんだから。
「……ハハ。うん、そうだね……」
アレクは瞳に涙を浮かべながら笑うと、俺にギュッと抱き着いてきた。よほど心配したのだろう。危うく、優しいこの子が危惧していたとおりの結末になってしまうところだった。今後は、もっと強くなって心配をかけないようにしなければ。これからは、家族として共に生きていくのだから。そんな想いを胸に刻みながら、アレクの黒髪をそっと撫でる。
「あー! お兄ちゃんばっかりずるいっ! 私もっ!」
エリスが、俺とアレクの首に手を回しながら抱擁に加わる。そうして俺たちは、その場で暫く互いの存在を確かめ合っていた。
「ふわぁ、帰ってこれたぁ……」
アレクとエリスを連れて秘密基地へと帰った俺は、二人と共にベッドへと倒れ込む。この世から一度オサラバしかけた後のマイホームは、まさに桃源郷といっていい。倒れ込んだ瞬間、凄まじい睡魔が襲ってきた。いくら癒しの奇跡を受けたとはいえ疲労自体は回復しないし、失った血も取り戻せないようだ。いまだクラクラする中、健やかな寝息が両隣から聞こえてくる。左右を見ると、アレクとエリスも既に夢の中の住人となっていた。あどけない寝顔を俺の前に晒している。
「……今日は疲れたもんね」
アレクも結構な怪我を負っていたため、あの後エリスの加護で傷を癒していた。大したことはないと強がったが、頭を怪我していたから俺が強引に説き伏せたのだ。頭の怪我は怖いからね。エリスも授かって早々に二度も奇跡を行使したせいか、秘密基地へ着く前にウトウトしはじめた。そこからエリスは、俺とアレクに肩を支えられながら何とかここまで来ていた。
「はあ、でも今日は頑張ったなあ」
アレクも、エリスも、そして俺も。敵を倒したのもそうだが、こんなに感情を他人に伝えたことが前世ではなかった。でも、そのおかげで今、この空間に俺以外の存在が安らかに眠っているのだ。流されるまま社会というシステムに乗っかり、全自動でも生きていけた前世の世界。だが、この世界では己の力で道を切り開いていかねばならない。でも、きっと頑張れる。なぜなら俺は、前世では得られなかった護るべきものを漸く手に入れる事ができたのだから。
そして二人の呼吸を聞きながら、俺は安らかな気持ちで眠りへとついた。




