日頃の行いがいいからかな
あまり戦いを長引かせたくない。幼児の体力で長丁場は不利だ。なので、今度はこちらから仕掛ける。
「いけっ‼」
小さな呼吸を鋭く吐き、複数の風の刃をほぼ同時にドリスへと放った。
「チィ⁉」
だが、ドリスもさすがと言うべきか。眼にも止まらぬ連撃で風の刃を悉くいなす。でも、防がれることは織り込み済みだ。なので、一撃一撃は非常に軽いものとなっている。その分、速度は増しているが。これで、一発でも有効打が入れば……。
「舐めんなァ!」
しかし、そう都合よくはいかないらしい。ドリスは敢えて風の刃に身をさらしながら、こちらへと少しずつ前進してくる。風の刃はドリスの腕や足を軽く切り裂くが、どれも致命傷には到底至らない。本当に危ない風の刃のみ見極めて叩き斬ると、こちらへ駆け出してきた。
「ガキがァ‼」
ドリスは跳躍し、あっという間に俺へと距離を詰めてくる。想像以上に速く、これでは迎撃する暇がない。
「くそっ」
俺は咄嗟に焔を作り、迫りくるドリスへと放つ。空中に放射された焔は、周囲を真っ赤に染める。威力はないが、これなら俺の姿も見辛いはず。
「コケ脅しが効くかッ!」
視界を遮られたドリスは、焔ごと俺のいた場所を叩き斬る。その斬撃は焔を断った後、咄嗟に横へ跳んだ俺の足を掠めた。ピリッとした鋭い痛みが足に走る。だが、もし炎幕を張らなければ足ごと切断されていたかもしれない。危ないところだった。しかし、依然として危機を脱せてはいない。ゴロリと転がりながら起き上がった俺は、相手と距離を取るために背中を向けながら遠く目掛けて全力で駆けだした。
「背中がガラ空きだぜえ!」
ドリスが追撃してこようとする気配がした。攻撃の前後によくしゃべる奴だと思いながら、俺は背後に土魔法を行使して土壁を生成した。これで何とか追撃は防げるはず。
「なあっ⁉」
期待通りにドリスから驚愕の声が聞こえる。距離を取り振り返ると、地面よりそびえ立つ土壁の横からゆっくりと姿を表すドリスの姿があった。……その表情を見て、俺の背筋に寒気が走る。おちゃらけた様子は影を潜め、ただ憎悪のみを目に浮かばせたドリスがこちらを見ていた。
「驚いたぞ。あらゆる属性を使いこなし、魔力の量も半端じゃねえ。ここまでだとはホントに思わなかった。こりゃあ、手を抜いたら死ぬのは俺だな。……だから、もう遊びはしまいだ。ここからは全力で行かせてもらうぜ」
マジかよ! まだ全力じゃないのか⁉ こっちは結構限界が近いってのに。正直、心臓は破裂しそうなほど激しく鼓動している。もし自分一人であったなら、あらゆる手段を使って逃げ出したいところだ。
「リコッ!」
「リコちゃんッ!」
でも、それだけは絶対にできない。遠くから心配そうに見ているアレクとエリス。俺が今ここから逃げ出せば、待っているのは間違いなくバッドエンドだろう。……だからこそ、目の前のコイツは刺し違えても倒さねばならない。
「……行くぞ」
ドリスはそう言うと、驕りを消すかのように体を捻り剣を構える。そして深く呼吸をし、整えた。それが終わった瞬間、再び弾けるように俺へと向かってくる。
「ッ!」
俺も風の刃で迎撃する。だが、ドリスは先ほどよりも小さい動きで風の刃を躱していく。風の刃は浅からぬ程度にドリスを切り裂くが、一向に意に介した様子もなく俺へと向かってくる。このまま立ち止まっていたら、今度は本当に斬られてしまうだろう。
俺は逃げるように駆け出しながら、ドリスの前方に土壁を作る。ドリスは速度を落とさず体を地面すれすれに傾け、最短距離でそれを迂回する。
「そこだッ!」
それを狙い撃ち、俺はドリスの進行方向に再度魔法を撃ち込む。だが、それは相手も読んでいたのだろう。ドリスはすかさず剣でそれを叩き斬り、俺へと近づいてくる。俺は再び魔法を連射しつつドリスから距離を取り、土壁の障害物で時間を稼ぐ。それから何度か似たような攻防を繰り返したが、この攻勢でドリスも一気に俺を仕留めようと思っているのだろう。一向に攻撃を止める気配はない。ドリスの全身はかなり傷ついているが、いまだに致命傷は一つも無かった。
そして幾度かの攻防の末、ついにその均衡が崩れた。ドリスは図っていたかのように風の刃を肩口でわざと受け、そのまま滑るようにしてこちらへと接近する。肩口からは鮮血が飛び散るが、まるで気にした様子もなく凄まじい勢いで迫ってくる。これは間に合わないっ⁉
「終わりだああああああ‼」
一気に距離をつめようとドリスが跳躍する。そのスピードにこれは駄目かと冷や汗が出た瞬間、視線の先にアレクとエリスの姿を捉えた。……そうだ、まだ俺は諦めるわけにはいかない‼
「まだだああああああああああ‼」
薄くても脆くても構わない。この攻撃を一瞬だけでも防ぐ。死の恐怖からか突如として研ぎ澄まされた感覚の中、俺は自分とドリスの間に土壁を造ろうと瞬時に魔力をこめる。耐久性などお構いなしの、その場を凌ぐためだけの魔法の行使。勢いよく伸びた土壁は薄いながらも凄まじい勢いでそびえ立ち、そして――
「え?」
「おおおオオおォオオオオんんンンンッ⁉」
跳躍して俺に飛び掛かろうとしたドリスの真下より生えた土壁は、ピンポイントにその股間へ突き刺さると勢いよくドリスを上空に跳ね上げた。凄まじい絶叫を放つドリス。空中で、もんどりうちながら地面へと墜落する。落ちてきたドリスは白目を剥き、口から泡を吹きながら全身を痙攣させていた。その股間からは、赤色の混じる染みが広がっていた。俺は何があっても対応できるように警戒を解かなかったが、ドリスはひたすら地面を転げまわるだけで一向に起き上がる気配はない。
「えっ、マジか……?」
偶然ともいえる勝利。結果的にはドリスを倒し、勝利したということになるのだろうか。しかし、激闘とも思えた戦いの結末がコレとは……。まあ、負けてたら殺されてたし、これも日頃の行いが良いからかな。戦闘能力が残ってないか確かめるべく、俺はドリスへと慎重に近づく。その足音を察したのだろう。ドリスは体を跳ね起こし、俺への警戒をあらわにする。
「く、来るなァ⁉ 来るんじゃねえ⁉」
恐怖と痛みに涙を流し、内股で掌をつき出すドリス。小鹿のように下半身がプルプルしている。どうやら戦闘継続能力はなさそうだ。……ならば、ここで一気に畳みかけよう。
「この子たちに二度と手を出すなっ‼ もし、また手を出したなら……潰すぞ」
色んな意味でな。
「ヒィ⁉ わ、わかった。わかったから……勘弁してくれええ!」
男の象徴を潰されたからだろうか、ドリスは恐怖を顔に貼りつかせながら小走りで逃げ出していく。正直トドメをさそうかとも思ったが、アレクやエリスの前で人を殺すのは躊躇われた。
「リコ……」
「リコちゃん……」
戦闘が終わり静まり返ったなか、二人が俺へと駆け寄ってくる。俺はゼエゼエと呼吸を荒くしながらも、仮面を外して二人を出迎えた。ドリスとの戦いで疲労困憊であったが、ここからが真の本番だ。二人に俺の本当の気持ちを伝えなければ。
「……よかった、二人とも無事で」
「どうして……」
泣きそうな顔でアレクが俺をみる。エリスも同様に泣きそうな顔だ。そこには、助けてもらった嬉しさよりも複雑な感情がみられる。実の母親から見捨てられ、ここに流れてきた兄妹。俺に迷惑を掛けたくないと、二人だけで再び過酷なスラムへ戻ったアレクとエリス。……でも、その障害は俺が排除した。
「もう外も真っ暗だし、家に帰ろう。二人ともお腹空いたでしょ?」
「でも……」
それでもアレクは戸惑う表情を見せる。今その手を強引に引いても、これではまた算段のないまま兄妹で外へと出ていってしまうかもしれない。それが二人の本当の意思であり、ここで生きていけるのであれば俺はそれでも構わない。でもこのままでは二人とも、このスラムという魔境に骨までしゃぶりつくされてしまうだろう。そうなるくらいなら、せめて独り立ちできるまでは俺の下で庇護したい。たとえそれが、俺のエゴであっても。
だが、それを説明しても俺を含めた三人とも恐らく納得はできないだろう。それが前世の38年間プラス、今生での9年間を生きた俺には分かる。ここで大切なのは、お互いが抱いている本当の気持ちであると。
「だって、アレクとエリスがいないと寂しいから。あの秘密基地、無駄に広いしね。だから、二人には帰ってきてほしいんだ。一人より三人の方が助け合えるし、きっと楽しいよ」
「リコちゃん……」
エリスが、その言葉を聞いて心底嬉しそうに笑ってくれる。
「僕たちはリコに何度も助けられた。……だけど、僕たちじゃリコを助けることはできないよ」
しかし、まだアレクは納得できないようだ。彼は自立心が高い分、俺と対等な関係でないことに納得できないらしい。べつに中身はアラフォーおっさんだし、子供になら甘えてもらって一向に構わないんだけどなあ……。きっと、俺の幼い外見が邪魔をしているのだろう。
「うん、確かに今はそうだね」
「なら」
「でも、きっと未来は違うよ。アレクは大きくなったとき、きっと凄い男になれる。エリスだって、きっと凄い子になる。だから、そうなるまでは俺がアレクとエリスを護る。そうして二人が大きくなったら、その時に俺を助けてくれればいい。そうすれば、きっと将来に互いを助け合える関係になれると思う」
二人とも加護持ちだし、俺も結構魔法の才能があると思う。さっきドリスを倒して確信したね。将来俺たちは凄腕の冒険者なんかになっちゃって、剣聖アレクに聖女エリス、そして魔法を極めし根源の魔女リコなんて呼ばれるようになるかもしれない。
「将来、僕がリコを? ……でも、本当にそれでいいの? 僕たちは家族でもないのに……」
「お兄ちゃん……」
家族か。やはりアレクやエリスの中では、父親を失い母親から見捨てられたことがトラウマになっているのだろう。だけど、それは二人だけじゃない。ここに捨てられた子供たちは皆、きっと心に同じ傷を負っているのかもしれない。だからこそ凄惨なリンチや内ゲバ争いが起きても、皆何かしら誰かとつるみ、共に寄り添って暮らしているのだ。……でも、俺は思う。アレクやエリスとなら――
「……別に、血のつながりだけが家族ってわけじゃないよ。想いが通じ合うなら、きっと血よりも強い絆で結ばれた家族になれるって……俺は思う」
これは少しクサすぎたかな。なんかの漫画でこんなセリフがあった気がする。もしかしたら二人に引かれたかも……。
「血よりも固い絆……。家族……」
しかしアレクは目を見開き、俺の言葉を繰り返す。そして、その眼から一筋の涙が零れ落ちた。……うおぉ⁉ チープなセリフだが、多感な少年には効き過ぎたかっ⁉
「家族っ‼ うん、家族、いいねっ‼」
「エリスッ、少し苦しいよ!」
エリスは喜び、飛び跳ねながら俺とアレクに両腕を回してきた。まだ息が整わない俺に、この抱擁は少しきつい。だが、二人の体温を感じながら何とか場は収まったかなと安堵する。……しかし、そのとき俺は一つの異変に気付いた。
「ッ⁉」
エリスの背中越しに映ったのは、先ほど伸したゴロツキの一人が立ち上がる姿だった。そして、その手にはナイフが握られている。
「……舐めるな、舐めてんじゃねえええぞおおぉおお‼」
血走った眼で襲い掛かってくるゴロツキ。その叫びにアレクとエリスも振り向くも、完全に虚を突かれている。それは俺も同じだ。この距離では魔力も練れない。そしてゴロツキがナイフを振り下ろそうとしているのは、エリスの背中だった。
「危ないっ⁉」
咄嗟にエリスと体を入れ替え、俺は男へと立ち塞がる。次の瞬間、肩越しに熱い衝撃が走った。




