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天眼の聖女 ~いつか導くSランク~  作者: 編理大河
銀髪小鬼と家出兄妹
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遭遇


 妹の手を引きながら、アレクは暗くなってきた道を歩いていた。


「大分、暗くなっちゃったね……」


 エリスが後ろから、そう呟く。もしあそこから出なければ、今頃は美味しい夕食を食べながらリコと蝋燭を囲んで談笑していたのだろうか。それを考えると、少しばかり後悔にも似た感情を覚えてしまう。だが自分たちは、あのままあそこに居座るのは辞めようと決断したのだ。

 かつては生活に苦慮する母の強がりな笑顔を、ただ何も考えぬまま盲目的に信じ、そして歪めてしまった。ましてや、リコは魔法が使えるとはいえ自分たちより幼い少女。いずれ自分たちが重荷になってしまうこともあるだろう。だからこそ、自分たちに優しくしてくれたリコに迷惑をかけてはならない。そうなる前に、二人であそこを出ようとエリスと話し合い決断したのだった。


「そうだね、どこか人のいないねぐらでも探そうか」


 最近は暖かい日が続いていたが、今日は少しばかり冷え込むようだ。このスラムでは、いたるところに自分と同じぐらいの子供たちが路上で寄り添うように寝ている。寒風吹き荒れる中、その寒さをしのぐために肌を寄せ合って。


「くそっ」


 アレクは亡き父とした約束を思い出す。いずれ自分も父さんのように強くなって弱い人たちを助けてみせると豪語した、かつての自分。だが、現実は生きていくだけで精いっぱいだった。もしリコがいなければ、妹だってどうなっていたかも分からない。


「大丈夫?」

「うん、ごめんなエリス。僕は少し甘かったみたいだ」

「もう、それは言わないって約束だよ」


 妹を護るために家を出た。しかし、エリスを求めるナブコフは余程執心しているのだろう。義父のオーレンが子飼いにしてるチンピラたちまで、このスラムへ捜索に来ていた。そのチンピラたちの中には、魔法使いを斬ったと豪語する騎士崩れの凄腕もいるのだ。その男にアレクは訓練と称して、エリスや義父たちの前で何度もボコボコに打ちのめされる事があった。いくらリコが魔法を使えると言っても、まだ幼い少女だ。もしあの男とリコが対峙したら、どうなるか分からない。

 そして自分たちが戻ればエリスは奉公へと出され、義父の言葉通りナブコフの玩具にされるだろう。それがどういう内容なのかは分からない。だが、泣いていたメイドを家で沢山見た事があったアレクには、それが良くないことだと理解できた。


「今日はもう休もうか」

「うん、そうだね」


 疲れ果てた体を休めようとしたとき、ふいに背後から声をかけられる。


「おう、もしかしてアレクとエリスじゃねえか?」


 その聞き知った声に、アレクは反射的に振り向いてしまう。しまった……と思ったときは既に遅く、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた男の姿が目の前にあった。


「ドリスッ……⁉」

「よう、アレクぅ、久しぶりだなあ」


 男の正体は、オーレン商会で義父の警護を務めているドリスであった。その背後には、スラムのゴロツキであろう男たちが数人付き従っていた。ドリスは、その厳つい顔立ちに嗜虐的な笑みを浮かべている。長身な体はよく鍛えられ、筋骨が隆々としている。ドリスは騎士崩れの男であり、かつては魔法使いを斬ったことがあると豪語している男だ。実際に腕っぷしは強いが残忍かつ卑劣な男でもあり、兄妹を脅す意図も含めてオーレン商会の債務者たちを二人の目の前で痛め付ける事もあった。

 だからこそ、いっそうアレクの恐怖心は掻き立てられる。この男は、他人の身体を破壊することに何のためらいも無いのだ。その時の光景を思い出しながら、アレクは己の運の悪さを悔いる。まさか、リコの秘密基地から出てすぐに遭遇してしまうなんて思いもしなかったと。


「探したぜぇ。こんなションベン臭ぇ場所で何日も探し回った甲斐があったってもんだ。いい加減慣れちまったよ。でも、それも今日で終わりだ。これも日頃の行いがいいからかなぁ?」


 獲物を見つけた猛獣のような笑みを浮かべるドリス。背後のエリスが怯えたようにアレクの背中へと身を隠す。ドリスは以前からエリスに目を掛けていたらしく、その輝くほどの金髪を本人が厭うのもお構いなしに撫でたり梳いたりしていた。


「……もう放っておいてくれないか。僕たちは、あの家を捨てたんだ」


 決死の思いで、アレクは相手へとそう告げる。しかし、ドリスはアレクに対して侮蔑的な笑みを浮かべ吐き捨てる。


「はんッ! そいつは無理な話だねえ。大方、あのナブコフ商会の変態が嫌で逃げ出したんだろぉ? それに、お前さんはエリスの価値をナニも分かっちゃいねえ」

「えっ……⁉」


 ドリスの言葉に、エリスが驚きの声をあげた。その様子を見たドリスは、より一層笑みを深くする。


「そう、その顔だ。あと何年かしたら殆どの男が無視できなくなる、その美貌さ。本来なら、あと数年したら俺が貰う予定だったんだ。旦那にも了承を得ていたしな。……全くよお、俺の守備範囲もナブコフの変態会長ほど広けりゃ良かったんだがなあ」

「貴様ッ!」


 その好色な視線から妹を遮り、アレクは激高する。


「ハッ、糞雑魚アレク君に睨まれたって全然怖かねえなぁ。確かにエリスは惜しいが、連れて行けばナブコフ商会との大きな商いが約束される。……あの変態、よっぽどご執心らしいしな。まあ旦那には埋め合わせに特別ボーナスを約束してもらったから、しょうがねえ。俺は適当なメイドでもいたぶって憂さを晴らすさ」


 アレクは以前、ドリスの部屋から泣きながらメイドが出てきたところを何度も目撃していた。エリスが同様の目に遭わせられる姿を想像し、アレクの怒りは最高潮に達する。用意してあった木の棒を構え、ドリスたちへと向かい合う。


「ハッ、もしかしてチャンバラごっこかあ? よく可愛がってやったもんなあ、アレクぅ? ……ただ、今回ばかりはおいたが過ぎたな。骨の一、二本は覚悟しとけよ?」

「ドリスさん、ここは俺らがっ‼ ドリスさんの出る幕じゃありません!」

「……ああ、お前らか。まあ、エリスを傷つけない程度に頑張れよ。働き次第じゃ、ウチで雇ってやってもいいからよ」

「マジですかッ⁉ おいっ! 行くぞッ‼」


 ドリスの言葉にゴロツキ達は歓喜し、アレクたちを取り囲む。


「お兄ちゃんっ!」

「エリスは下がってッ! 僕が必ず護るッ!」


 アレクは木の棒を構え、相手を迎え撃つ。


「ガキがッ! イキってんじゃねえッ‼」


 ゴロツキの男が先陣を切るように襲い掛かってきた。アレクは冷静にその動きを見極め、身をかがめながら男の右脛に木の棒を振り抜いた。


「ギャアアアアアア⁉」


 その痛みから悶絶する男。ドリスはそれを見て「ほぅ」と意外そうな声をあげる。


「……今のって」


 アレクも自身の振った斬撃の威力に驚く。それは、あきらかに進歩していた。振りの鋭さが以前とは段違いだ。アレクはリコの言葉を思い出し、力を漲らせる。……やれるっ! 体格に差はあるが、隙を作りエリスと一緒に逃げることぐらいは可能かもしれない。勝機を――


「おうっ、逃がしたらタダじゃ済まさねえぞ。気張れよっ!」

「あああああっ‼」


 ドリスの発破にゴロツキたちは奮い立ち、一人がアレクへとタックルを仕掛ける。そのこめかみへ咄嗟に木の棒を振り抜くが、男は止まることなくアレクの胴へとぶつかってきた。


「しまっ――」

「調子にのんじゃねえッ!」


 これが10歳になる子供の限界なのだろう。あっさりと男に距離を詰められると、あっという間にアレクは地面へと組み伏せられてしまう。そして、馬乗りになった男はアレクの顔面目掛け全力で拳を振り下ろしてきた。


「ガッ」


 その重い衝撃に、一撃でアレクの意識が揺らぐ。それと同時に、エリスの悲痛な叫び声が木霊する。


「止めてッ‼ ドリスさんっ、私行きますっ! だからお兄ちゃんに乱暴しないで……!」

「あ~、どうしよっかなあ?」


 ドリスはそう言ってニヤニヤと兄妹を煽る。どうやら、ゴロツキたちを制止する気はないらしい。


――駄目だ、エリス。なんのために、なんのために二人でここまで……。


 アレクがそう言おうとした瞬間、再度殴打が頭部に加えられ硬い地面へとぶつかった。泣き叫ぶ妹の声、朦朧とする意識。父……さん、僕……が、絶対に……エリスを、護……る、から……。

 それでも何とか意識を繋ぎ留め、男の殴打を防ごうと顔の前に両手を掲げる。見上げる男の顔は暴力の愉悦に歪み、めいっぱい掲げられた拳は今にもアレクの顔面目掛けて振り下ろされようとしている。次なる衝撃に備え、覚悟を決めたその時――


「ひでぶっ⁉」


 アレクに馬乗りとなっていた男が突如はじけ飛ぶように仰け反り、倒れた。


「なんだ、テメエ」


 ドリスの警戒する声。


「ああっ‼」


 エリスの歓喜と驚愕が入り混じった声。

 アレクが何とか体を起こすと、既に日が落ちた暗いスラムの路地裏から、タン、タンと足音が響く。その方向に目を向け、見知った姿をみとめたアレクは驚愕した。


「そんな……どうしてっ……⁉」


 それは、小さな子供ぐらいの身長の人物だった。その人物は何の変哲もない布地の服に身を包んでいる。だが、その顔だけは異彩を放っていた。この世のものとは思えぬ、おぞましい紋様の仮面。それは、以前にアレクたちを助けてくれた少女が付けていた仮面であった。突然の闖入者に周囲が固唾を飲むなか、その仮面の主は静かに口を開いた。


「――退け。その二人に危害を加えるというなら、容赦はしない」




 

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