何が大切か
「よう、人さらいのガキども。ここがスラムじゃなかったら、衛兵にしょっぴかれて死罪だぜ、テメエら」
ガイが開口一番そう挑発する。
「別に、さらったわけじゃない。あんな冷たい川に誰かさんの命令のせいで長時間もいたから、高熱が出たんだ。だからウチで保護していた」
こいつがノアに冬の川で魚を取れなどという無茶な要求をしたせいで、ノアはずっと体を凍えさせながら、あの川の中にいたのだ。もし、俺たちに出会わず、あのままコイツラの下に帰ってしまっていたら、下手したら死んでいたかもしれない。
「はあ、別に俺のせいじゃねえよ。俺はあんとき酔っぱらって魚が食いてえから、だれか取ってきてくれないかなあって言っただけだぜ。まさか、本当にこの真冬に川に入るやつがいるなんて思わねえだろ、普通よお」
「ノアは頭が弱ぇからなあ」
ガイの言い訳に、手下の一人が追従し爆笑がおこる。ただ、エマ一人だけは表情を変えずに、俺の隣のノアへと視線を向けていた。感情を消したその顔からは、何を考えているのかを推し量ることはできない。
「まあ、うちのガキを保護してくれたことには礼を言ってやる。案外小ぎれいになってるし、存外見れる外見をしてたんだな……。なんも言わずに、ノアを返さなかったことはそれでチャラだ。ノア、行くぞ」
ガイがノアを手招きする。ノアはビクッと体を震わせると、どうすればいいか分からないとばかりに俺の顔を見上げる。
俺は安心しろとノアに微笑むと、ガイの顔をまっすぐ睨みつける。
「ノアは返さない。ノアはずっと俺たちと一緒にいるんだ」
「ああン⁉ 何言ってんだ、テメエ」
ガイはイラっとした様子で、歯ぎしりと共に俺を睨みつける。普段ならビビッてしまうその威圧感も、今はノアを守らないとという義務感から全く怖くは感じない。
「この子の肌には痣がたくさんあった。体だって骨ばって。満足に食べさせず、日頃から殴ってたんだろう」
「言いがかりは止せよ。ノアは小食なだけだし、全身の痣はやんちゃだから、自然とついたもんだぜ。なあ、エマ」
言い訳をしながら、ガイは俺たちを嬲るかのように傍らのエマに同意を求める。
「……ええ、そうね」
「ほら、みろ。このエマはなあ、ノアとは実の姉妹みたいに仲がいいんだ。エマは心配してたんだぜ。ノアが急にいなくなっちまってさあ」
ニヤニヤとノアに視線を向けるガイ。ノアは、今の言葉にハッとしてエマへと視線を向ける。
「エマ姉……」
その反応に気をよくしたのか、ガイがにやけ顔をしつつ、エマに顎をしゃくり促す。エマはそれに一つ頷くと、一歩前へ出てノアに両手を広げてみせた。
「ノア。私たち約束したよね。ずっと一緒にいるって。あなたがいなくなって心配したのよ」
キツメな顔の美人であるエマは、今まで見せたことのない温和な表情をしながら、優しそうな声でノアへ語り掛ける。それは一見虐待など見過ごしていた者とは思えぬ態度だ。心が揺らいでしまわないかと、心配してノアを見る。
やはりノアは明らかに動揺し、幼い表情が移ろいでいる。俺はそんなノアを見て、エマという女性に対し、怒りが湧いてきた。ここでガイたちの下へノアを再び来させようとするのは、もはや愛情ではなくただの所有欲に等しい。たとえ過去にこの二人に何かあったのだとしても、ノアを行かせるつもりはない。
「やめろっ! あんたの所有欲で、この子を傷つけるな」
俺はエマの誘惑からノアを守るように、その間に身を乗り出す。しかし、エマは俺の言葉に答えず、淡々とノアへと語りかける。その視線も俺を捉えておらず、どうやら完全に無視を決め込んでいるようだ。
「ねえ、二人で小さなパンを分け合ったこと覚えてる? お腹は満たされないけど、心は満たされて……。でもね、あのままだと二人とも餓死していたわ。それを助けてくれたのはガイでしょう? 確かに少しやり過ぎてしまうことはあるけど、そこは私がお願いしておいたから。これからは叩く手下もいないし、ご飯だって皆と同じよ」
甘い言葉を囁くエマ。だが、今まで虐げていた者の待遇を変えるなど誰が信じられるだろうか。そんなすぐさま変えられるなら、何故今までそうしなかったのか。
「ノア、信じないで」
後ろに回した手は、いまだノアと繋がっている。少しばかりノアからの力が弱くなるのを感じたが、その分しっかりと手をつなぐ。
「ノアは優しくて思いやりのある子だ。俺たちは決してノアを嘲笑わない。馬鹿になんかしない。これから手を取り合って、一緒に生きていきたいって心から願ってる」
ノアの表情はわからないが、でも再びその手に込められた力に俺は安堵した。ノアが俺の背後からその隣に進み出て、エマへと対峙する。
「エマ姉」
「ノア……。私を裏切るの?」
いつも笑顔でいようとするノアの、その決意に満ちた表情に何かを感じたのだろう。エマは険しい顔となり、ノアを真っ直ぐ見据える。ノアもそれを受け止めた上で、首を横に振った。
「違うよ。ノアはエマ姉を裏切らない。でも、ガイたちのもとには戻れない。だって、エマ姉と約束したもん。ずっと二人で一緒にいよう、いつか二人で幸せになろうって。ノアもエマ姉もガイのもとにいたら幸せになれないよ」
懸命にエマへと訴えるノア。じっとそれを聞くエマに反して、ガイは露骨に苛立ちをみせ、ノアを射殺さんとばかりに睨みつけている。しかし、ノアはそれに気を取られることなくエマだけを見ていた。
「ノアは物を知らないけど、何が大切かは知ってるよ。だから、エマ姉っ! こっちにきてっ! こっちの人は皆優しいんだよ。きっと、助けてくれる。仲間にしてくれる。もう、怯えながら暮らさなくてもいいんだよっ」
俺はその言葉をただ黙って聞いた。ノアを助けたいと思ったとき、エマも同時に助けることを考えたからだ。勿論、エマがそう望んでくれたらの話だが。そうすると、ノアが家に来るということはなくなるが、それでもノアが幸せに生きていけるなら構わない。近所に住むのであれば、会うことだってできる。
俺は、ただ静かにエマの次の言葉を待った。




