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狼の風丸、動く

迂回(うかい)するだけだと思ったのに……風丸は本当は、ただお祭りが見たくてこっちに来たかっただけだったんだね? 」

 今日も和洋折衷(わようせっちゅう)な書生風の下駄履き姿で、ハンチング帽を被った要が困り果てたように(つぶや)いた。


 要は今、この周囲に点在する稲荷神社の社の幾つかを巡回しつつ、その見回りをする、という本来の目的の趣旨からは大きく外れ、尻尾を振りながら意気揚々(いきようよう)と飴屋(あめや)の前でお座りをする風丸の背後で、困惑交じりに天高い秋の空を見上げている。

 先刻の駅前での路面電車脱線危機の一件については知る(よし)もないままに……。


 折り悪くこの界隈(かいわい)は、今日は恒例の秋祭りが行われ、人が多く出ていた。

 道の両端には相当な数の露店が立ち並んで、行き交う人間の数も多く、活気に満ちていた。

 風丸はその数ある露店の中でも特に、甘い匂いの漂う飴細工に興味津々な様子で、先程から店の前で陣取ったきり、集まった大勢の幼い子供達の群れに混じって頑として一向に動こうとしない。


 飴細工屋の男が器用な手先で、水に入れたら今にも泳ぎだしそうな、ヒレが大きく胴が丸みを帯びた可愛らしい琉金リュウキン風な金魚を棒の先に形作ると、子供達からは歓声が上がった。


管狐くだぎつねを探さないといけないんだけどなあ……。ねえ、早く行こうよ、風丸。そんなに飴がほしいなら、ちゃんとひとつは買ってあげるから。でも虫歯になるといけないから見るだけだからね? でも多分飴が欲しいんじゃなくて、作ってる過程が好きなんだろうなぁ。もう、困った神様だね」


 風丸の前でだけは、普段とは異なり年相応な話し方になる要が(さと)すように丁度そう言いかけた時だった。

 脇道から現れた一体の黒い影が、素早く横っ飛びに、要と風丸の背後を通過した。


「今、何か通った……? 」

 直後に気配を感じ取った要が振り返りかけた時、少し離れた場所から声が飛んだ。


「要! 管狐そいつを捕まえろ! 」

 一陣の風が吹き抜け、日の光の元にその『影』が晒される。

 ローズカットが特徴的な金剛石(ダイヤモンド)()め込まれた銀の首飾りを首に掛けた姿の、白い妖狐だった。

「……! 」

 要がそれを視認(しにん)した瞬間、(ふだ)を取り出す為に、(ふところ)に手を入れかけたが、思わずそのまま留まった。


「いくら月城様からの(めい)でも、こんな大勢の人間がいるところで呪符を使うわけには……」

 要が戸惑い、次の行動を起こせずにいる前で、管狐は屋台が立ち並ぶ中を疾風のごとくに縦横無尽に駆け回り、突風を巻き起こしながら逃げ続けていく。

 神社の境内に植えられていた神木が突発的な風で激しく揺れ、屋台に並べられていた商品が次から次へと、空中へ浮きあがった。


 殆ど同時に、何故か飴細工屋の脇に置かれていた、素焼きの(かめ)に入れられていた水飴までもが、中身だけが引っ張られるように宙に向かって伸び上っていく。

 と、直後に、水飴(あめ)が生き物のように、(ねじ)れながら、絹糸のようなしなやかな動きで、先が糸のように細く長く伸びていくのを要は見た。

 それはさながら、樹木の枝葉が成長しながら伸びていくように。


 そして飴の糸は鮮やかな一筆書きで、この季節に似合いの(みやび)な大輪の菊の花を幾つも描いた後、最後には(つぼみ)のような檻を形作ると、丁度樹齢を重ねた幹の太い、木の枝に引っ掛かりながら、あっという間に管狐を中に閉じ込めた。

 一見すると、丁度枝の先についた、ホオズキのように大きく(ふく)らんだ、飴の檻がぶら下がり、そこに管狐が入れられたように見えるという、ひどく珍妙な光景だった。


「ええええ?!!! 」

 要は自分の眼を疑うような事態を前に、一瞬何が起きたのかさっぱり分からず、だがひとつだけ思い当たった気持ちのまま、つい今しがたまで風丸がいたところに仰天しながら目をやった。

 風丸は案の定、余裕たっぷりで得意げな表情で、要を見上げていた。

「飴細工の真似事?! あれを風丸が?! 」

 だが、唐突に空に咲いた夏の花火のような飴の花を目の当たりにした周囲の者達は、誰もが皆、大道芸人でもある飴屋の仕業と思い込み、大喜びで拍手喝采を送っている。

 まさかさっきまで、低いところからじっと屋台を見上げていた、犬にしか見えない狼の神の仕業とは誰も思いもせず。

 当の飴屋自身は何が何だか分からず、呆然としている様子だ。


「これまでどんな局面でも、俺の役に立たなかった迷犬が新たな技を会得したか」

 ようやく追い付いてきたらしい偕人が、要の横に立ちながら言った。

 次の瞬間、自分へ向けられた悪意を敏感に察した風丸が、偕人の右足首に牙を()いてかじりついた。

 偕人は絶叫しかけた痛みを(こら)え、だらだら脂汗を流しながら、無言で風丸を蹴り飛ばす。

 が、あっさりかわされ、未遂で終わった挙句に、再びもう一度同じ場所を風丸にかじられ、偕人は今度は腕を伸ばして、風丸を無理やり掴み上げた。


「何度も俺の足に穴をあけやがって……お前は、相変わらず俺に対してだけは、意味も無く挑戦的だな? 」

 青ざめながら(にら)みを()かせつつ、そう言ってから、偕人は横にいる要に強引に風丸を押し付けた。

「……? 」

 丁度、飴の檻に気を取られていた要は、その一連のやりとりには全く気が付かぬままで、ひとまず寄越(よこ)された風丸を受け取った。


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