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2心交換

こいつが初めて登場したのは平成元年、1989年のことらしい。その頃の世界には、ソビエト社会主義共和国連邦という、ぼくらが歴史でしか知らない大国があり、崩壊に向かっていた時期だという。

 

 なんて、したり顔で語ってみたものの、自分が生まれる16年前のことなんて、まったく想像がつかない。

 しかし、いま、ぼくが手にしているこいつとソ連はまったくの無関係というわけでもないというから、つくづく不思議なものである。

 こいつの躍進を語るには、過去の超大国の名をかたる必要があるらしい。

 ……ぼくの目の前で熱弁を振るう幼馴染の少女いわく。


「――セガのメガドライブ版の発売を前に、任天堂がとった行動は、なんと版権元へ直接乗り込むことだったのっ!」


 興奮気味に語りながらも、マヤは手元を慌ただしく動かして、十字キーとAボタンを押し込んでいく。そのゲーム機の画面には、不規則的なブロックが着実に積み上がっている、のだろう。


 対面に座るぼくにはその画面はうかがえない。

 けれど、マヤの自信気な笑みをみれば、思い通りのプレイができているのだろう。


 負けじと十字キーを動かしながら、マヤにこう聞き返す。


「そんな強調すべきことなのか? 利用許諾を取るって、大人の世界じゃ当たり前なんだろ」

「いや、それは今現在の話じゃん。その当時は事情が違っていたのよ、ユウ」

「これって30年ほど前のことなんだろ? 今とたいしてかわんねーんじゃ……」

「違うわよ。だって、その当時は冷戦があったのだから」

「ああ、聞いたことあるぜ。アメリカとソ連が対立してたとかいうヤツ」


 今日の授業でモリモトが冷戦について、説明していたことを思い出す。

 テスト範囲じゃないし、テキトーに聞き流していたけれど、まさかマヤとの会話で役に立つとは。

 彼が語った『勉強をしておくと得することは少ないけれど、損することはない』というセリフの意味をなんとなく理解しつつ、気の抜けたコーラをごくり。ゲーム機に視線を戻す。


「けどよ、今までのゲームの話と冷戦ってどんな関係があるんだよ。話の繋がりが分からねー」

「すべて繋がっているわ。冷戦の話はこのゲームを語るための下準備だったの。だって、このゲームの故郷はソ連なんだから」

「……初めて知った。てっきりアメリカかどこかのゲームとばかり」


 ソ連と娯楽産業は縁遠いだと思っていた。まあ、それこそ偏見だったのかもしれないけれど。


「ゲームの背景やBGMに注目すれば、簡単にわかることなんだけどね。そもそも、このゲームはソ連の科学者が教育ソフトとして開発したそうよ。いわゆる知育玩具というやつね」

「知育玩具って……」


 熱心な教育ママが幼児に買い与えるやつだろ……

 けどまあ、そう言われてみれば、このゲームにはそういう側面があるように思える。


 上から落ちてくる、四つの正方形を組み合わせたブロックを積み上げて、横一列のマス目がすべて埋まると、ブロックが消えて得点が得られる。

 たしかに子どもの情操教育には適しているのかもしれない。

 それに、このゲームは大人がやっても十分に面白い。


「それ故、娯楽に飢えた西側諸国――資本主義陣営にも広く受け入れられたわけ」

「資本主義……日本とかアメリカのことか」

「そーそー。日本ではセガ、アメリカではアタリ社がこのゲームのアーケードを展開していたの」

「セガはソニックのことだから分かるけど、アタリ社っていうのは?」

「良い質問だわっ! アタリゲームズといえば、ゲーム産業黎明期において、語らずにはいられない会社なのだけど、今日は説明を割愛するね」


 後ろ髪を引かれるような表情を浮かべて、マヤはそう言う。電子ゲームの歴史に関しては語ることが尽きないらしい。


 幼馴染としては、その情熱の一割でいいから、勉強や対人関係にまわしてほしいと思ってしまうが、そういう器用さがあるならば、彼女が教室で孤立してしまうこともなかっただろうから、そっと気遣い、お口チャック。


「けれど、ここで問題になったのは、このゲームの権利なの」

「ああ、ここでさっき話した冷戦が関わってくるわけか」

「そうなのよ。アメリカとソ連が対立している以上、直接許諾を得られるなんてことはないの。だから、アタリゲームズはいろんな企業を仲介して、権利を獲得したの。こうやって……」


 マヤはポケットからペンを取り出し、テーブル横のナプキンに企業の名前を書いていく。

 そのメモ書きによると……


・外国貿易協会(ソ連)

 ↓

・アンドロメダソフトウェア(ハンガリー)

 ↓

・ミラーソフト(イギリス)

 ↓

・アタリゲームズ(アメリカ)

 ↓

・テンゼン(アタリの子会社)

 ↓

・セガ(日本)


 ……こんな感じだという。

 

「これで許諾を取れたといえるのか……?」

「ユウもそう思う? 私もそう思うわ。けど、そういう時代だったのでしょうね。だからこそ、任天堂の行動は逸話になっているわけ」

「……最初の話に戻ってくるわけか」


 任天堂によるソ連との直接交渉。

 それによって……


・外国貿易協会(ソ連)

 ↓

・任天堂(日本)


 ……と、なったわけだ。


 しかし、この時代のソ連は改革と解体が進行していたとはいえ、冷戦という大きな対立構図があったと聞く。そのうえで考えるならば、任天堂の決断はある意味蛮行なのかも……。


 マヤは無軌道に話を広げていったように見えて、最初からここに帰納させるつもりだったわけか。


「この交渉は見事成功し、アタリやセガの権利許諾は失効。これによってメガドライブ版は発売を直前に販売停止になったの」

「そうして、今、ぼくたちが遊んでいるこいつが発売されたわけか……」


 そう、ぼくたちが会話の片手間に興じていたのは、平成元年、1989年に発売されたゲームボーイ版テトリスだった。


 ついでに断っておくと、現在は令和元年、2019年の12月上旬であり、ぼくとマヤは2005年生まれの十四才、花の中学ニ年生だ。


 最新のゲーム機はニンテンドースイッチとPS4であり、ぷよぷよテトリスはソフトメーカーのセガから発売されている。


 ……にも関わらず、近所のファミレスで、ゲームボーイ版テトリスの通信対戦に興じているかといえば、それなりの事情があるのだけれど、それに関しては後述する。


 マヤがニヤリと狡猾な笑みを浮かべて、こうつぶやいた。


「けれど、こうしてゲームボーイ版テトリスに関する逸話を語ってきたのも、ある種の布石にすぎないの。だって、今日の本題はテトリスでも、ゲームボーイでもないのだからねっ!」

「それってどういう……」


 マヤが浮かべた不敵な笑みに気を取られた瞬間、彼女の攻撃は既に終わっていた。


 このゲームことテトリスにおいて、最も重要なブロックのひとつである、一直線の棒。

 それが来るのを彼女は虎視眈々と狙っていたのだ。

 ぼくにゲーム史や冷戦についてアレコレと語っているときも。

 そして、この話題が終着を見せたところで彼女は牙を抜いた。


 右端の空いたスペースに棒状のブロックをねじ込み、ラインを消し去る。

 4ライン同時消し――通称『テトリス』だ。

 そうして僕の画面に4段のブロックが押し上げられ、あえなく敗北を喫した。


「だって、今日の主役は、私たちのゲームボーイを繋ぐ線――通信ケーブルなのだからよっ!」


 こうして、マヤのゲーム史講義は幕を上げたのである。

 ――ぼくらを繋ぐ細い線についての講義が。

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