「最強負けヒロイン」になりたい君と現代青春の歩き方
「私を、最強の負けヒロインにして欲しいのですっ!」
これと言って特徴のない僕――立花一樹の元に、ある日学年の人気女子、志津川琴子が相談にやって来た。
「負けヒロインの涙からしか摂取できない特殊な栄養素がありますよね?」
「さも皆が知っている知識みたいに言われても……。まぁ、分かるけどさ」
そんなこんなで幕が開けた、僕らの最強負けヒロインを目指す日々。
「あの子たちみたいになりたいんです。悔しくても、悲しくても、それでも好きだった人のために精一杯笑えるような、前向きな女の子に」
果たしてその願いが叶った先で、本当に志津川さんは幸せなのだろうか
そして本当に、僕は彼女にそうなって欲しいと思っているのだろうか。
負けヒロインになりたい彼女と負けヒロインを心から愛する僕の、「最強」を目指すちょっと変わったラブコメディが幕を開ける。
魅力的なヒロインたちが様々な創作で跋扈する今日、作者の都合や読者の意志、または様々な要因で意中の男性と思い通りになれない女の子たちがいる。
物語という辻褄からはじき出された悲しき存在。
しかし忘れないで貰いたい。
そんな負けヒロインにこそ心惹かれてしまう人種がこの世には確かに存在するのだ。
「あのですね立花君、そろそろちゃんと答えて欲しいのですっ。私、すっごく真面目な相談してるんですから」
梅雨も明け、真っ青な空が頭の上を心地よく包み込むとある初夏のことだった。見覚えのある一人の少女が僕の安寧の地であるボランティア部の部室を訪ねてきた。
「だから志津川さん、僕はいたってまともに回答しているのであって、それをちゃんとと言われましても……」
壁の時計は16時半を少し回ったところで、窓からは運動部の賑やかな声が風に流れて飛び込んできていた。
桑倉学園ボランティア部の部室は東棟の4階に位置している。東棟は教職員用の駐車場を挟んで直ぐ真横にグラウンドが付設していて、この声がまた心地よい。
放課後、誰もいない部室で一人この声を聞きながら本のページをめくる。なんと幸せなことだろうか。
だからまさかこの至福の時間に思わぬ訪問者がやってくるなんて、20分前の僕は想像もしていなかったのである。
「ねぇ、聞いてます?」
「へぇっ!? えっ、あ、はい、多分大丈夫ですっ!」
「……それ、聞いてない人の台詞ですよね?」
同学年でもひと際整った彼女の顔が僕の目の前にぐいと近づいてくる。嬉しいったらありゃしないのだが、普段美少女と縁もゆかりもない僕としては正直1割ほど勘弁して欲しい気持ちもある。
なんというか、シンプルに心臓に悪い。
「き、聞いてるって。その、A組の仁科君がどうのこうのって」
志津川琴子。僕と同じクラスの桑倉学園の二年生。成績優秀で運動も得意。人当たりもよくておまけにハチャメチャの美少女ときたもんだ。
噂ではどこかのお金持ちの娘らしいのだが、彼女の普段の振る舞いを見ればそれもまた納得だ。
志津川さんが今年うちの学園に転校してきてからというもの、彼女の名前が男子生徒たちの話題に上がらなかった日はないだろう。
そんな彼女がなぜ僕みたいな冴えない男がいるだけの部室を、青春真っ盛りの一番貴重な時間である放課後を使って訪ねてきているのか。
「そうなんです。仁科君ともっと距離を近づけるためにはどうすればいいのか、それを一緒に考えて欲しいのです」
所謂恋愛相談。そう言う事である。
「というか今更なんだけどどうして僕なんだよ。言っちゃなんだけど僕が他人の恋愛相談に乗れるような経験値の高い男に見える?」
「まぁ……正直言うと、見えないですね」
志津川さんのこういう純粋なところは凄く好感が持てるし長所だと思う。でももうちょっとこう、良い感じの言い方は無かったんだろうか。
「き、気を悪くしてしまったらごめんなさい……っ」
すらりと伸びた手足を存分に使ってこちらにぺこぺこと頭を下げる志津川さん。直ぐにそこに気づけるんだったら最初から触れないで欲しかった。
「まぁ、自覚があるから良いんだけど……。でもこれで分かったと思うけど、僕が志津川さんの力になれるようなことは何も無いよ」
「だけどクラスのお友達曰く、ボランティア部は何でも相談に乗ってくれると」
誰だよそんなこと言いだした奴は。せいぜい僕らに出来る事なんて駅前のゴミ拾いと児童施設の手伝い、それに近所のお年寄りの畑の手伝いとベビーシッターにどぶ池の掃除ぐらいで……あれ、考えてみると思ったより手広くやってるな。
「もしかしなくても便利屋かなんかだと思われてる?」
「い、いえっ、そんなつもりはないのですが……、その、お恥ずかしい話、親しい友人にはこんな話は出来ませんし」
さて、ここで改めて志津川琴子の相談事を思い返してみよう。
彼女の相談は至ってシンプル。「どうやったら仁科君ともっと親しくなれるのか」である。
ここで言う仁科君というのはA組の仁科奏佑の事だ。友人と呼べる間柄ではないが、かと言って全く知らない相手でもない。一年の時は同じクラスだったし、校外学習では同じ班になったこともある。
優しくて気が利くとてもいい男で、その上顔もイケメンと来た。こんな恵まれた奴が現実に存在するのかと知り合った当初は愕然としたものだ。
更にはこいつには、ハチャメチャに可愛い幼馴染が居る。
ラノベかゲームの主人公かよ、と当時盛大にツッコミをいれた僕の気持ちも分かって欲しい。
「柚子ちゃんには……」
柚子ちゃんというのは仁科君の可愛い幼馴染のことだ。
粟瀬柚子。仁科君と同じ帰宅部だけど明るくて愛嬌のある大型犬みたいな少女だ。聞いた話によると仁科君とは幼稚園の頃からの付き合いらしい。
最近うちのC組にもよく顔を出しており、志津川さんと親しくしている場面をよく目撃している。
「柚子ちゃんにだけは相談できないし……」
ぽつりと零れた独り言。しかしそのニュアンスだけで分かってしまう。
全く世の中はままならない。仁科君みたいにモテるやつはモテるし、僕みたいにモテないやつはどこに行っても縁がない。
「とにかく、どうしようもなくなって僕のところにやって来たと」
何処か翳りを帯びた志津川さんの表情に、思わず僕は助け舟のように口を開いた。おせっかいだったかもしれないけれど、なんとなく彼女にその先を口にさせちゃいけないような気がした。
「それで僕にどうして欲しいの? 志津川さんと仁科君を恋仲にしてくれ、なんて相談は流石に無理があるよ」
人間の想いは無限大だ。他人にどうこうできるような代物じゃない。
「恋仲というのはちょっと違くて……」
しかし、志津川さんの要望は僕の思ったところとは少々……いや、この後の言葉を聞けば分かる。思ったよりも斜め上にズレていた。
魅力的なヒロインたちが様々な創作で跋扈する今日、作者の都合や読者の意志、または様々な要因で意中の男性と思い通りになれない女の子たちがいる。
物語という辻褄からはじき出された悲しき存在。
「相談というのは……」
そんな少女にこそ心惹かれてしまう人種がこの世には確かに存在する。
「私を、最強の負けヒロインにして欲しいのですっ!」
彼女、志津川琴子もそんな負けヒロインに心縛られてしまった一人。
「……ごめん、もう一回言ってもらっていい?」
「だから、私を最強の負けヒロインに……」
そして――
「……志津川さんは負けヒロインを舐めてるの?」
「えっ」
この僕、立花一樹も、その一人だという事だ。
「違うんだよ志津川さん、違うんだ、心して聞いて欲しい」
「えっ、あっ、えっ、……あ、はい」
志津川さんは困惑した表情を浮かべている。しかしこの胸の内から湧き上がる熱情を僕は止めることが出来なかった。
「負けヒロインってのはね、最初っから負けてるようじゃダメなんだ。選ばれるつもりのない負けヒロインに一体誰が心を奪われると思う?」
「……あっ」
どうやら志津川さんも気付いたようだ。
負けヒロインとは物語の都合のために創られた言わば当て馬のような存在だ。しかし、彼女達は皆その想いが叶うことを信じている。
自らの想いに真摯に向き合い、心挫き、涙を零し、それでも前を向くその様に僕らは憧れ、恋をする。
「最強の負けヒロインになりたい……?」
ぴくり、と志津川さんの肩が揺れる。どうやら僕の言葉にどこか後ろめたさを覚えたらしい。
ならば十分だ。そこまで気付いているのなら、志津川さんには素質がある。
「分かった」
「分かったって……立花君、さっきの言い方だと」
恐らく彼女は、突然の僕の怒りに似た感情を見ててっきり断られると思ったのだろう。
「協力するか答える前に一つ確認したいことがあるんだ」
「確認したいこと……?」
「志津川さんは、本気で仁科君のことが好きなの?」
ヒロインを名乗るのならば、その想いにだけは何よりも真っすぐじゃなければダメだ。
「……うん、好きだよ」
はにかみながら、志津川さんは小さく一つ頷いた。
それだけでもう十分だった。
「分かった、僕が志津川さんを最強の負けヒロインにするよっ!」
「それではっ!」
不安げな志津川さんの顔に、一つ大きな明かりが灯った。
「ということで、作戦を立てよう!」
「はいっ!
僕は部室の机に自分の鞄から取り出したノートを広げた。何事も計画は大切だ。
「まず、仁科君の本命はその幼馴染の粟瀬さんだろう?」
「えっ、違いますよ」
「は!?」
本気で声が出た。あんな可愛い幼馴染がいるってのにうつつを抜かせる奴がこの世界に居るのか?
「最近仁科君は同じA組の八雲さんとよく一緒にいるみたいで……」
ここに来て新しい女の子の名前が出てきた。というか彼女のことは僕も知っている。八雲と名の付く少女なんて同じ学年に一人しかいない。
八雲彩夏。中学時代は多くの絵画コンクールで入賞を果たした天才少女。しかし聞くところによると今はすっかりと絵を描くことを辞めてしまったのだとか。
「私、まずヒロインレースに参加できるんでしょうか……?」
「……なんだか僕も不安になってきた」
志津川さんと僕の計画は、どうやら一筋縄ではいかないらしい。





