スマホアプリで手軽に異世界転生。何度でもOK!
大学生の主人公が帰省すると、実家が経営する弁当店が、得意先の倒産で苦境に陥っていた。
得意先が開発していたスマホアプリを売掛金のカタに押さえたというが、調べてみるととんだ欠陥品である。
主人公はこれを何とか現金化する為に、〝異世界転生用アプリ〟と称して、一種のジョークソフトとして売り出す事を思いつく。
ユーザーの意外な盛り上がりにより販売は好調ぶりを見せたが、事態は思わぬ方向へ暴走していく。主人公がアプリの正体を知った時、既に世界は、異世界から持ち込まれた知識や技術によって、後戻りが出来ない変革への一歩を踏み出していた……
大学の夏期休暇で実家に帰ると、待っていたのは父の渋い顔だった。
実家は弁当屋を営んでいるが、昼食を配達していた得意先が一件潰れたという。
何でも、VRのソフトを開発するベンチャー企業だったそうだが、中核メンバーが突如失踪し、事業継続が不能で倒産したそうだ。
「未収の売掛金、どの位?」
「約五十万。ちょうど一ヶ月分だな」
うちは一般客への店頭販売がメインだし、団体客も他に幾つかあるので、直ちに連鎖倒産という事はない。だが痛い金額ではある。
「倒産なら債権者集会があったでしょ? 幾らかでも回収出来ない?」
「ああ。だけど、めぼしい物はなくてな。何でもいいからと売掛金のカタに押さえたのが、これだ」
父は、机の上に置かれていたハードディスクを示した。だが、中古のハードディスク一台なんて二束三文だ。
「ネトオクにでも出せば、売れるだろうけど……」
「肝心なのは、ガワではなくて中身だ」
「中身?」
「開発していたソフトが入ってる。それの権利が売掛金のカタだ。他の債権者が見向きもしなかったから引き取ってきた」
「確かに、ソフト開発の会社なら、値打ち物といったらそれ位かも知れないけど」
「若いからゲームとか詳しいだろ? 何とかこれを、銭に変える方法を考えてくれんか?」
「うーん……」
とりあえず、自室でハードディスクをパソコンにつないで中身を見ると、ソフトと共に、テキスト文で解説が入っていた。
スマートフォンをVRゴーグル化して、顔に装着の上で使うアプリで、学童の交通安全教育用に使うシミュレーターだという。
マイクロSDカードの必要容量は、何と一TBが必須となる。そんな物をスマホに組み込んでいるのは、一部のヘビーユーザー位だろう。
VRゴーグル化用のアクセサリについては、大手量販店や通販で入手出来るし、廉価な物もある。だがネット検索で調べてみると、VRゴーグルの対象年齢は「十三歳以上」となっていた。法規制ではないが、医学的に問題があるそうだ。
必須環境の時点で、児童向けとしては明らかな失敗作に思える。ともあれ必要な物を入手して、試してみる事にした。
*
内容は単純で、片側一車線の直線道路に横断歩道がかかっている。これを、歩行者用信号に合わせて渡るという物だ。
VRゴーグルを装着した状態で使うのだが、実際に歩いた距離だけ画面も変化する。ただ移動範囲は、横断歩道および両端の歩道だけと、最低限になっている。
背景の街並み、そして走っている自動車は、細部にわたりリアルで本物としか思えない。異様に大きいデータのほとんどは、それに費やしたのではないかと思われる。
何故か、走っている自動車はトラックばかりだ。種類は様々で、自衛隊の兵員輸送トラックや、昔の三輪トラックまで登場する。
「教育用にしては趣味に走りすぎてるんじゃないのか? これ」
何とかしてこのアプリを現金化したい訳だが、VRゴーグルに年齢制限がかかっている為、児童向け交通安全シミュレーターとしては使えない。
少し考えた末にひらめいたのが、最近のファンタジー作品の流行を利用する事だった。こういった作品の多くは、主人公がトラックに轢かれて死に、異世界に転生するというのが典型的な導入部である。
ならば、このアプリを「異世界転生シミュレーター」として売り出してみたらどうだろうか。わざとトラックにひかれれば異世界にいける筈という触れ込みだ。
無論、異世界のVRデータなんて入っていない訳だが、ジョークソフトとしては成り立つだろう。
キャッチコピーはこれだ。
「トラックに飛び込んで、異世界の冒険へ旅立とう!」
売り方その物は簡単で、ダウンロード販売のサイトに登録すれば済む。
何かあっても困るので〝開発メーカー倒産による差し押さえ品につきノーサポート〟の宣言をする代わり、代価は千円にしておいた。同人ゲームの売値を色々調べたが、この辺りが妥当な金額だろう。
五十万円の穴埋めは難しいだろうが、幾らかにでもなればいいと、その時は思っていた。
*
ダウンロード販売の登録をしてから一ヶ月。販売サイトから売上報告と振込通知を兼ねたメールが届いたので読むと、何と売上は百万円強だ。
未収の売掛金の額の倍以上という事で、当初目的はあっさり達成出来ている。
それにしても、あんな物がたった一ヶ月で千本以上売れたというのは、どうにも不可解だった。
色々と怖い噂もあるのでSNSはこれまで使っていなかったのだが、思い切って登録し、ネット上でアプリの評判を調べてみると、どうにも奇妙な事になっていた。
どうも、このアプリを使ってVRのトラックに轢かれると、本当に異世界へ転生出来るという噂が広まっているらしい。
転生というより、異世界の現地人に憑依して、意識を乗っ取るというのがより正確なイメージの様だ。
転生先の世界での生涯を終えると、時間が経過していない状態で元の世界に戻るのだという。転生を繰り返せば実質、限りなく不老不死に近づくという事にもなる。
はねられるトラックの種類によって転生先が色々と異なるそうで、検証サイトなる物も登場していた。
それによると、トラックのバリエーションはかなりの多岐に渡り、戦後に日本国内で形式認証された、国産モデルのほぼ全てが網羅されているという。
その一種類ずつ、さらにボディカラー別に、対応する異世界や転生する種族、性別、職業、年齢があるそうだ。
検証サイトには掲示板もあり、そこでユーザー間の情報交換が活発に行われてもいる。ユーザー達が随分と楽しんでいる様子が窺えた。
無論、このアプリで異世界転生したというのは、あくまで〝ごっご遊び〟の類だろう。それで売上が伸びるなら多いに結構、という位にしか、僕は考えていなかった。
*
さらに二ヶ月後。夏期休暇もとっくに終わり、僕は都内のアパートに戻って、大学に通う日々を過ごしていた。
アプリの販売数はさらに上昇していた。海外からの購入が加わったのが大きい。
外国語対応はしていないのだが、ユーザー有志が翻訳して広めたらしい。売上は既に五千万円を超えている。
また、海外で広まり始めたのとほぼ同時に、異世界で身につけた技能と称して、投稿動画を公開するユーザーが散見される様になった。現代社会では見られない、古式めいた伝統工芸や武術、剣術の類が主な内容だ。
それだけなら単にマイナーだったり、我流による創作を〝異世界の技能〟と称しているだけと考えられる。
一部には、蒸気機関を使った人工知能とか、さらには魔法を使う動画もあった。現実ならとんでもない代物だが、これとてCGや特撮で、フェイク映像を造る手段はある。
あのアプリが発端となった〝異世界転生ごっこ〟の手が込んできたという訳だ。
だが、そういった魔法の実演動画の中に、難病や重度障害を治療出来る〝治療魔法〟なる物が一件あった事に、僕は不安を抱いた。
妙齢で小柄な女性術者が患者に手をかざすと、欠損した手足が生えてきたり、失明者の視力が回復したりする様子が映されている。
投稿者は面白がっているだけかも知れないが、現代医学で治る見込みのない病気を抱えた患者の中には、藁にもすがる思いで訪れる人もいるだろう。
あるいは、それこそが狙いか。
いかがわしい心霊治療詐欺という物は昔からあるが、僕の売り出したアプリに便乗して、そんな悪徳商売が行われるならば見過ごせない。
投稿者のプロフィールによると、職業は開業医とある。本物の医者なら、妙な治療を施しても無資格診療にはならないので厄介だ。
経営する医院の名は「網場医院」。所在地は実家の隣県だ。
検索で調べた限り、網場医院の評判は、アプリ発売以前からかなり良い。網場医師は果たして、詐欺まがいの行為を働く悪徳医師なのだろうか。
とりあえずメールでアポをとってみた。事と次第によっては、アプリの販売を打ち切る事も考えなければならない。
販売元であると名乗って信じてもらえるかは微妙だったが、先方はあっさりと僕を信用した。失踪した元の開発メーカーの経営者とは知り合いで、開発時点からアプリの事も知っていたという。
向こうからもアプリの差し押さえ先に連絡したかったそうだが、それが僕の実家の弁当店という事は知らなかった様だ。
ダウンロード販売サイトでは、権利元への直接連絡先が表記されていないので、僕の方から接触するまでは手詰まりだったらしい。
また、治療魔法の投稿画像は、トリックではなく事実だと主張していた。あれを公開したのも、アプリの差し押さえ先からの接触を期待しての事だったという。
言い値でアプリの権利を買い取りたいとの申し入れに、僕は諾否を留保した。
直接会って詳しい事情を聞きたい、また治療魔法が事実なら実演して欲しい旨の返信をすると、今週末に上京する機会があるというので、そのタイミングで会う約束を取り付けた。
後から思えば、金額をふっかけた上で、何も聞かずにアプリの権利を手放した方が、その後の生活も平穏無事に済んだのだろう。
だが、その時の僕は、不可解な状況に巻き込まれたままというのが、どうにも不快に感じられて仕方なかったのだ。
*
約束の日。
指定された駅前のレンタルルームを訪れると、網場医師は既に待っていた。〝治療魔法〟の実演動画に映っていたのと同一人物で間違いなさそうだ。
挨拶もそこそこに、僕は本題に入った。
「網場さん。このアプリ、一体何なのです?」
「あなた、これの用途を解っていて売り出したのではないのですか?」
僕の質問に、網場医師は怪訝に聞き返してきた。





