太竜来来
大陸の南に位置する島国ベレタニア王国。
伝説の太竜ニーズヘッグ復活の報を受け、帝国との開戦直前だった王国では王が斃れた。
国を託されたのは軍権を持たない王太女ソフィア。
災厄とも言える太竜の襲来により滅びに瀕する王国。
軍権を背景に王太女の即位を邪魔立てする王弟ベイカー公爵。
太竜襲来を知らず船団を率いて襲い来る帝国艦隊。
壊滅的な状況の中でソフィアの味方となるのは、ニーズヘッグに襲われ焼失した第二師団の生き残りシリル中尉とその部下達だけだった。
太竜から逃れるための前代未聞の国民脱出行。
その指揮を取りながら、帝国との開戦を避け、王弟を排除し王位を継承する。
難易度地獄級のオペレーションに若き二人が挑む。
ベレタニア王国の王都イスカルニア。
バレア大陸の南20リーグに位置する島国。
王城の奥に位置し、四方を廊下で囲まれた窓の無い薄暗い会議室で御前会議は行われていた。
「陛下、議論も出尽くしたかと」
会議を取り仕切る内宮長が、王に決を促す。
「東宮?」
王は左隣に座る王太女ソフィアに問う。
「内務長として反対という立場は変えませぬ」
「西宮はどうか」
続いて王は右隣に座る王弟ベイカー公に問うた。
軍権を掌握するベイカーはソフィアを一瞥した後、首を振った。
「賛成です、陛下」
「よかろう」
王は立ち上がり、周囲に座る各機関の長に問う。
「東西の意見は割れた。内務と軍務が割れた以上、余が決を下す。各部を代表して最後に立場を表明せよ。中立は許さぬ」
王の言葉に会議室の他の者達が順番に口を開いた。
「貴族議会は西宮を支持します」
「選王評議会も、西宮を支持します」
「筆頭将軍は西宮を支持します」
「教会は東宮を支持します。なお、王の決定には従います」
「内務部は東宮に従います」
「三対二か。これもまた国を二分するような状況だな」
「はっ」
「レスリーよ。そなたの意見はどうだ」
意見を述べることのなかった王の後ろに控える内宮長が意見を表明する。
「西宮を指示します」
「ソフィアよ。王太女として最後に何か言葉はあるか?」
「内宮長の言うとおり議論は尽くしました。あとは陛下の御心のままに」
「すまぬな。そなたを軽く見ているわけではないのだぞ」
その言葉にソフィアは静かに目を伏せた。
王は改めて王笏を手にし王座に腰を下ろした。
「余は本日ここに帝国との開戦を……」
「お待ちください! お待ちください!」
まるで王の言葉を遮るように、会議室の外から声が響いた。
王がソフィアに目配せをする。
ソフィアは立ち上がり、扉を開けた。
薄暗かった部屋に昼間の光が射し込む。
「何事か! 御前会議中であるぞ」
扉の向こうでは、まるで光を背負うように二人の人物が立っていた。
一人は白髪のローブを着た老齢の男性。
もう一人は軍服を着た若い男。
周囲には近衛兵が抜剣はしていないものの、警戒するように二人を睨み付けている。
「これは王太女殿下、ご機嫌麗しゅう」
「ガルシア教授、御前会議中です。いくら貴方でも場所を弁えて貰わなければ困ります!」
「おお、それは失礼した。政治には疎いもので」
「ソフィアよ、ガルシアを許してやれ。いついかなるときも教授の具申は制限してはならないと決めたのは余だ」
王の言葉にソフィアは身体をずらし、ガルシアに中へ入るように促した。
「さて皆様もお揃いですし、ちょうど良い」
口調とは異なり、ガルシアの表情は固かった。
ソフィアが扉を閉め、再び会議室はランタンの灯りだけの薄暗さを取り戻す。
「その者は?」
王はガルシアの隣に立つ若者のことを問うが、ガルシアはその問いに直接は答えずに話を切り出した。
「わしは西メリダの山中で発生していた高温化現象について調査をしていた」
「竜泉山ですか?」
ガルシアの背後に立つことになったソフィアが質問をした。
「そう、竜泉山じゃ」
「こちらでも火山活動が活発になっているという話は第二師団から報告を受けている。東宮にも連携済みだ」
「ええ、聞いております。その件ですか?」
ベイカーの言葉にソフィアも頷き、既知の情報で御前会議を止めたのかと目を鋭く細めた。
「その第二師団の生き残りが、このシリルじゃよ」
ガルシアはそういって、隣に立つ若い軍人、シリルの肩を軽く叩いた。
シリルは姿勢を正すと自己紹介をする。
「メリダ方面軍第二師団第十七中隊 シリル中尉です」
ひょろりとした長身でこの国では珍しい黒髪の若者。
頬には煤がついており、よく見ると肩口には血がしみついている。
「生き残りとはどういうことだ!」
筆頭将軍のボフミルがシリルの言葉に反応した。
「師団は私が指揮する中隊を残して壊滅しました!」
「そんな報告は受けてはいないぞ!」
その声に呼応するかのように、周囲が騒がしくなった。
「伝令です。火急の伝令です!」
正規の手続きを踏んだのだろう。
先ほどとは違い、前触れの叫び声が響いた。
「入れ」
国王の裁可を待たずボフミルが怒鳴るように指示を出す。
「失礼します」
「報告しろ」
「メリダ方面軍第一師団長代行より伝令。第二師団が四日前、原因不明の火炎を受け壊滅。至急、救援を……」
復唱を待たずにボフミルが再び怒鳴った。
「代理だと! 師団長はどうした! そもそも軍令長は何をしている!」
「軍令長、第一、第二師団長ともに行方不明であります」
「死んだのか?」
「第二師団本部で会議中でした。恐らくは」
一瞬、静寂が訪れる。
あまりのことに、だれも理解が追い付いていないのだ。
その中でソフィアが最初に口を開いた。
「シリル中尉、なぜあなたの中隊は生き残ったのですか」
「わが中隊はガルシア教授の山中調査に同行しており火線を逃れました」
「火線?」
ソフィアがその表現に首を傾げた。
その疑問は王も持ったようで、ガルシアに問う。
「ガルシア、火山噴火ではないのか?」
「ご明察です、陛下」
「帝国の仕業か?」
「いえ」
「面倒だ。はっきりと言え」
王が痺れを切らし、結論を急がせる。
「太竜ニーズヘッグが復活したのです。陛下」
会議室は再び静寂に包まれた。
誰かの唾を飲み込む音が響く。
「ニ、ニーズヘッグはただの伝説であろう」
王が力なくガルシアに問うた。
決して嘘や間違いの報告などしない。
いついかなる時でも王に具申ができる特権は軽いものではない。
ガルシアに対する信頼があってのことだ。
ゆえに骨董無形の話であっても、冗談だと聞き流すことなどできない。
ましてや、第二師団壊滅の報を伴っているのだ。
「王よ。火竜の件、先王より引き継いではおらんか?」
「あれはただのお伽噺だと……」
その言葉にガルシアは顔を軽くしかめシリルに指示を出した。
「中尉、見たものを正確に報告するのじゃ」
「はっ」
シリルは説明を始めた。
「地熱が高い地域の調査に向かうガルシア教授の護衛任務でした」
「第二師団の報告を耳にしてな。ちょっと気になるりことがあって調べてみることにしたのじゃ」
王はガルシアの言葉にうなづくとシリルに説明を続けるよう促した。
「竜穴とも言われる火口を持つ竜泉山の麓まで進み、一晩野営をした後に山に入る予定でした」
「夜間、危険な山中を進むには年を取り過ぎたしの」
「夜中、大きな地響きで飛び起きました」
「火山が噴火する可能性を考え、わしはシリルに退避を勧めたのじゃ」
「教授の指示に従い、我々は最低の糧食をもってすぐ近くの洞口に逃げ込みました」
「そのあと、すぐじゃ。轟音とともに周囲が真っ赤に照らされたのは」
王はそこでため息をついた。
「ガルシアよ。余は中尉に報告を求めているのじゃが」
「これは失礼した。シリル中尉、続けたまえ」
「続けます。周囲が真っ赤に照らされたことに驚き、小官は外へ飛び出し、竜泉山の頂上を見上げました。ところがそこに火山はなく、目に映ったのは、闇の中、炎に照らされた巨大な獣の姿でした」
「火山が噴火した恐怖で幻覚でも見たのではないか」
ベイカーの呟きにシリルは反応した。
「その可能性は否定できません。ですが、ガルシア教授と、わが中隊全員が同じ光景を目撃しております」
その言葉をボミフルが強く押しとどめた
「戯けたことを申すな、中尉! 陛下、戯言に耳を傾けている場合ではありません。まずは我が麾下の隊を現地に向かわせます。帝国と開戦直前のこの状況、一刻の猶予も……陛下?」
王に裁可を仰ごうと、ボミフルが見つめた視線の先で王が王座から崩れ落ちた。
「父上!」
ソフィアが悲鳴とともに王に駆け寄る。
「父上、父上!」
「触ってはいけません」
抱き起こそうとしたソフィアをシリルが押しとどめた。
「なぜだ!」
「頭の血管が切れた可能性も」
「そんな!」
「ソ、ソフィアよ……」
「父上!」
囁くような声にソフィアがシリルを振り払い、這うように王に近づいた。
「始祖が封じ込めた……火竜の卵……」
「父上!」
「父を……許せ……」
ソフィアを一瞬見つめると、王はそのまま意識を失った。
「兄上! くそ、侍医はまだか!」
ベイカーが叫んでいる。
その様子を眺めていたシリルの耳は、背後に立つ教授の呟きを拾った。
「陛下よ、あなたは幸せかもしれんな。この国の滅びを目にすることなく逝けるのなら」
「教授?」
シリルはその表情を確かめるべく振り返った。その視線に気がついたガルシアは軽く頷くと、王の手を握り、悲痛な表情を浮かべているソフィアへ告げた。
「殿下。陛下は斃れた。国家は未曾有の危機に瀕している。この全てを殿下が背負わなければならない」
「教授?」
「各々方、わしの言葉は妄言ではない。太竜が復活したのじゃ。この国は滅びる。伝承は事実だったというわけだ。第二師団は最初の犠牲に過ぎない。さぁ、ここにはこの国の重鎮が揃っている。王が斃れしこの国をどう導くのか、この老いぼれにしかと見せてくれ」
その問いに、とっさに答えられる者はいなかった。





