ラピスラズリの春風の魔女
段々と暖かな春の息吹を感じられるようになったランダン王国の王城では、こげ茶色の髪の少女が日当たりの良い部屋の中でたくさんの本に囲まれていた。
「ソフィア、また時魔法の解析をしてるのか?」
カイルがノックとともにソフィアの病室に入ると、ソフィアはベットの上でペンを握り複雑な数式と睨めっこをしている。また教会から借りたのだろう古い文献が枕元に増えていた。カイルが来たのに気がつくと、ソフィアはへにゃりと情けない表情でカイルを見上げる。
「私がこの時代に飛ばされた時の魔法陣を記憶している限り書き出して、だいぶ解析は進んだんだけど…。
うう、考えたくないけど、あの魔法陣には時の魔力を溜め込む役割があったの。時を渡る為には、莫大な魔力量が必要になるから。多分範囲はラピスラズリ島全土…」
「…つまり、ソフィアが元の時代で魔法が使えなかったのは時の魔法陣に魔力を吸われていた為だったのか」
「あうぅ、それをこれから私自身で設置しないといけないなんて…」
グズグズと涙目で解析を続けるソフィアの頭に、カイルは笑って手を置いて慰めるように優しく撫でた。
ソフィアが目覚めた後、それを知らされたリリアやメイソン卿、ローガンやオースティン、果てはラーファルト王までもがソフィアの見舞いに訪れてずいぶんと騒がしくなった。それもやっと落ち着いてから、ソフィアは王都にいるうちに神様から頼まれた時の魔法陣について調べたいからと、旧聖堂の古い資料の閲覧許可を教会に求めたのだが、神の祝福を受けたソフィアからの頼みに教会はそれはもう諸手をあげて協力を申し出た。今も、まだ安静を言い渡されているソフィアの代わりに役に立ちそうな資料を修道士達が総出で漁ってくれているだろう。
「急ぎじゃないんだ。そんなに根をつめるなよ」
「うん。カイルは、またお仕事?」
「オースティンのやつ、ここぞとばかりに書類仕事を押し付けてくるからな」
今も終わった書類を提出に行った所だったのに、またもや追加の書類を渡されてきた所だった。確かに今は王弟派の処置に人手を取られて忙しいのは分かるのだが、オースティンに「俺が仕事に忙殺されている中、自分だけ恋人とイチャイチャできると思うなよ」と怨嗟の声とともに渡されるから素直に助けたいという気が起こらないのだ。まあ、ソフィアが目覚めなかった間はオースティンがカイルに無理矢理食事を取らせたりと迷惑をかけたから、その詫びと思って手伝ってはいるのだが。
カイルはソフィアのベットの枕元に寄せた机に書類を置くと、椅子に座ってソフィアと目線を合わせた。
「俺はまた少し作業をするが、ソフィアは少し休んでいて良いからな」
「ううん、私ももうちょっとだけ解析を進めるね。あ、ちゃんと、無理はしていないからね!」
「ん、無理してないならいい」
優しく笑うカイルに、ソフィアは頬を染める。そして二人はカーテンから差し込むうららかな春の日差しの中共にペンを動かすのだった。
「お前たちはいつも一緒にいるな」と呆れた声で揶揄われても、二人はあの日からいつも幸せそうな笑顔を浮かべて共にいた。
***
やがてソフィアの体も回復し、ラピスラズリ島に帰る日を迎えた。王城の中庭には神の祝福を受けし少女を見送ろうと、多くの人々がやって来ていた。
今日までソフィアは、カイルにラピスラズリ島に帰って本当に良いのかと何度も確認した。カイルはもう追われることもなく、堂々と公爵家の嫡男として、そして王子の側近としての地位を名乗れるのだ。本当に、身分を捨てて王都から離れた不便なラピスラズリ島に来ても良いの…?心配するソフィアに、しかしカイルはいつも当然のように肯定してくれる。
「俺が、ソフィアとラピスラズリに戻りたいんだ」
そう言って笑ってくれるカイルに、ソフィアは心が温かくなって顔を綻ばせた。
「ソフィアさん、皆さんによろしくお伝え下さいね」
「うん!またすぐに王都に来るからね!」
ソフィアはリリアとのしばしの別れを惜しんだ。リリアはまだ教会での仕事に追われるローガンを手助けするために王都に残る事になったのだ。リリアがそう伝えた時のローガンは、涙を流して喜んでいた。
「ソフィアさん、カイル君、君たちのお陰でこの国は救われた。本当に感謝しているよ。道中、気をつけてね」
「はい!司祭様も、色々とありがとうございました」
多忙な中わざわざやって来てくれたメイソン卿に、ソフィアとカイルは頭を下げる。彼はローガンを次期教皇にと推している様だが、本人の嫌がりようから、恐らく彼が次の教皇となるだろう。彼ならきっと、教会をより良い道に導いてくれる。
「はぁー、カイルが愛する女性と旅立つというのは実にめでたい。めでたいが…、お前が抜けると俺の書類仕事が増えてしまうー」
うがぁと頭を抱えるオースティンに、カイルは呆れたため息をつく。
「月に一回は手伝いに来ると言ってるだろ」
「ソフィアさんの診察の付き添いついでだろー」
恨みがましい視線をおくっているオースティン。ソフィアは王の診察の為に月に一度王都に来る事になったのだが、当然のようにカイルが箒で送ってくれる事になっている。
ひとしきり文句を言っていたオースティンは、やがて諦めたようにため息をつくと、笑って二人に小さな箱を差し出した。
「これ、餞別だ」
「?この匂いは…チョコレートですか?」
包みをしていても、その箱からは覚えのある甘い香りが漂っていた。オースティンはニカッと笑う。
「お、ソフィアさんはチョコレートを知っている?こいつ隠れ甘党でね、夜会で食べた献上品のチョコレートにめちゃくちゃ感動してたんだよ。顔は無表情だったけどね。輸入でしか手に入らない高級品だが、友の門出に一番好きなものでも贈ろうと奮発したんだぞ」
オースティンの言葉に、ソフィアはパッとカイルを見た。
「カイル、チョコ好きなんだ…」
ソフィアの髪をチョコレートみたいだと言ったカイルの台詞を思い出してポツリと呟く。…いやいや、カイルはチョコみたいな色だと言っただけなんだから、と一人頬の熱を覚まそうとフルフル頭を振っていると、固まったカイルと目が合う。カイルは、バッと赤い顔を隠す様に顔を背けてしまった。
「オースティン、餞別は有難いが、ちょっと黙ってくれ」
揃って赤くなっている二人を、オースティンは笑いながら見つめていた。
「ソフィアさん、カイル君、君たちは私の命だけでなく、この国も救ってくれた。国の代表として、最大級の感謝を。これから、魔法使いとヒトが共に歩んでいくことの出来る国作りに力を注ぐと約束する。何か困った事があれば、何でも言ってくれ」
「陛下、ありがとうございます」
ラーファルト王からの言葉に、ソフィアは慌てて頭を下げた。穏やかに微笑む王は、パッと後ろの人々に振り返ると声を張り上げた。
「我が国の英雄である魔女殿と魔法使い殿の出立だ!皆、盛大な見送りを!」
王の言葉に、城にいる人々が手に持った籠から花びらを降らせる。「ありがとう!」「また来て下さいね」という温かな言葉を浴びながら、ソフィアはカイルはと共に箒で空に浮かび上がった。嬉しそうな笑顔を見せるソフィアを見て、カイルは小声で小さく呟く。すると優しい風が花びらを空高くまで舞い上げ、雨のように空から降り注いだ。眼下の人々からワッと歓声が上がった。
「今の、カイルの魔法?」
「ソフィアが喜ぶと思ってな」
嬉しそうに振り返るソフィアにカイルが返せば、ソフィアは春の陽だまりのような笑顔を浮かべる。
二人を乗せた箒は、人々の歓声を後に東の空へと小さく消えていった。
***
「みんな、いっくよー!」
春一番が吹くラピスラズリ島の春風の丘から、子供達と一緒に魔女長が箒に跨り丘から飛び降りる。しかし、魔女長の箒だけがフラフラと高度を落としていく。やがて力を失ったようにふらりと落ちていくが、矢のように素早く飛んできた影がしっかりと魔女長を抱き止めた。
「ソフィア、お前の魔力では風魔法を扱うのが難しいのは分かっているだろう?」
飛んでいったソフィアの箒も片手で回収しながら、カイルはソフィアを横抱きにして春一番の風に鮮やかな赤髪を靡かせた。
「だって、やっぱり箒で飛ぶのは夢なんだもの!春一番の日には、挑戦したいじゃない?わざわざ春風の丘だけは、時の魔法陣の範囲外に設定したんだもの!」
かつて自分の弱みを頑なに他人に見せずにいた魔女長は、そうキラキラした瞳で彼を振り返りながら抱きつく。それを危なげなく支えながら、カイルは大切な少女を優しい瞳で抱きしめた。
「知ってる。もちろんいくらだって挑戦していい。だけど箒に挑戦するのは俺がいる時にしてくれと言っておいただろ?」
「一応、浮遊魔法の出来る子に声をかけておいたんだけど…」
「そいつが俺を呼びに来たんだ。魔女長に怪我をさせたら大変だから来てくれって」
ちなみにこの「大変」と言うのは、ソフィアに怪我をさせたらカイルに殺されるのではないか、という「大変」だ。
「そうだったの⁈ごめんね、カイルは昨日王都から帰ってきたばかりだから、まだ疲れているかと思って…」
「そんな事気にしなくて良い。俺にとってはソフィアの事の方が大事なんだから」
カイルの言葉に、ソフィアは頬を染めて恥ずかしげに俯いた。想いを伝えあってから、カイルは今まで胸に秘めていたソフィアへの想いを隠さない様になった。その度にソフィアは幸せで嬉しくて、でも恥ずかしくて顔を赤くしてどう反応すれば良いのか分からなくなってしまう。そんなソフィアを、カイルは愛おしげに抱きしめるのだった。
「俺がいる時なら、何度だって俺が受け止めるから。それで、そのままソフィアが行きたい所まで飛んでいくよ。来年も再来年も…、これからずっと。約束だ。」
「…うん!約束ね!」
これから先ずっと、カイルと共にいられる幸せにソフィアは瞳を潤めてカイルの胸に額を押し当てた。そんなソフィアを、カイルは宝物のように抱きしめると澄んだ青空の中をゆっくりと旋回しながら花が溢れるラピスラズリ島へと箒の柄を向けた。
ーーー毎年楽しそうに春一番に挑戦する魔女長は、いつしか『春風の魔女』と呼ばれるようになった。
『落ちこぼれ魔女の時渡り』はこれにて完結となります。最後まで読んでいただきありがとうございました。




